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太平洋の核実験被害:
ビキニ環礁自治体による対アメリカ賠償請求訴訟(2006年・ 国際情報資料24より)

太平洋の核実験被害:

ビキニ環礁自治体による対アメリカ賠償請求訴訟

編集者注:冒頭の文書は、ビキニ環礁の提訴の背景を報じる、ヤッコエ・オンライン(電子版)の報道記事。賠償請求訴訟の訴状がそれに続く。

核の影響――ビキニ住民、米国裁判所で米国に賠償請求訴訟を起こす
ヤッコエ・オンライン

2006年4月12日午前1時28分

 本日4月11日、ビキニ環礁住民は、米連邦損害賠償裁判所において米国政府を相手取る集団訴訟を起こした。マーシャル諸島にあるビキニ環礁は、冷戦時代の米国の核実験場であった。
 ビキニ住民の渉外担当ジャック・ニーデンタール氏によれば、今回の訴訟は、米国政府が2001年3月5日の核被害補償裁判所の判決に従わずに十分な資金提供をおこなわなかったため発生した財産への損害にたいし、合衆国憲法修正第5条の定める私有財産収用にたいする補償を求めたものである。
住民はまた、米国政府が、ビキニ環礁退去に住民が合意したことを考慮して、土地の収用から発生する損害にたいして住民に正当かつ十分な補償をおこなうという受託者義務に違反したこと、および退去合意の一部である黙示的義務と誓約、自由連合協定、およびその177条協定に違反したことにたいする損害賠償を求めている。
 この訴訟は、少なくとも(核被害補償裁判所が最初に裁定した5億6331万5500ドルから2度の支払い総額227万9180ドルを差し引いた)5億6103万6320ドルに法定利息を足した額の賠償を求めている。現時点で利息を加えた総額は7億2456万902ドルである。(後略)

 

合衆国連邦損害賠償裁判所において

原告:キリ/ビキニ/エジット自治体議会によって代表されるビキニ住民
被告:アメリカ合衆国

訴 状

原告ビキニ環礁住民は、キリ/ビキニ/エジット自治体政府議会を代表として、以下の申し立てをおこなう。

本訴訟の性質

 1.1946年3月7日、米国海軍は、マーシャル諸島ビキニ環礁を核爆弾実験場として使用するため、環礁から住民を退去させた。米国政府は、過去40年間で5回も住民を移住させたが、そのなかには軽率にもビキニ環礁への送還も含まれており、住民自らが米国を相手に訴訟を起こしてこの汚染された島から脱出している。40年にわたり、ビキニ住民は、住民に配慮し「土地と資源の損失から(住民を)保護する」ことを国連に誓約した米国の保護下にあった。主にビキニ環礁における核実験計画のおかげで、米国は核実験においてソビエト連邦と互角にたたかい、最終的に冷戦に勝利したが、ビキニの核の流民にたいする受託者義務を今日に至るまで一切果たしていない。それどころか被告はこの義務を忌避してきた。マーシャル諸島と自由連合協定を締結した被告は、ビキニ住民にたいして「補償をおこなう責任があることを認め」、核実験計画から生じるマーシャル諸島住民の「過去、現在、将来におけるすべての賠償請求の最終的解決」をおこなうため、代替的係争解決手続き機関として核被害補償裁判所Nuclear Claims Tribunal, NCTを設置した。ビキニ住民は7年以上にわたり同裁判所で補償請求訴訟を争い、2001年3月5日に5億6331万5500ドルの補償裁定を勝ち取った。しかし、米国が提供した資金が4575万ドルという嘆かわしい額であったため、裁判所がビキニ住民に支払うことができた補償額は227万9000ドルで、裁定の補償額の0.5パーセントにも満たないものであった。本訴訟で、ビキニ住民は、米国政府が2001年3月5日の核被害補償裁判所命令にしたがわず、十分な資金提供をおこなわなかったために発生した財物損害にたいし、合衆国憲法修正条項第5条にもとづいて、原告らの私有地収用にたいする補償を求めている。また住民は、米国政府が、ビキニ環礁退去に住民が合意したことを考慮して、住民の所有する土地の収用から発生した損害にたいして正当かつ十分な補償をおこなうという受託者義務に違反したこと、およびビキニからの退去合意の一部である黙示的義務と誓約、自由連合協定、および関連する補足協定に違反したことにたいする損害賠償を求めている。

