原水爆禁止2003年世界大会
国際会議

フランス平和運動
全国執行委員
アニー・フリゾン


  私たちフランス平和運動は、みなさんとおなじように現在の国際情勢とアメリカとイギリスによっておこなわれたイラク戦争の影響を非常に懸念しています。

  フランス平和運動は2001年9月11日以降だたちに、「戦争ノー、正義・民主主義・平和にもとづく世界イエス」のテーマで、約100のフランスの諸団体を結集することに力を注ぎました。

  高度な要求と明確な目標(ブッシュにもフセインにも反対)をかかげたこの努力は、かつてない大きな広がりをもつ運動をつくり出し、戦争はもはや避けられないというあきらめの感情を後退させることができました。

  2002年秋にフィレンツェで開催された欧州社会フォーラムの準備のなかで、欧州レベルおよび国際レベルでの戦争反対の共同行動調整協議会が発足しました。この協議会は、2003年2月15日を各国の首都での共同行動デーとすることを提案しました。こうして、ロンドン、マドリード、バルセロナ、ローマなど、特に政府がイラク戦争に賛成していた国の首都では、数百万人規模のデモや集会がおこなわれたのです。

  フランス国内では、各県で政党、労働組合、各種団体などによって地域行動調整委員会が構成され、毎週のように反戦行動がおこなわれました。デモ、集会、ビラ配り、署名、会議、米英の平和活動家などとの討論会といった各種の行動によって、ソ連ブロック崩壊後これまで市民の動員が困難となっていた国際的戦略の分野についてフランス国民の意識を高めることができるようになりました。こうしてフランス国民の大多数の世論(80%以上)は、戦争に反対するようになり、イラクにたいする爆撃が開始された後もそれが変わらなかったため、フランス政府はそれを無視することができなくなったのです。

  世界レベルでも、大多数の諸国民はアメリカの攻撃的な政策を批判しました。過半数の諸国が、この戦争を支持するのを拒否したのです。ダーバンの人種差別に関する国際会議や、京都やヨハネスブルグでの国際環境会議などですでに明らかになっていたアメリカの孤立は、こうしていっそう顕著になりました。

  この一連の反戦行動は、この数カ月間弱まってきてはいるものの、今年の9月にはふたたび勢いを盛り返すにちがいありません。なぜならジュネーブでG8サミットの際に開催された国際共同行動協議会の会合で、2003年9月を「国際反戦月間」とすることが決定されたからです。特に重要なのは、国連が第2回世界平和デーと宣言した9月21日、および第二次インティファーダの3周年記念日にあたる9月27日です。9月27日は、数百の組織が、イラク占領反対とパレスチナ占領反対の要求を組み合わせた「占領反対国際共同行動デー」にすることを提起しています。また、社会運動や反グローバル化運動との将来の発展が期待できる新たな共同の兆しもみられます。特にパリで11月に開催されることになっている次回の欧州社会フォーラムは、世界的な平和行動の重要な機会となるでしょう。前回のフィレンツェの欧州社会フォーラムでもすでに平和は重要なテーマとなっていました。

  次回社会フォーラムの5つの主要テーマの一つが「軍事化計画反対、NATOの戦争理論の破棄、安全保障概念の変革にもとづく平和な欧州の構築」であることを、私たちは誇りに思っています。フランス平和運動にとって今年の夏の主要な運動は、現在、起草されている欧州憲法の第1条として以下のような条項を盛り込ませることです。
「欧州は戦争を国際紛争解決の手段とすることを拒否し、平和の権利を基本的権利として認める。欧州は平和的、民主的国際秩序の創出を促進し、国連の強化・民主化および国際協力の発展を支持する」。

  フランス平和運動は、欧州諸国にたいするアメリカの要求が強まり、各国の軍事費が増大していることを非常に懸念しています。フランスでは、公開討論もおこなわれないまま予定どおり2002年末に2003年〜2009年度軍事計画法が成立し、それによって核兵器の近代化計画予算も全て認められてしまいました。これには、ミサイル発射能力をもつ4基目の原子力潜水艦や2基目の空母の建造、新型ミサイルM51や新型核弾頭の開発、ボルドー近郊のバープにある核実験研究センターでの研究などの計画が含まれています。

  このためフランス平和運動は、8ヶ月前にマルセイユで開催された全国大会で大量破壊兵器廃絶のたたかいに全力をかたむけることを決めました。私たちはフランスをはじめとする核兵器保有国が、核兵器廃絶という明確な約束を果たしていないことをより強く非難しなければなりません。また政治家、マスコミ、市民にたいし、核軍縮が実現可能なことを説得しなければなりません。

  そのために私たちは以下のような取組みを計画しています。

  さらに私たちには被爆60周年にあたる2005年に、フランス全国の青年の代表団を広島に送るという壮大な計画があります。そのため、日本の青年組織と話し合い、今からでも準備を始めたいと考えています。

  みなさんとこうして再会できたことは大きな喜びです。私と夫にとって、日本原水協のご招待で今年も日本を訪問し、皆さんとともに戦争や核兵器のない世界について考え、被爆者の証言を聞き、数千名の男女が集う被爆記念行事に参加し、原爆資料館や原爆記念碑を訪れ、また世界平和のためのたたかいで日本の女性がかけがいのない役割を果たしていることを喜びをもって知ることは、いずれも忘れがたい思い出の時間です。この思い出は昨年よりもさらに感動的なものとなりました。2005年までに核兵器を禁止させるために共同して行動することは私たち一人ひとりの個人的な責任であると痛感するようになったからです。

  ジュネーブのNPT再検討会議準備会議に各国を代表して参加した軍縮大使を前にして、広島市の秋庭忠利市長は「どうか2005年に原爆禁止を実現させてください」と訴えました。秋庭市長が「いかなる人間であれ、どこにいようとも、自分たちと同じ運命に苦しむことがない世界をつくることを願って、いかなる復讐心をも捨てた被爆者の信じられないような心理的変化」について発言で指摘されたことを私は高く評価しています。

  数千年の間、人類が浸っていた戦争の文化を平和、非暴力、寛容の文化に変えるために努力している私たち平和活動家にとって、この言葉はなによりの希望のメッセージです。

  ありがとうございました。


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