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【ルポ】国民平和大行進、福島を行く

 国民平和大行進が6月23,24日、福島に入りました。現地に入った高草木博日本原水協代表理事の手記をご紹介します。


国民平和大行進、被災地・福島へ

国民平和大行進の東北コースが23日、24日の両日あいついで福島入りしました。

栗子峠での引き継ぎ
栗子峠での引き継ぎ集会

山形からのコースは23日午後、県境の栗子峠で引継ぎ集会。二つの県からあわせて40人が参加、平和行進旗、被災地連帯旗、各団体のリレー旗が一つ一つ福島側に引き継がれました。集会には、日本原水協事務局や愛知原水協、京都原水協からも代表が参加、日本原水協を代表して、私が、いま、「核兵器は安全のため」、「戦争の抑止のため」という神話、そして原発は「安全」という二つの「安全神話」の嘘を打ち破る大きなチャンス、草の根の行動の広がりが日本と世界を変える。行進、原爆展、署名を前進させ、夏の世界大会を成功させようと訴えました。

若者たちの行進・広がる住民の共感 ― 福島・飯坂

そのあと温泉地として有名な福島市飯坂の行進には、わたり福祉会の青年たち30余名をはじめ、70人の参加者に加え、観光できていた人や地元の少年たちも飛び入りし、80名の行進になりました。

飯坂・元気いっぱいな若者たち
飯坂・元気いっぱいな若者たち

通る車も商店や温泉がいの人たちもほとんどの人が手を振り、あいさつを返すなど、被災地で粘り強く続けてきた福島の運動の努力が、住民の共感となって実っている様子を実感しました。

国見では、佐藤町長があいさつ

24日朝は、福島市の北、国見街から伊達市の行進。朝9時、地震で役場が修理中のため、仮移転している観月台文化センターの出発式では、佐藤町長があいさつ、被害に立ち向かう町政について説明しながら、核兵器も原発もなくそうと呼びかけました。

浜通りの行進はじまる

24日午後、福島県の太平洋沿岸=浜通りの行進が始まりました。宮城・福島県境の新地町で引継ぎ集会が行われ、福島県側からは県原水協代表理事の二階堂次男さんがあいさつ、また、司会の相馬・双葉の実行委員長の大内さんは、「昨年、相馬からも呼びかけに応え長崎に代表を送った。福島代表への全国の連帯は熱かった」と述べ、行進の成功と大会への代表派遣をよびかけました。

新地町で宮城から引き継ぎ
新地町で宮城から引き継ぎ

ついで行進は、新地町では地元議員の井上和文さん、通し行進の米山さん(横須賀から)や、通し行進経験者の森さん(東京)、久永さん(京都)などが、行進しました。

また、続いて行われた相馬町の行進では、大野台災害仮設住宅も訪れて、被災者を励まし、平和行進と世界大会への支持をよびかけました。

国民平和大行進、南相馬へ

福島の太平洋側北端、新地町で宮城から引い継いだ国民平和大行進は、25日、地震、津波、原発事故の放射線被害とたたかう相馬市、南相馬市を南に向かって進みました。相馬市では、松川浦の潮干狩り場から海岸沿いに行進、ほとんどの通る車から手が振られ、追い抜く車が連帯のクラクションを鳴らします。

相馬市・潮干狩り場で車にアピール
相馬市・潮干狩り場で車にアピール

到着地点は民商会員中島宏さん、孝さんが経営する「中島ストア」。あの震災の日からの父子の奮闘ぶりは相馬の市民に知れ渡っています。断水で水がなく、ものがなくなる中で、孝さんは水を確保できるところを探し、トラックを走らせて、次々と頼ってくる市民に無料で配り、倉庫のコメはすべて炊き出し。多くの市民が、「中島ストアが命綱だった」と言っています。

この日、朗報もありました。地元漁民がタコ、つぶ貝などを取り、検査をしたが放射能は「不検出」。タコは早速中島ストアの店先に並び、地元のテレビ局も取材中。早速みんなでつまみ食いをさせてもらいました。

相馬市・中島ストアに並べられたタコ

南相馬では、実行委員長の大内さん、通し行進の米山さんに、以前の通し行進者の久永さん(京都)、東京の森さん夫妻、この日駆けつけた新婦人新聞記者の武田梨華さんが加わりました。地元からは新婦人のみなさん、民商からは浪江から福島市に避難している県副会長の紺野重秋さんも60キロ近い道のりを駆けつけてくれました。

市内鹿島町の仮設住宅前では、大内さん、米山さん、私、久光さんが次々に、核兵器も原発もなくそうと訴えました。

最初、ひとり、ふたりだった住民も、あちこちに出てきてくれ、やがて対話に。「津波の前の仕事は?」「農業だ。だけど、もうなにも植えられない、この先もダメだ。農機具も機械も全部無駄になった。もう金も尽きた」 「勤めてたが、工場も流された、仕事も家もなくなった」。「いま一番思うことは?」 「東電は、なんの補償もしない。謝りにも来ない」「仮設で人生を終わるのかと思うとやりきれない」・・・ Реклама: Pardavimų skatinimas, SEO paslaugos, reklama internete, svetainių ir elektroninių parduotuvių kūrimas - SEOpaslaugos.com

でももし、希望があるとすれば、「あんたがたのように、わしらのことを忘れずにいてくれる人たちがいることが一番うれしい」「声を上げていくことがだいじだ。広島までは大変だろうが、がんばって続けて欲しい」。私の方も勇気を出して、「是非、仮説に住むみなさんからも誰か広島の世界大会に来て欲しい。みなさんの声を全国や世界の人に響かせて欲しい」とお願いしました。


こんな対話があちこちで続き、差し出した「核兵器全面禁止のアピール」にも次々と署名してくれました。別れるときは、ひとりひとり握手。お互いに目頭に涙が滲んできました。

南相馬からの戻りは飯舘町を横断して福島市へ。荒地に変わろうとしている両側の田畑が人々の苦しみを伝えているようでした。




 
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