裁判権

 2.本裁判所は、本訴訟の対象について、タッカー法Tucker Act(合衆国法典§1491(a)(1))および合衆国憲法修正第5条に基づく裁判権を有する。

当事者

 3. 原告、本訴訟が代表する集団であるビキニ住民は、マーシャル諸島ビキニ環礁の市民である。原告は全員が、(a) ビキニにおける最初の米国原爆実験「クロスロード作戦」に先立ち退去させられた1946年当時、米軍に占領されその管理下にあったビキニ地域共同体の一員であった、(b)そのような住民の直系の子孫である、(c)慣習法ならびに慣行により、ビキ ニ住民によりビキニ社会の一員として認められている、のいずれかに該当する。すべての原告と集団の構成員は、ビキニ環礁の土地所有権を有する。
 4.ビキニ住民は、マーシャル諸島共和国内の行政区であるキリ/ビキニ/エジット地方自治体の議会により統治されている。議員は、議会規約に従いビキニ住民によって選挙される。議会は、市長一名(ビキニ住民が選挙)、出納長、出納長補佐、書記、書記補(以上、市長が任命)、18名の議会員で構成される。18名のうち15名はビキニ住民により選出され、残り3名は、3つのビキニの部族をそれぞれ代表する、選挙によらない伝統的指導者(マーシャル語で「アラプ」)である。また、「ニティジェラ」と呼ばれるマーシャル諸島国会には、ビキニ住民を代表する上院議員が一名いる。
 5.自治体市長である原告エルドン・ノートは、ビキニ環礁およびマーシャル諸島の市民である。
 6.原告、バンジョ・ジョエル、ジェイソン・アイタップ、ヒントン・ジョンソン、ジャジャ・ジョー、ミシモア・ジャモール、タイフーン・ジャモール、グラン・ルイス、ブジェン・ルイス、ウランサ・ジバス、ウィルソン・ノート、ケトゥルース・ジュダ、サイモン・ジャモール、クインシー・カレップ、ウラキ・ジバス、ジェンドリック・レヴィティカス、ニジマ・ジャモール、カサエジャール・ジバスは議員である。全員がビキニ環礁およびマーシャル諸島の市民である。
 7.以下の原告は議会役員である。アンディ・ビル(出納長)、マーシュ・ノート(出納長補佐)、アッジ・ルイス(書記)、スケア・ライソ(書記補)。全員がビキニ環礁およびマーシャル諸島の市民である。
 8.原告トマキ・ジュダは、ビキニ住民から選出された上院議員である。
 9.以上の原告は、彼ら自身、また彼らが代表する集団を代表して訴訟を起こす。
 10.被告アメリカ合衆国は、過去60年のほぼ全期間、ビキニ環礁へのアクセス権を保有・管理し、現在にいたるまでビキニ住民にたいする受託者責任を負っている。

代表訴訟申し立て

 11.本訴状は先に列挙した原告ならびに全ビキニ住民を代表して提出されるものである。本訴訟の原告は、1946年の退去時点のビキニ社会の一員の生存者、立ち退かされた者の直系の子孫で生存している者、慣習法ならびに慣行によりビキニ住民にビキニ社会の一員と認識されている者すべてにより構成される。ここで使用される「原告」とは、名前を挙げた原告ならびにこれら原告が代表する集団のことを指す。
 12.本訴訟の原告が代表する集団の構成員はあまりにも多く、彼ら全員による集団訴訟は非現実的である。現在ビキニ社会には3,650人以上の構成員がいる。
 13.本訴状は法と事実の共通問題を含み、列挙した原告の申し立ては、彼らの代表する集団の申し立ての典型的なものである。列挙した原告は、代表する集団の利益を適切かつ公正に守り、集団訴訟に熟達した弁護団が原告の代理を務める。
 14.米国核実験計画の実施および自由連合協定の交渉における被告の行動は、本集団全体に影響をあたえてきた。したがって、最終的救済は本集団全体にたいしておこなわれることがふさわしい。よって、本訴訟に関係する法と事実の共通問題は、個別の問題があったとしても、それらに勝るものである。集団訴訟としての取り扱いは、本件の論争を公正かつ効率的に裁く上でより優れた方法であるが、それは、数多くの者が共同して、単一の場で共通の申し立てをおこなうことで、不必要な繰り返しが避けられるからである。集団訴訟は、列挙した原告および集団構成員の権利と義務を公正に裁くうえで効率的かつ処理しやすい方法である。 

事実

A.ビキニの地理:土地を中心とする文化

 15.ビキニ環礁は、ハワイの南西約2200マイル、赤道の北に位置する29の環礁と5つの島からなるマーシャル諸島の一部である。ビキニ環礁の26島のうちビキニ島が最大で、ビキニ環礁にはあわせて2.32平方マイルの陸地があり、約245平方マイルの礁湖を取り囲んでいる。マーシャル諸島は、カロリン諸島およびマリアナ諸島という2つの列島と共にミクロネシアを構成している。ミクロネシアは、米国本土の面積にほぼ相当する面積の中央太平洋海域全体に散らばる約2100の島と環礁から成る。ミクロネシアの地図を証拠書類Aとして添付した。
 16.マーシャル諸島西部島系統の最北端にあるビキニ環礁は、他の環礁から比較的離れて孤立している。1946年以前、ビキニ住民は他の社会と定期的な交流がなく、マーシャル人のなかでも最後に外国の影響を受けた住民である。その結果、ビキニ住民は血縁、交際関係、伝統により密接な絆で結ばれた極めて良く統合された社会を発展させていた。
 17.ビキニ住民は国土にたいする強い愛着心を培ってきた。マーシャルの伝統的な法と慣習のもと、住民一人一人は、生まれながらにビキニ環礁の島々における土地所有権を有してきたし、今も有している。個人は生得権である土地所有権によって認識されるため、土地とのつながりは特別に強い。こうした土地所有権の目的は、構成員に安全を保障することにある。マーシャル諸島の土地はあまりに希少であるため、マーシャル人は、土地をマーシャル人以外の者に売ることができる商品とは見なしていない。「土地は神聖視され、…確認できた限りでは、物理的または精神的な制裁を恐れての場合を除けば、外部の者に売られたり、贈与されたことはない」トービン『マーシャル諸島における土地所有権』Tobin, Land tenure in the Marshall Islands (1958) 。
 18.1946年にビキニ環礁から立ち退くまで、ビキニ住民は、必要物資はほぼ全てビキニの陸地と礁湖から調達する自給自足の経済を維持していた。

