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2006年05月26日

世界大会成功めざす行動月間のよびかけ

原水爆禁止2006年世界大会まで、残すところ2カ月となりました。

 今年の世界大会には、核超大国アメリカの横暴に立ち向かう世界的結集の場としてすでに内外から多くの期待が寄せられています。

 日本原水協は、先の常任理事会(4月)で6月、7月の2ヵ月を世界大会への代表選出を中心とする大会成功のための特別行動月間とすることを決めました。

 以下の文書は、「月間」のための「よびかけ」です。日本原水協を支えてくださっているすべての中央団体、都道府県原水協のみなさんが、それぞれの都道府県本部や支部、地域原水協と加盟団体にこの「よびかけ」を普及し、ただちに行動を開始してくださるようお願いいたします。

2006年5月26日 原水爆禁止日本協議会


2006年世界大会の成功をめざす全国行動月間(6月1日~7月31日) 草の根からの代表派遣、500万の「すみやか」署名達成のために全力をあげよう                               2006年5月26日                                 原水爆禁止日本協議会

 原水爆禁止2006年世界大会が、後2ヵ月余りに迫りました。日本原水協は6月、7月の2ヵ月を世界大会成功のための特別月間とし、昨年を上まわる代表の派遣、500万の「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名の達成、国民平和大行進の成功、原爆症認定集団訴訟支援の4つの課題に全力を挙げて取り組みます。中央団体、都道府県・地域原水協のすべてのみなさんがそれぞれの分野から行動に立ち上がるようよびかけます。

 今年の世界大会にむけて、すでに反核平和団体、核被害者団体をはじめ世界のさまざまなNGOや非核国政府の関係者が大会への参加を表明しています。婦人国際平和自由連盟の事務局長スージー・スナイダーさんは、「世界大会に参加したことが私の人生を変えた。同じような経験を世界大会に来るすべての人たちにして欲しい」と語っています。

 被爆60年の昨年、核超大国アメリカの横暴で核兵器廃絶の「約束」が踏みにじられるのを見て、軍縮と平和を願う世界中の人びとが核兵器廃絶の世論をさらに広げ、強めるために行動することを決意し、世界大会への期待を寄せています。これらの期待に応えて、2006年世界大会を大きく成功させなければなりません。

 大会はまた、核兵器廃絶・被爆者援護の運動とともに、日本をアメリカの戦争に組み込む米軍基地の再編強化や核兵器の持ち込み、憲法九条の改悪などに反対する全国の非核平和の要求と運動を結集し、世界と連帯した全国的なうねりをつくり出す場でもあります。

 すでに、全国的にも5月6日に礼文島と夢の島を出発した国民平和大行進が、国民各層の非核平和の願いをつないで広島に向かって行進し、全国各地で昨年を上まわる代表派遣やこれを支える地域ごとの署名・募金行動、青年実行委員会の結成や世界平和フォーラム(6月23日~28日、バンクーバー)の取り組みなど新たな挑戦が開始されています。

 この動きを、核兵器廃絶を願うすべての団体、すべての市区町村での行動とし、2006年世界大会が核兵器のない新たな時代を切り開く上で画期的な成功をおさめるよう、以下の行動に全力を挙げて取り組みましょう。

1、日本原水協に加盟するすべての団体、都道府県・地域の原水協が、2006年世界大会成功のために昨年を上まわる代表目標を決め、署名と派遣募金を開始しましょう。

 2、世界平和フォーラム、世界大会、10月の署名国連提出などをめざして500万筆の「すみやか」署名を達成するために、全構成員に署名簿を行き渡らせ、行動をよびかけましょう。6月の6・9行動を全国すべての地域・団体の取り組みにひろげ、成功させましょう。大会への代表を先頭に、全国すべての市区町村で地域署名・国民募金に取り組みましょう。

 3、核兵器廃絶を願う国民にひろくよびかけ、国民平和大行進を成功させましょう。行進が通過するすべての地域で沿道署名や沿道募金に取り組みましょう。6月議会の機会を生かして、すべての都道府県、市区町村で首長、議会議長・副議長などに「すみやか」署名への賛同を要請し、行進ペナントを普及しましょう。

 4、原爆症認定集団訴訟の原告被爆者の声を全国の草の根にひろげ、被爆者支援の署名や募金を強めましょう。大阪地裁の勝利判決を確信に、広島、東京をはじめすべての地裁で勝利判決をめざしましょう。

