原水爆禁止2003年世界大会
国際会議

カザフスタン
青年反核基金「サレナ」会長
レナータ・イズマイロワ



  親愛な大会参加者のみなさん、こんにちは。

  新しい一日はどんな日でも、太陽の光に照らされて始まります。

  太陽はすべての生き物にあたたかさと光を与えてくれます。

  58年前のある日、太陽と並んで空で何かがピカッと光りました。一瞬その光は「もう一つの太陽」のように見えました。ただし、その光は生きるためのエネルギーを与えてくれるものではありませんでした。それは世界で初めての原子爆弾の実験だったのです。

  1949年、「核の太陽」は、カザフスタンの人びとに、他に比べるもののないほど途方もない被害をもたらしました。それはセミパラチンスク核実験場での初めての原子爆弾の実験でした。何十年ものあいだ、草原に住む人びとはこの巨大な光の玉を目にしてきました。

  「核の太陽」はその光線で私の健康を焼き焦がし、私の人生を台無しにしました。

  核実験場が私に遺したものを受け入れて生きていくのはとても苦しいです。

  私の生活は特殊で、ふつうの人の生活ととても大きな違いがあります。家族の助けなしでは私は何もすることができません。

  私の趣味は絵を描くことです。でもその絵を描くときでさえ、私にはいろんな苦労があります。たとえば絵のサイズが大きいとき、反対側まで手が届きません。この状況の解決法をみつけました。絵をさかさまにひっくりかえして、描き続けるのです。ただし、反対側からです。これは難しいです。でも私の絵は、私の気持ちや苦しみを表しており、私の生活の一部です。

  私が自分の苦労や抱えている問題について話しているのは、人びとが被曝者の状態を正しく理解できるようにするためです。

  人はのどが渇けば、水の入ったコップを手にとってその渇きをいやします。以前私は、一日中一人にされることがよくありました。時々私はのどが渇いてもがまんしなければなりませんでした。水がなくなっても、立ち上がってまた水を入れることができなかったのです。こんなありふれた人としての欲求でさえも、被曝者にとっては困難に変わるのです。

  私は成長し、抱える問題もそれとともにどんどん大きくなっています。自分の未来を考えると不安になります。大学を終えて専門知識を得ても、身につけた知識を生かすことができるのだろうか?就職できるのだろうか?被曝者であることで、社会にとって必要でない人間になりはしないだろうか?

  核兵器の改良のために、私は大きな代償を支払わされています。それは、私の生活、私の家族の運命という、とても残酷な代償です。

  でも、「核の」太陽の光は私の心を傷つけはしませんでした。自然への愛、人間への愛、そして未来にはもっとよいことだけがあると信じる気持ちが、私が生きるのを助けてくれています。

  どんな困難な状況にぶつかっても、楽観的な気持ちは決して失いません。必ず解決方法は見つけられると知っているからです。

  世界のどこかでテロ事件が起こったり、どこかで戦争がはじまったことを知るとき、また、紛争を解決するために核兵器を使用する可能性が出てくるとき、私の胸は痛みます。

  原子爆弾と核実験の被害者は、地球上に核兵器が存在することに反対するたたかいを続けています。

  私はみなさんに、被爆者と連帯して、核兵器が一日も早くなくなるための行動を強めてくださるよう呼びかけます。

  私は新しい若い世代の代表、つまり21世紀を生きる人びとの代表です。同時に核兵器の実験の被害者でもあります。わたしたち21世紀の若者こそが、世界中を危険にし、人びとの心を恐怖で一杯にし、被爆者の心を痛みで満たす、そんな核兵器が存在しなくなるようにしなければならないのです。

  友人のみなさん、みなさんのご健康と平和を祈ります。わたしたち全員を本物の太陽が照らしてくれますように。

  ご清聴ありがとうございました。


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