B.初期の歴史と政治的背景

 19.かつてスペインとドイツの支配下にあったミクロネシアは、第一次世界大戦で日本に接収されて以後、第二次世界大戦で最大の流血戦によって米軍が日本から支配権を奪う1944年まで、日本の統治下に置かれた。
 20.米軍がマーシャル諸島に初めて上陸した1944年1月30日、マーシャル諸島の軍事統治長官となったチェスター・W・ニミッツ提督は第一号声明を出し、この声明にしたがって、米国はマーシャル諸島全体を統治するすべての法的権限をもつようになった。声明は「マーシャル人の既存の個人権および財産権は尊重され、現行の法律および慣習法は今後もそのまま有効で効力を有する。但し、私が私の権限を行使し、責務を遂行するにあたり、それらを変更することが必要となる場合はその限りではない」と述べていた。ビキニ環礁でこの第一号声明が効力を生じたのは、米軍がこの環礁を占領し、管理下におさめた1944年3月29日のことであった。1944年から1947年7月18日までのあいだ――この間、1946年のビキニ島民の立ち退きと最初の米国原爆実験があった――ビキニ環礁は、マーシャルの他の島々と同様に、米国の支配下の軍事占領地となった。

C.米国核実験計画のためのビキニ環礁住民の移住

 21.1946年1月10日、ハリー・トルーマン大統領は、暗号名で「クロスロード作戦」とよばれる3回の核実験のためにビキニ環礁を使用することを承認した。その1ヵ月後の1946年2月10日、マーシャルの統治長官であるベン・ワイアット海軍准将が水上飛行機でビキニへ飛来し、教会の礼拝の終わりに住民と指導者ジュダに話をした。海軍の公式記録によると、ワイアットは住民に「アメリカにいる人々がつくった爆弾と、それが敵にどのような破壊をもたらしたか」、またアメリカ人が「人類の利益のため、すべての戦争を終わらせるために、それをどう使うべきかを知ろうとしている」ことを伝えた。そしてワイアットは「ジュダと住民には、自分たちの(諸)島を全人類の幸福のために犠牲にする意志があるか」と訊ねた。ビキニ住民は、米国がクロスロード作戦に環礁を使う必要があるのは数カ月足らずのことで、その後は環礁に帰還が認められるだろうと言われた。
 22.ビキニ住民は環礁を離れるのを望んでいなかった。しかし、米国が日本を負かしたことや、ワイアット准将による核兵器の威力の説明を考慮すれば、自分たちには、この決定に逆らうだけの力はないと考えた。第二次大戦中日本軍に支配されていた経験から、ビキニ住民は軍人の命令に従うことに慣れていた。ビキニに留まり、米国は他の所に核実験場を見つけるべきだと強く主張することは現実的な選択ではなく、住民は故郷から離れているあいだ米国が自分たちを援助し、土地を失わぬよう保護してくれるという理解のもと離島に合意した。
 23.1946年3月7日、米海軍はビキニ環礁から167名の住民を退去させた。まず住民をビキニから125マイル東にあるロンゲリック環礁に移住させ、数週間分の食料と水を与えて放置した。2カ月後、ビキニ住民は深刻な食糧不足に陥り、海軍にビキニ環礁への帰還を願い入れた。要請は拒否された。
 24.ビキニ住民の検診に派遣されたある米国人医師は、1947年7月、「彼らは明らかに栄養不良状態に苦しんでいた」と報告した。また、1948年2月に米国政府から派遣されたある人類学者は、ロンゲリックには飢餓状態が見られると報告した。
 25.1948年3月、ロンゲリックの悲惨な状況の新聞報道を受け、米海軍はビキニ住民をクワジェリン環礁へ移住させ、6カ月後にはさらにビキニ環礁の南東およそ400マイルにあるキリ島へと再移住させた。
 26.キリは環礁ではなく、陸地がビキニ環礁の6分の1しかない島である。何世代にもわたりビキニ住民の生活を支えてきた礁湖での漁法は、礁湖も、防護された停泊地もないキリでは使い物にならなかった。1年のうち6カ月間、キリ島への船での接近は非常に危険で、漁業は不可能に近い。
 27.キリは何度も深刻な食糧不足に見舞われた。なかでも1952年の状況はひどく、米国が空から島に食料を投下したほどであった。1958年と1960年の食糧不足は、島の植物のほとんどを枯らせてしまった1957年の壊滅的台風が原因で生じたものであった。
 28.今日生存している約3,650名のビキニ住民のうち、約1,100名がキリ島に住んでいる。キリ島は1948年当時の劣悪な状況から変わっていない。医療は不十分で、住居は水準以下であり、ビキニ住民には現金収入をえる仕事が少なく、経済の停滞は今もなお深刻である。