 5、世界大会と「世界青年のつどい」に結集する青年、学生、高校生の取り組みを励まし、平和行進、署名・募金、実行委員会づくりなどでの青年の独自の取り組みを支援しましょう。

 6、大会成功の共通の力として、大会パンフの普及に力を入れ、パンフに基づく学習や討論をすべての地域や団体の基礎組織で取り組みましょう。核兵器のない世界を願う共通の印としてバッジ、ポスターなど大会資材をひろく活用しましょう。

 すみやかな核兵器の廃絶を!の声を全国に響かせ、憲法9条を守る運動や米軍基地強化反対など平和の行動の先頭に立って、8月、広島へ、長崎へ、反核平和の願いを総結集しましょう。

2006年05月22日

声明 国・厚労省の大阪地裁判決控訴への抗議

声明 国・厚労省の大阪地裁判決控訴への抗議
内閣総理大臣 小泉 純一郎殿
厚生労働大臣 川崎 二郎殿

抗 議 文

 日本政府は本日、さきに原爆症の認定をめぐって、大阪地裁が下した被爆者全員の勝訴判決に関して控訴することを決定した。
 周知のように、現在全国13の地裁で行われている原爆症認定集団訴訟はいずれも、癌などをかかえる被爆者の原爆症認定申請にたいして、日本政府がそのほとんどを却下し続けていることに起因している。実際、原告のほとんどは、「私は健康というものがどんなものか知らない」、「わずかにしか残っていない命と向き合って生きている」というほどの困難のなかで、訴訟を続けている人たちである。
 現在の被爆者行政は、原爆の特殊性と「高齢化の進行している被爆者」の実情を考慮し「総合的な援護対策」を旨としてつくられたはずの「援護法」に照らしても、あまりに機械的で冷酷という他はない。日本政府のこの姿勢と、申請却下の根拠としてきた基準やその機械的適用の非科学性もすでに、この間下されたほとんどすべての判決で指摘されている。
 今回の控訴は、「残された命」と向き合って生きている被爆者に対する二重の冷酷な仕打ちというしか言いようがない。
 我々は、日本政府に対してただちにこの控訴を取り下げ、国が引き起こした戦争の犠牲への補償として被爆者援護行政を抜本的に見直し、是正するよう強く要求する。
2006年5月22日
原水爆禁止日本協議会

2006年05月19日

5月22・23日 厚労省前での「控訴断念、抜本的改正」を要求する緊急行動にご参加を

5月12日、大阪地裁で「私たちの病気を原爆によるものと認めてほしい」と訴えていた被爆者9人が全面勝訴の判決を勝ち取りました。

今週に入ってからは、「大阪地裁判決を真摯に認め、控訴を断念させる」という新しいたたかいが始まっています。

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冷たい雨が降る18日、厚生労働省前には青いタスキをかけた東京の被爆者団体「東友会」の被爆者と、黄色いタスキをかけた「おりづるネット」の支援者がお昼休みで外出する職員にチラシを配りながら「いつまでも被爆者を苦しめるな」、「厚生労働省は控訴を断念し、原爆症認定制度の抜本的改善を」などを訴えました。

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行動には、原爆症認定集団訴訟東京原告団から林さんと田崎さんが参加。

林さんは、「長い年月を思うと胸が詰まる。厚生労働省は私たちが死ぬのを待っているのか。非人情的なことをせずにどうぞ認定して下さい」と振り絞るような声で訴えました。

続いてマイクを握ったのは、昨年6月に亡くなった姉の遺志をついだ田崎さん。

「私も被爆者です。姉はガンで苦しみました。父母は入市被爆、弟もガンで死にました。東京にいた姪は甲状腺がおかしいと広島に帰りました。娘が病気になっても原爆のせいではないかと思ってしまいます。これは私だけではなく、全国の被爆者の思いではないでしょうか。本当に苦しいのです。厚生労働省で働く皆さん、川崎大臣、ぜひ聴いて下さい」。

東友会事務局次長の上田さんは、「判決を受けた日、喜びで涙を流した。でも、ごくあたり前の判決。司法の場ではこれまで7回やって全部勝ってきた。8回目の今回も同じ理由で控訴するのは法治国家としてあってはならない。もう終わりにしよう。時間のムダ、経費のムダ。ハンパではない61年の思いを重く受け止めてほしい」と語りました。

