九州大学3年生の藤本佐和さんは3月24、25両日、広島で原爆について学ぶフィールドワークを行いました。
藤本さんは昨秋、反核医師の会・医学生部会の2期目の代表になり、できたばかりの医学生部会の活動のきっかけを作りたいと思い、まず現地で実際に学んで、学生どうし交流しようと呼びかけました。
当日は藤本さんの他に福岡大学の医学生、藤本さんの地元の友人で広島の大学に通う看護学生と工学部生、春から大学生になる藤本さんの妹さんの4人が参加。
初日は本通りや平和公園の遺跡・碑巡りをした後、広島県被爆者団体協議会(被団協)事務所で被爆者の矢野美耶子さん、吉岡幸雄さんから被爆体験を、県被団協事務局次長の大中伸一さんから原爆とは何かについて話を聞きました。
碑めぐりでは、アンデルセン(ベーカリー)、福屋デパート、レストハウス、原爆ドームなどを歩きながら、当時の広島の街は軍事・商業都市としてとても繁栄していて、豪華でおしゃれな建物もあったこと、たくさんの人が集まり生活していた街の上に原爆が落とされたことなどの説明を聞き、人びとや建物の被爆前から現在、そして未来に思いを馳せました。
原爆ドームのすぐ近くにある墓地では、墓石に昭和二十年、二十一年と刻まれているものの多さに、いかに大勢の人が原爆で殺されたのかと胸が痛くなった。家族をことごとく奪われながら「原爆」「原爆症」と刻んだ方の無念の思いを感じたといいます。
碑めぐりを終えた藤本さんは「平和公園だけでなく、広島にある公園には多くの碑があることに気づいた。また、占領下のプレスコードの下、初期の碑には『原爆』という字を書けなかったことも知った」と語りました。
以下、矢野美耶子さんと吉岡幸雄さんのお話を聞いた藤本さんの聞き取りメモを紹介します。
・矢野美耶子さんのお話
当時14歳。体調を崩して建物疎開の作業を休み、爆心地から4キロの自宅で被爆。「真面目に動員にいって働いていた者が死んでなまけたものが生き残った」と同級生の家族に言われるなど、生き残った負い目。外傷は負っていなかったが、貧血や体のだるさ、病院に行っても「4キロも離れていたなら原爆症でない」と言われる。
20代で上の全部の歯が抜けて入れ歯に。人前に出ることができないで年月を過ごした。
近所の人から新日本婦人の会に誘われ、(被爆者の手記集)『木の葉のように焼かれて』を読み、「無知だった」「ひきこもって取り返しのつかない19年間を過ごした」と思い、それから被爆者の体験を聞き手記にまとめる活動や、被爆体験を証言したり碑めぐりなどの運動に。その運動について周囲や親族から非難を浴びるなど、「真実を伝えるのは勇気のいることだなと思った」、しかし「分かったら言っていかなきゃいけない」。
・吉岡幸雄さんのお話
当時16歳。建物疎開の動員にクラスは8月5、6日が割り当てられ、爆心地から800mの県庁へ行くことになった。クラスを2班に分け、級長と副級長がじゃんけんをして動員日を決め、勝った吉岡さんの班は5日を選択した。6日に負けた班の二十数人は県庁に出かけて三分の二が即死し、それ以外の人も一週間以内に全員が死亡。じゃんけんで同級生の生と死が決められたことが生涯の重荷になってきた。
吉岡さん自身は父親と爆心地から1.7キロの鶴見橋付近で被爆。目のくらむような閃光を感じて気を失う。焼けて垂れ下がった額の肉を縄で縛り上げ、無我夢中で家まで逃げる。背中三分の二、右足三分の一、両腕関節のやけどは化膿しウジがわいた。半年後にはやけどは癒えたが、右足関節がくの字に曲がって歩けない。引き延ばす治療の度に肉が裂け、血が噴き出した痛さは忘れられない。
復学、就職したが、以前の根性や積極性は失せ、自分の殻に閉じこもる毎日。体はいつもだるく、何をするにも意欲がわかない(「原爆ぶらぶら病」)。行く末を思い悩んで何度も自殺を図る。宗教にも救いを求めたが、「自分には懺悔する何があるのか」とかえって絶望感に襲われた。朝鮮戦争の時、トルーマンが「原爆投下に良心の呵責は感じない。戦争には原爆が使われるだろう」と公言したことに激しいショックを受け、三日三晩かけて英語の抗議文を作り、送った。そうせざるを得ない何かが心の中に突き上げてきた。多くの被爆者があの戦争で加害も被害も体験した。多数の犠牲者、被爆者をつくり出した戦争は、国による最大の暴力、犯罪。人権も生存権も心の自由も無茶苦茶に破壊したのが戦争。戦争も核兵器も、悲劇を繰り返させてはならない。これが被爆者の真の願い。
夜、感想を交流すると、広島の学生は「広島に生まれてこれからも広島で生きていこうと思っている。原爆のことを学ばなきゃと思った」などと話していました。この学生は、2日目に解散した後も、一人でもういちど資料館を見学しました。
2日目は大中さんのナビゲートで平和祈念資料館を見学し、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)代表理事の沢田昭二さんの講演会「原爆被害はどんなものか」に参加して学びました。
広島出身の藤本さんは、大学に入って日本民主青年同盟の仲間に出会い、原水爆禁止世界大会にも参加をする中で原水爆禁止運動に興味を持ったといいます。
藤本さんが大学に入学し広島を離れたと同時期に被団協の碑巡りガイドを始めたお母さんの協力も得て、今回とりくんでみた感想は・・・。