D.ビキニ環礁における米国の原水爆実験

 29.1946年6月から1958年7月までのあいだ、米国はビキニ環礁で23回の原水爆実験をおこなった。核爆弾のほとんどは、ビキニ礁湖に固定されたはしけ、またはビキニ環礁のリーフで爆発させられた。空中から陸地へ爆弾を直接投下する実験が2回、核爆弾を礁湖あるいは環礁付近の海中で爆発させる実験が2回おこなわれた。
 30.この核実験によりビキニ環礁は、広範かつ長期にわたる深刻な破壊を受けた。1954年の「ブラボー」水爆実験―米国がおこなった最大の核兵器実験で、少なくとも広島原爆の750倍の威力―では、直径4マイルの火の玉が出現し、3つの島全体と他の島々の一部が蒸発し、ビキニ環礁のリーフには深さ200フィートの穴が開き、礁湖の対岸24マイル離れたコンクリートの建物がゆれ動いた。
 31.米国が、マーシャル諸島での核兵器の開発と実験にかけた費用は1500億ドル(2006年度ドル換算)を超える。1953年、米原子力委員会(AEC)は米議会への費用報告で「実験1回ごとに、莫大な資金、人員、科学的作業、時間を要した。しかし、兵器開発の速度が速められたため、費用をはるかに超える節約ができた」と説明した。AEC報告はまた、「実験は、本土での爆発が国民の健康と安全を危険にさらさない事がより確実に確認されるまで、海外でおこなわれるべきである」と指摘している。
 32.1958年、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領は米国の大気圏核実験の一時(モラト)停止(リアム)を宣言し、マーシャル諸島における核実験計画は終了した。
 33.1968年8月12日、AECの専門家集団の調査結果に基づいて、リンドン・B・ジョンソン大統領は、ビキニへ帰還しても「(ビキニ住民の)健康と安全が深刻におびやかされることはない」だろうと発表し、翌年、米国は核実験で完全に破壊されたビキニ環礁に住民の送還を開始した。
 34.しかし、1970年代初めに限定的な放射線測定がおこなわれ、その結果を見た米国の科学者たちは、ビキニ住民に、ココナツ、パンの実、パンダナスなどビキニ環礁で採れる食物の摂取を抑えるよう勧告した。身の安全を危惧した住民は、1975年、ビキニ環礁における包括的放射性調査の実施を求めて裁判を起こした。この裁判の訴状で、住民は「私たちが賢明な判断にもとづいてビキニ環礁への再定住を決めるためには、私たちの帰還の願いと帰還による放射線の危険性とを秤にかけることができなければならない。私たちには、そのための情報が提供されていない」と述べたThe People of Bikini v. Seamans, et. al 民事訴訟番号75-0348(D.Ha)。被告がビキニ環礁の包括的放射線調査をすることに合意したことで、住民は訴訟を取り下げた。
 35.この調査に先立って、1978年4月に米国の医師団がビキニ住民の健診をおこない、放射性セシウム137の体内蓄積が1年に75%増加することを示す「信じられない」数値を検出し、その結果、医師団は、ビキニ住民が知られているどの集団より多くの放射性物質を取り込んでいるとの結論を下した。
 36.後におこなわれた調査から、1968年にジョンソン大統領が根拠としたAECの調査報告書には誤植があり、ビキニ住民1日の液体消費量を、実際のほぼ100分の1の1匙(さじ)に想定するという甚だしいミスがあったことが判明した。報告書の著者は「われわれはとんでもないへまをやった」と認めた。
 37.1978年8月、米国は5回目のビキニ住民移住をおこない、ビキニ環礁から一部をマジュロ環礁のエジット島に移し、一部を再びキリ島へ戻した。
 38.1978年後半以降におこなわれたビキニ放射線調査の多くは、ビキニ環礁が人間の居住にとって安全でなかった――現在も安全ではない――と結論した。住民は、故郷への帰還を禁止され、37年にわたって全員がまとまって共同体として生活することがかなわないまま、マーシャル諸島の各地、米国、太平洋の他の島などに離散して暮らしている。
 
E.ミクロネシアに対する米国の政治支配

 39.1947年7月18日、旧日本委任統治下マーシャル諸島に関する信託統治協定に従い、マーシャル諸島は、ミクロネシアの諸島と共に、米国を行政当局とする国際連合の信託統治体制下におかれた61 Stat. 3301, T.I.A.S. No.1665 (1947)。太平洋諸島信託統治領とも呼ばれるようになったこの地域にたいする支配を維持するため、米国はミクロネシアを国連制度で唯一の「戦略的信託領」に指定した。さらに、米国は、自国が拒否権をもつ国連安全保障理事会に、この信託統治領の行政当局としての届出をおこなった。
 40.この信託統治協定は、米国に信託統治地域にたいする「行政、立法、司法の完全な権限」ならびに、マーシャル諸島を要塞化し、安全保障上の目的でその一部を閉鎖する権利を与えた。同時に、信託統治協定は米国に以下の行為を義務づけた。信託統治地域住民の経済・社会・経済発展を促進すること。住民の「自由に表明された希望」を考慮し、自治または独立に向けた住民の前進を促進すること。「土地と資源の損失から」住民を保護すること。
 41.1947年、被告はこの3番目の誓約をさらに拡大し、「公用に必要な(信託統治地域内)の私有地所有者が、収用された所有地の損失にたいする適切な補償を受けるべきことは…米国の政策」であって、代替土地の所有権を収用された土地の所有者へ与えるという公正な補償協定が締結できない場合には「現金による補償が適当であり、この補償は土地収用の日から発生する」とした。
 42.1947年、ある米国代表は安保理にたいし次のように誓約した。
 「米国政府は、信託統治領の住民にたいして、自国のどの主権領域を統治する際に払う配慮にも劣らない配慮をもって統治する義務があると感じている。政府は、米国の法、慣習法、諸制度は、国連憲章の精神と一致した信託統治領の行政の基礎を成すものだと感じている。信託統治領住民にたいする義務を果たす上での行政、立法、司法の便宜を図るため、米国は信託統治領を米国の完全な一部として扱うつもりである。」
 43.1947年11月20日、米原子力委員会のデヴィッド・リリエンソール議長はトルーマン大統領への覚え書きにこう明記した。「米国が、国連憲章に基づく国際的義務を完全に履行することを保証するため、また太平洋信託統治領に関する米国と安保理とのあいだの信託統治協定との関連において…(現地住民には)合衆国憲法にしたがって、通常の国民の憲法上の権利であるすべての権利が与えられる」。
 44.太平洋諸島信託統治地域にたいする米国の行政権限は米国高等弁務官に与えられた。高等弁務官は米国上院の勧告と同意を受けて、大統領により任命され、1951年からは内務長官の指揮監督の下で任務に就いた。高等弁務官は1947年7月18日に出した最初の宣言において、信託統治地域とその住民にたいする「統治および裁判のすべての権限…ならびに最終的な行政上の責任」を行使すると発表した。信託統治協定、内務省命令、行政命令、高等弁務官指令と矛盾する地域法はどのようなものでも無効とされた。
 45.国連信託統治協定のもとで、ビキニおよびマーシャル諸島の住民は、太平洋諸島信託統治地域の市民となり、この市民としての身分が明記されたパスポートを持つ。彼らは、信託統治が終了した1990年まで信託統治地域の市民であった。
 46.信託統治が開始されてから数十年間、信託統治地域にたいする米国の政策は、いんぎんな無視政策であった。米国はマーシャル諸島における核実験計画に数百億ドルをかけ、北マリアナ諸島の中央情報局(CIA)複合施設建設には2800万ドルをかけたが、信託統治地域全体にたいする年間予算は平均およそ500万ドルにすぎない。
 47.1960年、国連総会は「植民地独立付与宣言」を出し、「信託統治地域…の住民が完全な独立と自由を享受しうるようにするため…すべての権力を彼らに委譲するために、早急な措置が講ぜられなければならない」と呼びかけた。1962年の国連ミクロネシア視察団報告は、米国による信託領行政のすべての側面を鋭く批判した。不十分な教育と経済発展、医療がほとんど存在しないこと、土地収用の補償がされていないこと、そして特にミクロネシア人の自治に向けた前進がないことである。
 48.ジョン・F・ケネディ大統領の命令で作成された1963年ミクロネシア調査報告は、この国連視察団の見解を裏付けるとともに、次のように警告した。米国はおそらく「あと5年から7年後には、国連から信託統治終了に向けた住民投票の実施を迫られるようになる」、よって「米国の第一の目標は、この住民投票でミクロネシア人が米国との恒久的連合を選択するようにさせることである」。そして、ミクロネシアが「最終的に恒久的連合に合意」するような戦略づくりを呼びかけ、同報告は「住民投票で賛成票を確保する多様な行動」をとるよう提言した。
 49.1964年、内務省は「ミクロネシア議会」と呼ばれる信託統治政府機関を創設したが、高等弁務官は、この議会が採択するすべての法律を拒否する権利、ならびに議会が採択しなくても「緊急」法を制定できる権利を保持した。
 50.信託統治の全期間をつうじて、被告は信託統治領を厳しい管理下においた。信託統治領政府は、外国政府や国際機関と直接に連絡を取ることはできず、高等弁務官が、予算、会計その他の米国政府機関との関係を管理した。1979年にマーシャル諸島が独自の立憲政府を樹立した後でさえ、高等弁務官は、すべての法律ならびに予算、会計、米国政府機関や外国政府との全関係をふくむ8分野の行政機能にたいする権限を維持しつづけた。実際、1982年12月に至っても、被告はマーシャル諸島政府による国連海洋法条約の調印を阻止した。米国による最初の40年間の信託統治支配を要約して、あるマーシャル諸島上院議員は「われわれは信託統治を押し付けられ、彼らは領土を手に入れた」と述べている。

