原水爆禁止2003年世界大会
国際会議

大会議長団、名古屋大学名誉教授、被爆者
沢田昭二


主催者あいさつ (8月3日国際会議開会総会)

  原水爆禁止2003年世界大会に海外から、そして日本各地からご参加のみなさん。実行委員会を代表して、心からの歓迎と連帯のあいさつを申しあげます。

  米英軍はイラクにたいする侵略戦争で、最新鋭の残虐兵器を次つぎ使い、多数の罪なき人びとの命を奪い、傷つけました。最悪の残虐兵器、核兵器の犠牲となった広島・長崎の被爆者たちは、私もその一人ですが、爆撃にさらされる人びとを思い、無法な戦争をやめよ、核兵器や残虐兵器を使うなと叫び、若者たちとともにデモ行進の輪に加わりました。

  イラク戦争は、米ブッシュ政権が国家戦略として採用した、他国に「テロ支援国家」などのレッテルを貼り、先制攻撃によって政権を転覆させるという、国連憲章にもとづく平和のルールを無視した戦略の実行でした。しかもこの戦略のもとで、2000年の核不拡散条約再検討会議でアメリカ自身も賛成した「核兵器廃棄の明確な約束」に背き、包括的核実験禁止条約の締結拒否や、地下貫通核兵器など「使いやすい」核兵器の開発に乗り出し、21世紀も核兵器を持ち続け、核使用の脅威を与え続けようとしています。

  みなさん。しかし世界は、このようなブッシュ政権の横暴を許してはいません。「イラク戦争ノー、平和のルールを守れ」の声は、数字にわたる世界各地での数千万人のデモ行進や、インターネットなど様々な手段を通して表明されました。

  反核平和の国際世論の歴史的な経験として、1950年、5億の署名を集めて原爆を使おうとする手を押さえたストックホルム・アピールの運動、1970年前後のアメリカのベトナム侵略にたいする「ベトナムでインドシナでヒロシマ・ナガサキを繰り返すな」の反戦運動があり、原水爆禁止運動はこのなかで発展してきました。さらに今回の「イラク戦争ノー」の世界的な運動は、核兵器のない世界を切り開くうえで、これまでと質的に違う新しい条件と可能性をつくりだしたと思います。

  世界を揺るがす世論を背景に、フランスやドイツを含む圧倒的多数の国々が戦争に反対し、国連にイラク戦争を認めさせようとするアメリカの圧力を拒否しました。軍事力や経済力を行使して世界を支配しようとするアメリカの横暴を許さない力が大きく成長・発展していることを示していると思います。

  大会には、世界各地で、こうした画期的な運動の中心になって活躍された方々が、多数参加しておられます。またことしも、新アジェンダ諸国や非同盟運動諸国のスウェーデン、エジプト、バングラデシュなどの政府代表の方々が参加の予定です。この間の経験をふまえ、核兵器廃絶、戦争反対のさらに大きなうねりを創り出すため、おおいに議論したいと思います。

  みなさん。広島と長崎の被爆と核実験の被害を体験し、侵略戦争を反省して軍隊を持つことを禁止した憲法を持つこの日本で、小泉政権は私たちの反対にもかかわらず、アメリカの戦争に日本国民を協力させるための「有事法制」を制定しました。またイラク戦争支持につづき、米英軍のイラク占領支援のために自衛隊派遣を強行しようとしています。アメリカの核持ち込みを認める「核密約」のもとで、日本が先制核攻撃の基地になる危険もかつてなく増大しています。

  アメリカに追従する日本政府の姿勢は、広島・長崎の原爆被害を過小評価する政策にも現れています。被爆者切り捨て行政のもとで、被爆者たちはいま、「自分の一生を台無しにしたのは原爆であることを国が認めてほしい」と集団訴訟に立ち上がり、命をかけて核兵器使用の非人間性を明らかにし、核兵器使用政策を糾弾しています。

  これら非核平和の日本をめざす運動をさらに前進させる決意です。

  みなさん。このように私たちは、戦争と平和の問題でも、核兵器の問題でも、歴史の岐路と言えるようなもとにあります。しかしブッシュ政権は世界平和の問題でも、地球環境や貧困などさまざまな問題でも、国際社会との矛盾を大きくしています。私たちがいっそう共同と連帯を強めるなら、大会のメインテーマである、核兵器のない、戦争のない世界をつくりだすため前進することは可能です。そのためにどのように運動と連帯をひろげるのか、独創性、創造性、積極性にあふれた討論を心から期待して主催者のあいさつといたします。ありがとうございました。


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