東京弁護団事務局長の中川弁護士は、「13日付の新聞各紙はどこも1面トップで報じ、昨日の朝日『天声人語』にも、認定制度の抜本的改善を求める論調が載っていた。厚生労働省は孤立している。来週には上京して直接川崎大臣に控訴断念を訴えたいとの声が全国の被爆者から弁護団に寄せられている」と話しました。

26日の控訴期限を前に来週、5月22(月)、23日(火)、午前11時から午後3時を目安として厚生労働省前で「控訴断念、抜本的改正」を求める緊急行動にとりくみます(主催:原爆症認定集団訴訟訴訟全国弁護団、同訴訟を支援する全国ネットワーク)。

この行動には、全国各地の原告をはじめ被爆者、支援組織の代表などが駆けつけることになっています。

高齢化し、病気を抱えて苦しんでいる原告のことを考えると、控訴によっていたずらに原爆症認定を引き延ばすことは絶対に許されません。

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厚生労働大臣・国は、全国に26万人以上いる被爆者のために控訴せず大阪地裁判決を確定させ、今すぐ原爆症認定行政を被爆者の実態を正しく反映したものに抜本的に改めるよう「控訴するな! 認定制度を改めよ!」の声をあげましょう。

少しだけでもいいのでぜひ参加して、全国から正義を求めて集まる被爆者の皆さんを励ましてください。

厚生労働省への行き方
東京メトロ丸の内線「霞ヶ関」駅B3a出口から地上にあがってすぐの交差点を右に曲がって少し歩いたところ。

2006年05月17日

大阪地裁全員勝訴判決の意味

去る5月12日、大阪地裁において、原告9人全員に原爆症の認定をすべきだという判決が下されました。これは全国13の地裁で170人の被爆者がおこなっている第1次集団訴訟の最初の判決として、きわめて重要な意味を持っています。

被爆実態からかけはなれた原爆症認定基準
これまで最高裁、高裁を含む7つの原爆症認定裁判において、被爆者が相次いで勝利判決を勝ち取り、判決は厚労省の認定規準が被爆実態とかけ離れていると批判してきました。ところが厚労省は「原因確率」という新たな規準を導入し、「原因確率」が10%以下では申請疾病に対する原爆放射線の影響は否定されると認定申請を機械的に却下しています。

このいっそう厳しい規準のために、原爆症と認定された人は、被爆者手帳を持っている26万人の0.8%に抑えられてきました。そのため、原爆放射線による障害で苦しんでいる被爆者でも認定申請をあきらめている現状です。

認定行政の抜本的転換を迫る
こうした被爆者に冷たい認定行政を抜本的に改めさせようと、日本被団協の呼びかけで原爆症認定集団訴訟が3年前から始まりました。厚労省は、これまでの7つの判決はあくまで個人に対するものだと言い逃れをし、認定行政の転換を怠ってきました。しかし、今回9人の原告全員の勝訴は、認定行政の全面的転換を迫るものです。

 高齢になった被爆者の集団訴訟は、まさに命をかけた取組みで、すでに26人の原告が亡くなっています。大阪地裁の判決は、支援する人びとに支えられ、裁判に勝利することが核兵器廃絶につながると頑張ってきた被爆者に大きな勇気を与えました。

遠距離被爆者・入市被爆者も認定
 今回の原告には3.3キロメートルで被爆した遠距離被爆者、原爆が爆発した後に救援活動のため広島市内に入った入市被爆者2人が含まれています。みんな厚労省の「原因確率」ほとんど0%の人たちです。また今回の判決では、放射線の影響は不明だとして「原因確率」の計算表にない貧血や、これ以下の被曝(ばく)線量では発症しないという「しきい値」が設けられた白内障に対しても「しきい値」はないとの判断が下されました。

「DS86」の適用限界
 認定申請を審議する被爆者医療分科会が「原因確率」を求める場合、被爆者が浴びた原爆放射線の線量は「DS86」と呼ばれる原爆放射線線量評価システムを用います。しかし「DS86」は「あくまでシミュレーションであり、限界がある」とし、遠距離では過小評価になっているので、遠距離被爆者に対し「DS86」の「機械的適用は、慎重になすべきである」と判示しました。