F.将来の政治的地位交渉

 51.1969年、ミクロネシア政府関係者と被告とのあいだで、信託領地地域の将来の政治的地位に関する協議が開始された。
 52.ワシントンポスト紙のボブ・ウッドロー記者は、この協議がおこなわれている時に、ミクロシア側の地位交渉に臨む立場に関する情報を得るため、CIAがミクロネシアの交渉担当者を電子機器を用いて監視していたと報道した。ワシントンポスト紙は1976年12月14日の社説で、「なぜ米国は…国連によって正式に保護を任されている信託領を盗聴しなくてはならないのか」と問いかけた。1977年の上院公聴会では、ヘンリー・キッシンジャー国務長官が、盗聴やミクロネシア交渉団へのスパイをもぐりこませるよう命じていたことが確認された。
 53. 1978年まで、ミクロネシアは政治的に4つの政治単位に分断されていた。北マリアナ諸島、ミクロネシア連邦、パラオ、マーシャル諸島である。北マリアナ諸島は連邦の地位を達成したが、残る3つの国家は「自由連合」を選んだ。これは国連総会により完全統合と独立とのあいだにある中間的地位として認められた政治的枠組みである。自由連合協定(「協定」)に具体化されたこの地位のもとで、3つ地域の政府は米国からの財政的支援を得て、ある程度の自治と、米国の防衛責任に矛盾すると米国が判断するものを除いた限定的な独自外交をおこなうことを認められた。米国は、マーシャル諸島に自国の軍事基地を維持する権利、ならびにいかなる第3国の軍隊によるミクロネシアの利用を排除する権利を保持している。
 54.1978年、米国のジェームズ・ジョゼフ内務次官は、「協定」が、米国がビキニ住民にたいして負うべき義務を回避することを可能にするとの懸念を表明した。同次官は、協定交渉担当の米大使に「米国は、無期限の将来までマーシャルにおける核被害にたいして責任を引き続き負うと考えていることを明確にすべきである」と強く勧告した。「惨憺たる誤算の歴史」と「米国が1968年ビキニについて犯した、はなはだしい推測ミス」を例に挙げて、同次官は次のように主張した。
 「今日我々は、被害を受けたマーシャル人…あるいは彼らの土地の運命について、今ならば責任をもって認識できるとか、その将来を予測することができるとか、決めてかかるべきではない。だとすれば、米国は今後も引き続いて責任を負っていくべきであり、被害問題については、なんらかの必要が生じれば、その必要性に応じて、そのつど法整備や予算を確保するという場当たり的な扱いをしていくべきであると考える。これは確かに見苦しいことは認めるが、核被害の問題とはそのようなものなのだ。」
 55.米国は、信託統治領の行政当局として、マーシャル諸島の将来の政治的地位を決定するための1982年住民投票実施計画に拒否権を行使した。その理由は、投票用紙には自由協定および国連信託統治継続とならんで独立が選択肢として設けられることになっていたからである。米国は、投票用紙から独立の項目を外すよう執拗に主張した。米国の拒否権行使にたいし、マーシャル諸島共和国外相は、「これでは投票が許されたとしても、我々には2つの異なる植民地的行政の形態のどちらかしか選択肢がないことになる」と発言した。
 56.マーシャル諸島共和国政府が自由連合協定に調印したのは1980年であったが、協定が発効したのは1986年であった。米国議会における共和国主席長官(Chief Secretary)の証言にあるように、この間、共和国政府は「深刻な財政危機に直面し」、破産寸前の状態にあった。共和国の経済基盤は、主としてそれまでの米国の怠慢が原因でひどく悪化していた。協定を1981年には発効させるという米国の約束に基づいて、共和国政府は自由連合協定受け入れ、それと引き換えに、大規模な社会資本改善計画を開始するための融資を受けた。しかし、それによって米国への経済依存が深まり、そのために自由連合協定ならびに核被害補償問題の解決の交渉における共和国の立場はさらに弱まってしまった。
 57.1983年6月25日、マーシャル諸島共和国と米国の両政府は自由連合協定の最終版に調印した。
 58.マーシャル諸島の有権者は1983年9月7日の国民投票で協定を承認した。ビキニ住民は8割近くが反対票を投じた。
 59.1985年12月、米国議会は自由連合協定法を採択し、1986年1月14日ロナルド・レーガン大統領の署名をもって同法が成立した(Pub. L. No.99-239, 48 U.S.C§1681)。自由連合協定法には、マーシャル諸島国民が承認した自由連合協定および3つの付加項目として広範な新規定が含まれていた。
 60.1990年12月22日、国連安保理は信託統治協定を終了させ、1991年8月9日マーシャル諸島共和国の国連加盟を認めた。
 61.自由連合協定がめざした被告との密接な連合と被告による支配は、様々な形で展開してきた。マーシャル諸島では現在も米国の郵便番号が使われており(96960と96970)、2006年1月8日まで米国との郵便業務に対しては米国国内郵税が適用されてきた。マーシャル国民は、米軍のすべての部門で任務に就いており、米国入国にあたっての査証取得は必要とされない。さらに、米国は自国の対外政策権にもとづいて、マーシャル諸島共和国政府が南太平洋非核地帯条約に調印するのを阻止した。

