原水爆禁止2003年世界大会
国際会議

ビキニ水爆実験被ばく
第五福竜丸・元乗組員
大石又七



  私は、1954年3月1日に、アメリカ軍がマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇し被爆した、第五福竜丸の元乗組員で大石又七といいます。ブラボーと名づけられたこの水爆は、広島型原爆の1000倍といわれ、この地球上には存在しない汚い放射能「ウラン237」を大量に作り出し、大気圏や太平洋に撒き散らしました。これは20世紀最大の地球環境汚染といわれています。

  第五福竜丸はそのとき、爆心地から160キロ離れたところでマグロ漁をしていて、光や音を聞き、2時間ぐらいすると真っ白な灰がたくさん降ってきて足跡がつくほど船の上につもりました。後にこの灰は「死の灰」といわれ、強力な放射能(広島原爆の800メートル以内の放射線量)と、アメリカの最高軍事機密である水素爆弾の構造も含まれていました。

  核実験で被爆した船は、福竜丸だけではありません。当時マーシャル海域には、900隻に及ぶマグロ漁船が漁をしていて、2万人近くが被爆しています。しかし、政府は汚染したマグロだけ調べ、人間のほうは「さわらぬ神にたたりなし」とでもいうかのように調べようとしませんでした。

  私たち第五福竜丸の乗組員は23人ですが、これまでにガンや肝機能障害という共通した発病で半数の12人が亡くなっています。そのたびに家の柱を失った家族の嘆きや、生活苦を見つづけてきました。

  私も同じように肝臓ガンになり、手術しています。そして、最初の子どもは死産、それも奇形児という悲しい姿でした。しかし日本の政府は、「被爆とは関係ない」といって認めていません。

  このビキニ事件は、発生直後から強力な核実験反対運動にあい、あわてて政府は日米友好に邪魔、核実験続行にも邪魔、とわずか九カ月で、被災者の頭越しに政治決着を結び、すべてを解決済みにしてしまいました。私たちもその時点から被爆者ではなくなりました。

  どうしてそんなに急いだのか、その理由は後に発表された外交文書や、残されている資料の中から見えてきました。

  日米政府は、水面下で事件の最中に、大変な外交取引をしていたのです。

  当時アメリカは、日本政府に濃縮ウランの受け入れを打診していました。「核で軍事ブロックを築くため」です。日本政府も、原子力技術や原子炉をアメリカから得ようとしていた矢先です。そのため、アメリカが行う核実験には協力する、国際法にも違反しない。などといい、漁業関係などが被っていた膨大な損害や補償も、わずかな見舞金でいい、と国民の願いとはまったく逆な、とんでもないことをいって取引を行ったのです。日本の原子力発電はビキニ事件の被害額と引き替えに出来上がったも同然で、私たちはそのための人柱にされたのです。それらの事実は、事件から30数年たってようやく残されている資料の中から浮かび上がり、これまでの認識とはまったく違ったビキニ事件が見えてきました。

  そしてあと一つは、福竜丸乗組員の相次ぐ発病に対し、厚生省は被爆46年目にして初めて「発病は被爆と関係がある」と、ほんの一部だけ認め、船員保険法を適用しました。関係があったのです。この間に11人が同じ病気で亡くなっているのです。しかし、この人たちの扱いは、まったく無視されたままです。この事件には隠された部分がまだまだたくさんあります。 ビキニ事件はまだ終わっていません。

  私は昨年、核実験場となったマーシャル諸島を訪問して、たくさんのことを知ることができました。ビキニやロンゲラップの島民はいまだに流民生活を送っています。そして政府は、50年を過ぎた今も、加害国のアメリカに補償要求を続けています。

  驚いたのは、私たちと同じ水爆で被爆した島民たちが35種類の病気が認められ、アメリカからの補償金で保護されていました。この違いは一体何でしょう。

  しかしアメリカ政府も、この先は補償額を減らすとか、打ち切るとか、そんな話も聞きました。

  被爆者に対する日米政府の、このような態度を許すわけには行きません。

  私はこれら新しい事実をしらべ、被爆当事者の目を通して事件の全体像を「ビキニ事件の真実」という本にまとめて、この度みすず書房から出版しました。ビキニ事件50年間の知られていない新しい記録です。ぜひ皆さんにも目を通していただきたいと思っています。

  私はこの半世紀、アメリカの水爆実験のために人生を変えられ、苦しんできました。そしてこの恐ろしい核兵器のことを考えつづけてきました。核兵器をこの地球上から無くすためにはどうしたらいいのだろう。そんなことをずっと考えつづけてきました。

  広島・長崎に原爆が落とされて58年、核兵器は人類の敵として、反対運動が続けられてきたのに、無くなるどころかますます作られ、各国もかけ引きの道具として、指導者たちがもてあそんでいます。しかし、知らぬ間に核兵器の方がすでに人間を支配しています。

  私は今、こんなことを真剣に考えるようになりました。夢のような理想で、現実味がない、と笑われるかもしれませんが、私は真剣です。「今、世界中に配備されている2万発の核兵器に人類が襲われ、地球は廃墟と化した。人類は核兵器に無条件降伏。そう思おう」。

  日本はかつて世界を相手に太平洋戦争を起こしました。敗戦で国は廃墟と化し、憲法で戦争を放棄し軍隊を無くしました。そのおかげで経済大国を築き、世界にも貢献することができました。

  戦国時代の日本を治めた幕末には、廃藩置県で武士(軍隊)を無くし、国を統一したこともあります。戦争の絶えない世界も今、このときと同じように各国は軍隊を無くし、国連政府、地球防衛軍に統一するときが来ていると思います。

  各国には警察と災害救助隊があれば十分。戦争や軍隊が浪費する膨大なお金を、世界の「貧困や、教育、友好」に使えば世界はかわります。時間はかかるかもしれませんが、古い常識もかえていくことができると思います。

  コンピューターで世界がつながり、地球の裏側まで瞬時に分かる地球一国の時代になってきました。人類は今、大きく進化するときではないでしょうか。特に言いたいのは、固定観念でかたまっている大人にではなく、頭のやわらかい時代を担う若者たちに託していきたいと思い、私は学校などで少しづつ話しています。

  「そんなことが出来る訳がない」といって核兵器や軍備を増強したり、有事、有事とあおり立て、弱いものいじめのような戦乱を繰り返していたら、やがて核兵器や原子力発電所を狙った自爆テロ(特攻隊)の反撃で、あるいは早いうちに人類の危機がくるかもしれません。死を選ぶか、生きることを選ぶかは指導者ではなく、私たち一人一人の行動だと思います。

  古い常識が簡単にかわるとは思いません。しかし、1人が2人、2人が4人とコンピューターを生かして世界に輪をひろげていったら、意外性が生れ、つながっていくかも知れません。

  100年かかっても、300年かかっても、地を這うようにして下から変えていきたいです。敵は外にではなく自分の中にいます。仲良くしようと自分が努力すれば、相手も友人になります。かけがえのない地球と人類を、みんなで考え、守りましょう。


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