残留放射能による内部被曝
遠距離被爆者に対する残留放射能は「キノコ雲」から降下してきた放射性降下物が問題になります。また原爆爆発後に爆心地近くに入った人は、誘導放射化物質による残留放射能の影響を受けました。残留放射能では、とくに放射性微粒子を体内に取り込んで、身体の中から放射線をあびる内部被ばくが深刻な影響を与えます。

 判決は、被爆実態をしっかりと踏まえて、こうした内部被曝の影響を認めて、遠距離被爆者と入市被爆者の原爆症認定をしました。

大阪地裁判決と今後の展望
 高齢化し病気を抱えている原告のことを考えると、控訴によっていたずらに原爆症認定を引き延ばすことは許されません。厚労省がかたくなに判決の受け入れを拒むならば被爆者はいのちを削ってさらに第2次集団訴訟に取組むことになります。

 内部被曝を考慮すると、すべての被爆者が放射線影響を受けており、健康管理を必要とします。そのため、健康管理手当を被爆者全員に支給し、実際に障害が発生した場合には医療費と特別手当を加算するよう法改正をしなくてはなりません。

日本原水協代表理事・沢田昭二

2006年05月16日

いつでも「すみやか」署名を訴え、世界大会につなげたい

私の町には、会員50人近い老人会があります。このたび総会が開かれ、23人が出席しました。席上、「すみやか署名」への賛同を訴えたところ、全員が快く応じていただきました。

会長さんが、「私たちの生きている間には戦争はないと思うけど、さいきんの日本はなにやらおかしなってきましたな」と発言されたら、戦争を体験してきた世代の人たち、みんな、シーンとしてしまいました。現在の日本を「戦前」にしてはならないと思います。

私は、4月には医療生協の患者会と班会で、その前には親戚の法事でと、人が集まるところでお願いしてきましたが、署名はどこでもこぞって賛同いただいてきました。

それに、核兵器や戦争が話題になって大いに励まされるのはうれしい限りです。この力をひろげ、原水爆禁止世界大会へとつなげたいと願っています。

三重県原水協 落合郁夫

2006年05月15日

ドキュメンタリー『廃船』上映とトークのつどい、特別展「写真でたどる第五福竜丸展示館の30年展」

第五福竜丸展示館は今年6月10日で開館30年目を迎えます。

アメリカの水爆実験で被災した第五福竜丸は、廃船処分後夢の島に棄てられていたところを市民による保存運動がよびかけられ、1976年都立の展示館に保存展示されました。

保存がよびかけられた1969年3月に放送されたNHKドキュメンタリー作品『廃船』は、当時の船の姿を記録した貴重な映像であるとともに、原水爆禁止に寄せる人々の思いを伝え考えさせられます。

このたび、NHKの協力を得て上映し、この作品のカメラマンと現職プロデューサーのお話を聞きます。

また、当時の資料をもとに特別展が開催されます。

日時 6月10日(土) 午後1時半~4時
場所 学士会館(神保町) 203号室
参加無料
ゲスト
葛城哲郎(カメラマン・『廃船』の撮影・編集・大阪芸術大学非常勤講師)
桜井 均(NHKエグゼクティブ・プロデューサー。教養番組、ドキュメンタリーなどを手がける。著書『テレビは戦争をどう描いてきたか(岩波書店)ほか
工藤爽子(編集者・資料収集等で『廃船』製作をサポート)
*なお午後5時より記念レセプションが同会場で開かれます。

『廃船』(1969年3月22日放送 80分)
 ディレクター/工藤敏樹(※) 撮影/葛城哲郎 音声/玉造仁一・栗山忠三 効果・選曲/福島雄一郎 語り/中西龍
東京・夢の島の一角に一隻の廃船がつながれていた。東京水産大学(当時)の練習船「はやぶさ丸」、前身「第五福竜丸」だった。「安全航海記」(66年放送)から取材を継続し、この船の流転と乗組員一人ひとりのその後を徹底して追いかけた執念のドキュメンタリー。この番組を契機に始まった乗組員大石又七さんとの交際はその後も途切れることなく、後に大石さんの著書『死の灰を背負って』(1991年 新潮社)につながった。(『工藤敏樹の本Ⅱ』より)