G.自由連合協定

 62.協定の第177項(a)で、被告は「1946年6月30日から1958年8月18日のあいだ米国政府がマーシャル諸島北部でおこなった核実験計画から生じた…マーシャル諸島国民の財産ならび人的損失または被害について…マーシャル諸島国民にたいする補償責任を負う事を認める」と述べている。第177項(b)は、被告と共和国政府は「別個の協定において、マーシャル諸島ならびにその国民に関して生じた賠償請求で、まだ補償されていない、または今後生じうる…すべての賠償請求を公正かつ適切に解決するための規定を設け」なければならない、としている。
 63.協定第177項(b)で言及された個別協定とは、「自由連合協定第177項(b)の実施にむけた米国政府とマーシャル諸島政府との協定」(「第177項協定」)と題する協定で、1983年6月25日にすでに調印されていた。第177項協定の写しを証拠書類Bとして添付する。
 64.第177項協定はその前文に明記されているように、「結果として生ずる賠償請求の解決を含む…(米国)核実験計画の過去、現在、将来の影響に対処する方法を創出し、それを永続的に維持したいというマーシャル諸島政府が表明した願いを認めて」調印された。
 65.第177項協定により1億5000万ドルの信託基金が設けられ、基金から得られる収入は、核被害を受けた環礁ならびに核実験計画に関するその他の被害救済活動に割り当てられる。同協定第4条により核被害補償裁判所(以下、裁判所)が設立され、裁判所は「マーシャル諸島の政府、国民、在外マーシャル人による、核実験計画に基づく、あるいは計画から生じた、あるいはどのような形であれ計画に関連する、過去、現在、将来におけるすべての補償請求を最終的に裁定する裁判権」を有する。第177項協定は、信託基金収益のうち4575万ドルを裁判所が15年期間の裁定補償の支払いに充て、その期間の後は、基金収益の最低75%を「今後、裁判所がおこなう金銭的補償の支払いに充てる」ことを定めた。
 66.被告は、第177項協定に規定された補償額を決定するにあたって、マーシャル諸島住民にもたらされた被害や傷害の規模を推定する努力をおこなわなかったことを自ら認めている。下院内務委員会から「各補償請求集団にたいして支払われるべき額を決定するために」政権がおこなった「算定を裏づける文書」を求められた際、政権は「(そのような)文書は存在しない」と答えた。
 67.核被害補償裁判所の設立と併せ、第177項協定の第10条「融和”Espousal”」は、「この協定は、マーシャル諸島の政府、国民、在外同国人による、核実験計画に基づく、あるいは計画から生ずる、あるいはどのような形であれ計画に関連する、米国あるいは政府の役人、職員、契約者、市民、在外米人にたいしておこなわれる過去と将来のあらゆる賠償請求を完全に決着させるものである」と明記している。さらに、第177項協定12条「米国裁判所」は、10条にある賠償請求は「打ち切られ」、「どの米国裁判所もこのような賠償請求を取り上げる権限はなく、米国裁判所で係争中の訴訟はどんなものも棄却される」と定めている。
 68.第177項協定の第6条1節は、「米国政府は、現時点では特定しえない時期に、ビキニ住民によるビキニ環礁再定住のための資金を提供するという約束を再確認する」と規定している。
 69.ビキニ住民は、自由連合協定の交渉でも、第177項協定の交渉でも当事者ではなかった。
 70.第177項協定の「交渉」で被告がおこなっていたのは自己取引である。

