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原水協(原水爆禁止日本協議会)
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国連軍縮週間

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核兵器のない世界のために―被爆国日本の役割を問う
国連軍縮週間のつどいパネル討論発言要旨

日本原水協は10月25日、衆議院第一議員会館・多目的ホールで「核兵器のない世界の扉をひらこう!10・25国連軍縮週間のつどい」を開催し、約60人が参加しました。パネル討論「」がおこなわれ、日本被団協の田中煕巳事務局長、田部知江子弁護士、日本共産党の大平喜信衆議院議員が発言。コーディネーターを日本原水協の前川史郎担当常任理事が務めました。(『原水協通信』2016年11月号3面より。まとめは編集部)

ふたたび被爆者をつくらないために
日本被団協事務局長 田中煕巳

 
田中煕巳さん
 

私は13歳の時に長崎の爆心地から約3.2キロの距離で被爆しました。その時2階にいた私は、階下に駆け下りて伏せたところで気を失ったため爆風が来たことを全然記憶していません。母親の呼ぶ声で気がついた時には、爆風によって吹き飛んで来たガラス戸の下にいました。幸いにもガラスは1枚も割れていなかったために、破片で傷つくことがなかったことは今でも奇跡だと思っています。

私は3日後の8月12日、爆心地付近に住んでいた2人の叔母の安否を尋ねて入市しました。その時初めて爆心地の本当の惨状というものを目撃することになりました。焼け野が原に亡くなった人の遺体が100人以上黒焦げで転がっていました。それから、何百人もの重症の被爆者たちが動けないまま放置されていました。もちろん看護の手は全く行き届いていません。大火傷している人の傷口にはハエが卵を産み、ウジが這い回って体液を吸っているような惨状でした。

私の叔母2人のうち1人の家は爆心地から500メートルの所にあったため、自宅の焼け跡に真っ黒焦げで死体になって転がっていました。もう1人の叔母は私が到着する前に亡くなったということで、トタン板の上に彼女の遺体を置き、残った木屑を重ねて火をつけました。遺体がほとんど焼けたので骨を拾うことになったのですが、その時に一番悲しい思いをしました。それまでは数人の遺体を見ただけで気持ちが閉じてしまい、なんの感動もなく歩き回っていたのですが、骨になった叔母を見た時に突然その場で泣き崩れました。

そういう体験をしているので、絶対に二度と戦争を起こしてはいけないし、同じような苦しみを他の人にさせてはいけないという思いで戦争や核兵器に反対するという運動をずっと続けているというのが私の人生でもあるわけです。

被爆から70年が経ってまだ核兵器が存在している状態に耐え難いということで、私たちが呼びかけて「ヒバクシャ国際署名」運動に取り掛かっています。今回のIPB世界会議・被爆者遊説代表団でも非常に大きな賛同をいただきました。ドイツでもイギリスでもみなさんから「来てくれてありがとう」「この署名があって良かった」と言ってもらい、改めて被爆者としての役割の重要性を感じた次第です。

ノーモア・ヒバクシャ訴訟のたたかいから
弁護士 田部知江子

 
田部知江子さん
 

ノーモア・ヒバクシャ訴訟は別名「第2次原爆症認定集団訴訟」ということで、まず原爆症認定集団制度について、みなさんと確認したいと思います。この制度は被爆者健康手帳を受けた被爆者が病気を発症した時、放射能が原因で発症して医療を受ける必要がある時に厚生労働省が認定する制度です。この制度の中で認定がされると月額13万円の医療特別手当が給付されるのですが、この認定にあたり、厚生労働省が残留放射線や内部被曝を無視した認定をしているという問題があります。却下処分をされた方達について処分の取り消しを求めているのが原爆症認定訴訟であり、第2次のノーモア・ヒバクシャ訴訟となります。

私自身は2003年の第一次訴訟の時から関わっていますが、それまで被爆者の方のお話を直接聞くという経験はありませんでした。毎年8月6日、9日にマスコミやテレビを通してしっかり被害を被害としてご自分の言葉で語れる方達ばかりなのだと思っていたのですが、認定訴訟の準備の中で私たち弁護士に初めて被爆当時の状況をお話しされるという方があまりに多くてびっくりしました。ご自身の身内の方にも語ってこなかったことを私たちに語っていただいたという経験をして現在に至ります。

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は全面勝訴(10月27日、大阪地裁)
ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟は全面勝訴(10月27日、大阪地裁)
 

原爆症認定訴訟と核兵器のない世界を目指す運動の共通点は、被爆の実態から目を背けている日本政府を変えるというところにあると考えています。自分の国の被害者さえ十分に救済できない国が、世界に核兵器廃絶を語り、担えるのでしょうか。二度と被爆者を出さないためにも立ち上がらなくてはいけないという原告の方達の思いのこもった訴訟という意味で、核兵器のない世界につながる訴訟としてこれからも力を注いでいきたいと同時に、核兵器のない世界へ日本政府がしっかり舵を切るための運動にも関わっていきたいと思っています。

被爆国にあるまじき核抑止政策からの転換を
衆議院議員 大平喜信

 
大平善信さん
 

私は2014年に国会議員になりましたが、最初の質問がまさに本日与えられたテーマである「被爆国にあるまじき核抑止政策からの転換を」という内容でした。 Play today at the best friv games. Friv games play free online today. Friv games play online at this website.

その年の12月、オーストリアでおこなわれた核兵器の人道的影響に関する会議において、ある国の代表からの報告で、核兵器の爆発時には対応できないほどの悲惨な結果を招くという報告があったことに対し、日本代表団の代表団として参加していた佐野利夫軍縮大使がわざわざ手を挙げて発言を求め、「悲観的だ。前向きに見てほしい」という発言をしました。まさに被爆国政府としてあるまじき態度に最初から直面し、この問題を翌2015年の通常国会、3月の予算委員会で岸田外務大臣に追及しました。そしてそれとともに塩崎厚労大臣に対して、原爆症認定制度の改善の問題あるいは「黒い雨」降雨地域の拡大を求めるという質問もおこないました。

日本政府は国連総会で圧倒的多数の賛成で採択されている核兵器禁止の国際交渉開始を求める決議案に対して、1996年に初めて提案されてから昨年の2015年総会に至るまで20年連続で棄権をしています。さらに今年2月から三度にわたっておこなわれてきた国連の核兵器のない世界の達成に向けた法的措置を話し合う作業部会では、「段階的アプローチが現実的だ」と言い、会議そのものを否定するような主張までおこないました。日本政府は繰り返し「核保有国と非核保有国との橋渡し役を果たす」などと言いますが、誰がどう見ても核保有国の代弁者になっています。まさに被爆国政府としてあるまじき態度、恥ずべき役割を果たしていると言わなければなりません。

こうした日本政府の態度のおおもとには、日米軍事同盟の下でアメリカの「核の傘」いわゆる核抑止力に守ってもらうという方針があります。第二次安倍政権が発足した2013年12月に発表された「国家安全保障戦略」の中にも、「核抑止力を中心とする米国の拡大抑止は不可欠」だとはっきり明記されています。

戦争も核兵器もない世界をと願う全ての皆さんと力を合わせて、何より被爆国日本がその先頭に立って頑張るためにも、平和と民主主義を破壊する安倍政権は1日も早く打ち倒さなければなりません。そのために私たちも全力を尽くしていきたいと思います。



 
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