「以前までよくは分かっていなかった碑めぐりの意味を知ることができました。ガイドを勉強して、友だちと広島を歩くときには、少しでも話したい」。その思いから、春休み最後の日にも、『ガイドブック ヒロシマ -被爆の跡を歩く-』(新日本出版社)を手に、一日かけて原爆遺跡を歩いてめぐり、広島の街をあらためて見つめたと言います。
「資料館には何度も行ったことがあるし、昨年の原水爆禁止世界大会にも参加していたが、まだまだ知らないことがたくさんあったと気づきました。被爆や戦争を体験した人が少なくなるなか、ヒロシマの人たちがどんな思いをしてきたのか、感じとることができたと思います。高齢の被爆者の方が、元気に活動なさっている姿に、若い世代に託されている、平和な世界をつくっていってほしいという思いを受けとりました。人を幸せにする生き方や仕事をしたい、これからもっと勉強しなくっちゃーと思いました」。
また、「教科書に書かれない、資料館でも分かりにくい真実をもっと知りたい、そこに現在につながる問題がありそうだと思いました」と、戦前戦後の社会や政治についても学んでいきたいと言います。
「つながりのある学生に声をかけると、学んでみたいという反響が大きかったし、人数は少なかったけど、いっしょに思いを話し、交流しながら、しっかり学べたことがとても良かったです。自分たちだけでなく、現地で平和をまもる活動をされている方々に出会えたことが大きかったと思います。今回得たことをきっかけに、さらに学びを広げたい」。
フィールドワークの前日、泊まりに来ていた妹さんの友人3人に『核兵器のない世界を』国際署名と『学費負担軽減と高等教育予算増額を求める請願署名』を見せ、良かったら書いてと言ったところ、「書きますよ!」と快く応じてくれたことがうれしかったと話す藤本さんは、核兵器廃絶を早く実現させるために今回学んだことを生かして、NPT再検討会議までにもっと署名を集めたいと話しています。
フィールドワークに参加させていただいて
広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)平和学習部長 大中伸一
私たち被団協は、平和学習として、①被爆者の体験を聞く、②平和公園の碑めぐりをする、③数は少ないものの原爆遺跡をめぐる、④資料館を見学する、の4点を中心に考えていますが、すべてを行われた藤本さんの活動はすばらしいと思います。特に、体験を聞く機会は被爆者の高齢化で大変厳しくなります。碑めぐりも、碑やモニュメントは、作られた意図、背景、訴えたい内容などは、専門的にやっている平和学習講師に聞かないと通り過ぎるだけになります。1~2回めぐればガイドブックもあるので、自習してもらって、今度は自分で語れるようになります。その学習の手伝いはいくらでもやりたいと思っています。私たちも平和学習講師(私たちは「ピースナビゲーター養成講座」と呼んでいます)要請を行い、被爆の体験、被爆の実相を「継承したい」、「新しい活動の担い手を育てたい」と考えています。
それでは、「被爆体験継承」をどう進めたらいいのでしょうか。被爆者以外は「実体験」はありません。しかし、人間は、碑や遺跡を通して、また被爆者の体験を聞いて、「被爆者と同じ気持ちを共有できる」=被爆を「追体験」し、学び取ることが出来ます。これは被爆していなくても広島に住んでいなくても出来ます。その「追体験」を今度は、「自分の言葉にして」、次の世代への「追体験」になるように語っていく、こうする以外に被爆者亡き後の「被爆の体験を継承する」のは難しいのではないでしょうか。それが「核兵器廃絶への大きな力と人類が生き残るための警鐘」になるのではないでしょうか。
また、「被爆体験を継承する」「もっと多くの隠された真実や被爆の実相を知りたい」「学びたい」という、若い世代・青年の持つ特性が生かされるのが、今回のようなフィールドワークではないでしょうか。私たち被団協も、直接被爆を体験した世代から、被爆2世が運動を引き継がなければならない事態は目前です。数県の被団協が解散しているいま、早急に全国的な運動展開が重要です。そのために私もがんばりたいと思っています。
私も案内をさせていただいて、青年の運動に勇気づけられたし、なによりも被爆体験を語った矢野さん、吉岡さんが激励されたと思っています。私たちの碑めぐりや体験を聞いてもらう活動は修学旅行が中心ですが、今回のように、少人数でも対応しています。ぜひ、全国の青年が広島を訪問し「被爆の実相を学び、被爆体験を継承する平和学習」をしてほしいと思っています。
今は、こちらに来ていただいて、平和学習講師の「手配師?」が私の主な任務ですが、できれば全国各地に「出前」で講演や「体験を聞く会」を開いていただいて、そこに、「平和学習講師」を派遣する、そんな手配や仕事をするのが「私の夢」です。
問い合わせ
広島県原爆被害者団体協議会(広島県被団協)
〒730-0853 広島市中区堺町1-2-9 貴志ビル203号
電話 082-296-0040 FAX 082-503-2755
Eメール peacenave@adagio.ocn.ne.jp
平和学習部 担当 大中伸一
原水爆禁止広島県協議会(広島県原水協)
〒732-0052 広島市東区光町2-9-24
電話 082-568-5530 FAX 082-568-5536