※工藤敏樹 1933年東京生まれ。1958年NHK入局。数々のドキュメンタリー番組を手がける。代表的な番組に『開眼』(1967年・ABU賞受賞)、『富谷國民学校』(1969年・芸術祭大賞)など。『安全航海記』(1966年)取材の中で廃船となった第五福竜丸(当時・はやぶさ丸)の存在を知り、『廃船』へと発展する。妻爽子さんは当時の新聞報道等を丹念に収集・スクラップし、敏樹氏を支えた。

特別展のご案内
「写真でたどる第五福竜丸展示館の30年展」 
6月10日より
都立第五福竜丸展示館(夢の島公園内)
<おもな内容>廃船 船体沈没 保存の声おこる 保存運動 展示館建設から現在まで。
原水爆のない未来へ向けて「第五福竜丸 航海中」をテーマに写真パネルで歴史をたどります。

問い合わせ・申し込み先
財団法人 第五福竜丸平和協会
東京都江東区夢の島3-2
TEL 03(3521)8494
FAX 03(3521)2900
E‐mail fukuryumaru@msa.biglobe.ne.jp

2006年05月13日

原爆症認定集団訴訟・近畿訴訟勝利判決に際しての日本原水協の声明

5月12日午後2時、大阪地裁で判決が出された原爆症認定近畿集団訴訟で9名全員の勝利判決を勝ち取りました。

日本原水協が発表した声明全文は以下の通り。

声明 原爆症認定集団訴訟大阪地裁判決にあたって
                   2006年5月12日
                   原水爆禁止日本協議会

 全国13の裁判所で争われている原爆症認定集団訴訟で、12日、大阪地裁は、同法廷で争われてきた9件の提訴のすべてで原告被爆者を勝訴とし、国に却下処分の取り消しを求める判決を下した。

 原告被爆者は、いずれも多くの困難と健康被害に苦しみながら裁判に耐えてきた人たちである。判決に当たって、原告被爆者の労苦を称えるとともに、判決文に目を通しながら、これほどの被害にたいしてなお救済が却下されていたことに怒りを禁じえない。

 いまたたかわれている170件の訴訟の最大の焦点は、国が恣意的な基準を設けて、事実上原爆の残留放射能が引き起こした被害への救済をほとんど機械的に切り捨ててきたことにある。これまでも長崎原爆松谷訴訟、京都の小西裁判、東京地裁と高裁での東訴訟など、この間の判決はすべて原告を勝訴として国の認定基準に強い批判のみを向けてきた。にもかかわらず、国はなお、「原因確率」などあらたな算定方式などを持ち出し、事実上、遠距離被爆者や救援などで後から市内に入った被爆者などをひき続き原爆症認定から締め出す態度を変えないできた。

 今回の判決はこの点にも踏み込んで、遠距離被爆や入市被爆者への影響を認め、厚労省が却下の根拠としている「原因確立」についても、一定の距離以遠では「値が過小評価になっている」可能性を指摘し、機械的適用を強く戒めている。

 もともと原爆被害は国がはじめた侵略戦争に起因する被害として、国家補償の見地に立った救援が強く求められてきた。被爆者の多くは、原爆により心身の被害を受け、頼るべき身よりも財産も失い、これまでの60年余、苦難の歳月を過ごしてきた人々である。政府は、これ以上、被爆者を苦しめるのでなく、被爆者の現状を直視して被爆者援護行政を抜本的に改めるよう重ねて強く要求する。

2006年05月12日

声明 原爆症認定集団訴訟大阪地裁判決にあたって

声明 原爆症認定集団訴訟大阪地裁判決にあたって
2006年5月12日 原水爆禁止日本協議会

 全国13の裁判所で争われている原爆症認定集団訴訟で、12日、大阪地裁は、同法廷で争われてきた9件の提訴のすべてで原告被爆者を勝訴とし、国に却下処分の取り消しを求める判決を下した。

 原告被爆者は、いずれも多くの困難と健康被害に苦しみながら裁判に耐えてきた人たちである。判決に当たって、原告被爆者の労苦を称えるとともに、判決文に目を通しながら、これほどの被害にたいしてなお救済が却下されていたことに怒りを禁じえない。

 いまたたかわれている170件の訴訟の最大の焦点は、国が恣意的な基準を設けて、事実上原爆の残留放射能が引き起こした被害への救済をほとんど機械的に切り捨ててきたことにある。これまでも長崎原爆松谷訴訟、京都の小西裁判、東京地裁と高裁での東訴訟など、この間の判決はすべて原告を勝訴として国の認定基準に強い批判のみを向けてきた。にもかかわらず、国はなお、「原因確率」などあらたな算定方式などを持ち出し、事実上、遠距離被爆者や救援などで後から市内に入った被爆者などをひき続き原爆症認定から締め出す態度を変えないできた。