H.過去の連邦裁判所審理

 71.1981年3月16日、ビキニ住民は、住民の土地収用ならびに米国が負う受託者義務違反がもたらした損害を理由に、米国憲法修正第5条に基づいて、米国賠償請求裁判所において損害賠償を求める訴訟を起こした。Juda et at. v. United States, No. 172-81 L (1981年3月16日)。1984年10月5日、同裁判所は次のような判決を下し、訴えの棄却を求める米国の申し立てを退けた。(1)ビキニ住民の修正第5条に基づく賠償請求は出訴期限を超えていない。(2)タッカー法の管轄権は、米国に受託者義務を課している事実上の黙示的契約に基づく本賠償請求にもおよぶ。(3)ビキニ住民の黙止的契約に基づく賠償請求は、〔米国の〕主権防衛行為によっては禁じられていない。(4)この黙示的契約に基づく賠償請求をあらかじめ妨げる具体的契約はない。(5)修正第5条の正当補償条項は、マーシャル諸島住民にも適用されるJuda. v. United States, 6 Cl.Ct. 441 (1984)。
 72.自由連合協定が制定されたのを受けて、裁判所は、自由連合協定によってタッカー法は黙示的に修正され、米国にたいして核実験計画から生じる収用や契約違反を理由にした賠償請求訴訟を起こすことを認めた米国の合意は撤回されているという判決を下した。さらに裁判所は、第177項協定に定められた手続きの合憲性を疑問視することは、同協定が核被害補償裁判所という代替的補償手段を設けていることからみて、時期尚早であると判断した。「第177項協定によって実現したこの裁定手続は、補償を得るための『合理的』かつ『確実な』手段を提供している。裁定が『十分な』補償を提供するかどうかについては、現時点では判断できない」Juda. v. United States, 13 Cl.Ct. 667,689 (1984)。
 73.控訴審において、米国連邦巡回控訴裁判所は、この下級審判決の根拠となる理由を支持した。
 「(自由連合協定)および第177項協定では、個別訴訟の補償裁定を含め、マーシャル諸島における米国核実験から生ずる過去、現在、将来の影響に対処する手段を永久的に定めている…この代替的救済策が不十分であることが判明するかもしれないという単なる憶測に基づいて、この時点で司法介入をおこなうことが適切であるという主張には納得できない。」
People of Enewetak v. United States, 864 F.2d 134, 136 (1988)
 74.ビキニ住民は、ビキニ再定住のための資金を割り当てた法が制定されたことを受け、ジュダ判決(72段落参照)の控訴を取り下げたPeople of Bikini, et al. v. United States, 859 F.2d 1482 (Fed. Cir. 1988)。
 75.1984年、原告は、ビキニ環礁における放射能除去作業の実施、環礁を以前の安全な状態へ回復すること、ビキニ住民の再定住などを被告に要求する訴訟を、ハワイ米国地方裁判所で起こしたPeople of Bikini, et al. v. United States of America, et al., Civ. No. 84-0425 (D. Ha. 1984)。この訴訟は、1985年3月13日付けの合意覚書で和解した。合意覚書は、「米国は、ビキニ住民によるビキニ環礁の復旧と再定住を歓迎し、ビキニ住民にたいし、これらの目的達成に必要な措置の促進にあたり最善の努力をおこなうことを約束する」と述べている。