 今回の判決はこの点にも踏み込んで、遠距離被爆や入市被爆者への影響を認め、厚労省が却下の根拠としている「原因確率」についても、一定の距離以遠では「値が過小評価になっている」可能性を指摘し、機械的適用を強く戒めている。

 もともと原爆被害は国がはじめた侵略戦争に起因する被害として、国家補償の見地に立った救援が強く求められてきた。被爆者の多くは、原爆により心身の被害を受け、頼るべき身よりも財産も失い、これまでの60年余、苦難の歳月を過ごしてきた人々である。政府は、これ以上、被爆者を苦しめるのでなく、被爆者の現状を直視して被爆者援護行政を抜本的に改めるよう重ねて強く要求する。

【長崎】明誠高校門前で署名

5月8日(月)午後3時から4時半まで、旧琴海町(現長崎市)にある明誠高校門前で、下校中の高校生を対象に署名に取り組みました。これは西彼原水協が会議を開いて準備したものです。

原爆写真を展示し、ハンドマイクで訴えました。高校生たちは笑顔で署名しながら「頑張ってください」と大きな声で励ましてくれました。樋口事務局長は「大瀬戸にも、長与にも高校はいっぱいあるけんねー」と、次の目標をめざしていました。

商店街もなく人通りも少ない田舎で、家庭訪問しても、子どもか老人しかいない町での行動は難しいけど、「なんとしても…」の決意がこの行動となったものです。書名数85筆でした。

2006年05月11日

【兵庫】米軍艦の高知県寄港に抗議の宣伝

兵庫県原水協(筆頭代表理事・多上尚之)は9日、神戸市中央区の元町商店街で核兵器廃絶などを訴える「6・9行動」を行いました。

兵庫県原水協の梶本修史事務局長などはマイクで、「高知県の港に核兵器を積むことのできるアメリカの軍艦が寄港する計画が明らかになった。非核『神戸方式』を31年間も維持してきた神戸市民として中止を要求しましょう」と呼びかけました。そして、「核兵器廃絶を求める世論こそ非核の日本と世界を実現する力です」と、核兵器廃絶署名への協力を訴えました。

参加した兵商連の武貞直人事務局次長やAALA連帯委員会の上田恵事務局長など8人が、小雨の中、退勤時の人々などに、「国連に提出する署名にあなたもご協力を」と呼びかけました。東京都から観光に来たという高齢の夫妻は、「広島・長崎の悲劇をもっと世界の人に知ってもらうことが大切」と話しながら署名に応じました。

署名賛同者の女優の上戸彩さんなどの写真を印刷した巨大ポスターに目をとめた数人の高校生たちは、「広島の原爆資料館で受けたショックを今も覚えている。早く核兵器を無くしてほしい」と口々に語りながら署名しました。

雨が降り出す悪天候の中でしたが、「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名が83人分集められました。

兵庫・梶本修史

2006年05月09日

中学生たちが次々署名

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「あっ!上戸彩だ」-。中学生たちの声が新緑の爽やかな上野の杜に響きます。日本原水協は9日、上野公園口で6月カナダ・バンクーバーでの「世界平和フォーラム」、8月の原水爆禁止世界大会へと「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名を飛躍させていくための「6・9行動」を行いました。また、9日ということで、憲法九条守れの署名も一緒に集めました。

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SMAPの『トライアングル』や『世界にひとつだけの花』の音楽が流れる中、上戸彩さんの顔が入ったポスターを見た静岡、愛知、三重などから修学旅行に来ている中学生が群がるように次々署名。「原爆と人間展」パネルを食い入るように見ていた女性は、「美術館に絵を見に来たけど、原爆ドームの前で雪を食べている子どもの写真が印象的ですね」と話しながら署名しました。

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1時間の署名行動には東京原水協、台東原水協、日本平和委員会、日本のうたごえ全国協議会、自治労連、民青同盟中央委員会などから18人が参加し、「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名135筆、原爆症認定訴訟の公正な判断を求める署名26筆、憲法九条守る署名17筆、カンパ4800円が集まりました。