I.核被害補償裁判所での手続

 76.1993年、ビキニ住民は次の点で損害賠償を求め、核被害補償裁判所で集団代表訴訟を起こした。(a)ビキニ環礁使用の喪失、(b)環礁の放射能汚染除去にかかる復旧費用、 (c)結果としてビキニ住民が被った損害と苦難In the Matter of the People of Bikini, Claimants for Compensation, NCT No.23-04134。
 77.ビキニ住民は核被害補償裁判所で7年にわたり裁判をたたかい、2001年3月5日、裁判所は「決定と命令覚え書き」を発表し、すでに原告が被告から受け取った1億9472万5000ドルの補償と復旧費用を差し引いた5億6331万5500ドルの支払いを被告に命じた。この差額の控除は、第177項協定の4条2項の「いかなる裁定をおこなう場合でも、裁判所は、補償請求の有効性、補償請求の結果支払われたあらゆる事前の補償、その他、適切と思われる要因を考慮に入れなければならない」という規定に基づくものである。判決と覚え書きの写しを証拠書類Cとして添付する。
 78.裁判所が支払いを命じた5億6331万5500ドルは、以下3種類に分類される。(1) 過去および将来におけるビキニ環礁の使用の喪失にたいする補償2億7800万ドル、(2)環礁の放射能汚染除去・復旧費用に2億5150万ドル、(3)「使用の喪失にともなう移住の結果、ビキニ住民が被った苦難」にたいする補償3381万4500ドル。
 79.米国務省が指摘しているように、核被害補償裁判所は「見積もり費用が2億1700万ドルから14億ドルまでのいくつかの(放射能汚染除去)戦略を検討した」が、米エネルギー省が契約したローレンス・リバモア国立研究所が提言したのと同じ汚染除去方法を選択したため、結局、低いほうの見積り額である2億5150万ドルを裁定した。
 80.2002年2月1日、裁判所は、ビキニ損害賠償の最初の支払いとして裁定額の0.25%の支払いを決定した。裁判所はこの決定において「核被害補償基金は、補償のしるし程度以上の支払いをするには明らかに不十分である」と指摘したうえで、「しかしながら、原告には、核実験計画で被った喪失や被害の重大性を認め、また裁判所の裁定に何らかの意味を与えるような支払いがなされて当然である」とした。裁判所は、0.25%が「原告が請求するもの以下」であることを認めながらも、「裁判所が利用できる財源、今後の土地収用補償の可能性、裁判所の将来の不確実性などに照らして、裁判所としては、この支払い額が状況を総合的に考慮した慎重な額であると考える」とした。
 81.2002年2月20日、核被害補償裁判所は、ビキニ住民にたいする補償額の0.25%は149万1806.43ドルであると計算し、被告にたいしこの「最初の支払い」をおこなうよう命じた。
 82.これ以前の裁判の判決にもとづいて、またマーシャル諸島の判決法定利息が9%である事から、裁判所は、土地の使用喪失と復旧の補償金にたいする判決後の法定利率を年7%に設定した。2002年12月16日の時点で、裁定額に利子を加えた未払い金額は6億2989万6320ドルにのぼった。2003年2月4日、裁判所は2回目の賠償金支払いを命令した。核被害補償基金の差引残高が約1200万ドルであること、裁判所にはさらに別の集団訴訟が起こされていること、および「(核被害補償)基金にたいする賠償請求を相当に増やしかねない立法および行政の動き」に留意し、裁判所は、ビキニ補償についての2回目の支払い額を、更新した補償合計額の0.125%である78万7370.40ドルに抑えたが、その際に「現在の財政的制約にかんがみて、裁判所は支払い額の決定には控えめであるべきだと考える」と述べた。
 83.この他にも、2005年12月31日までに、裁判所は1,958名のマーシャル諸島住民にたいし、放射線起因性の病状の補償として合計8829万1750ドルの支払いを裁定している。この補償金の支払い、ならびに米国議会が裁判所にあたえる資金が全体として不十分であることから、裁判所がこれまで原告に支払うことができているのは、合計補償額の0.5%にも満たない、0.375%にすぎない。
 84.2002年と2003年におこなわれた2回の小額の支払いを差し引いた上で、ビキニ裁定の補償額のうち土地使用喪失・復旧にたいする補償金に利子が生じたため、補償金総額は2001年3月の5億6331万5500ドルから現時点までに7億2456万902ドルへと増加した。
 85. 2005年12月31日現在、核被害補償裁判所が独自の行政措置実施と補償金支払いのために使用できる資金残高は185万6998.20ドルである。

J.ソーンバーグ報告

 86.核被害補償裁判所の運営の透明性が不十分であるという米国政府の懸念に応え、2002年マーシャル諸島共和国政府は、元米司法長官リチャード・ソーンバーグ氏に、裁判所の使用する手続について独立した調査と評価を依頼した。
 87.2003年1月に出された報告(「ソーンバーグ報告」)で、ソーンバーグ氏は、核被害補償裁判所は、裁判所の創設目的である基本的機能を、妥当かつ公正かつ秩序立った方法で、十分な独立性をもって果たしているとの見解を出した。同氏は、裁判所が審理している財物損害賠償訴訟は、米国裁判所において見られる訴訟と類似した集団訴訟手段をつうじて起こされており、「訴訟の状況説明、専門家報告、裁定申請手続など、多くの米国裁判所の審理で見られる手続きを採用している」と考えられると結論した。
 88.ソーンバーグ報告は結論として「1986年当初に設けられた1億5000万ドルの信託基金は、マーシャル諸島住民の故郷でおこなわれた多数の米核実験の結果、彼らが被った損害について、住民に公正な補償をおこなうには明らかに不十分であるというのが我々の見解である」と述べている。

K.状況変化請願

 89.第177項協定9条「状況の変化」は次のように規定している。「核実験計画から生じたマーシャル諸島国民にたいする財物・人的損害が、本協定の有効期日以降に生じる、あるいは発見された場合、またそのような被害が本協定有効期日の時点で合理的に特定されなかった、あるいはされえなかった場合、またそのような被害の実態に照らして本協定条項が著しく不十分であることが明らかになった場合、マーシャル諸島政府は、米議会にその検討の請願書を提出し、米国政府にそのような被害にたいする援助を要請することができる」。2000年9月11日、マーシャル諸島共和国政府は請願書を提出し、とりわけ裁判所の未払い補償金を支払うための追加的資金を承認し、予算化するよう米議会に要請したが、議会は一度もこの件をとりあげなかった。2005年1月24日、米国務省は議会に「財物損害に関する(この請願書に述べられている)事実は、第177項協定が規定する「状況変化」に基づいてなされる資金要請を正当化するものではない」との提言をおこなった。

L.2003年自由連合協定修正法

 90.15年期限の自由連合協定の失効を目前に、米国とマーシャル諸島の両政府は交渉を開始し、その結果2003年自由連合協定修正法(「修正協定」)が成立したP.L. 108-188。
 91.修正協定は、被告がこの問題についての交渉を拒否したため、核被害補償裁判所への追加資金拠出には一切ふれていない。米国交渉担当者はマーシャル諸島共和国政府に2002年3月27日付の手紙で次のように宣言している。「われわれは、(交渉で)核実験計画に関連するいかなる追加支援の要請も…取り上げることはできない。この問題は別の筋で検討されているからである。この問題は、第177項協定の状況変化条項に基づいて(マーシャル諸島共和国政府)が提出した請願書によって米議会に取り上げられ、現在、審議中である。」

訴因1
修正第5条に基づく原告の所有地の公用収用補償

 92.ここに原告は、関連する第1段落から第91段落までの申し立ての趣旨を繰り返す。
 93.2001年3月5日に核被害補償裁判所が出した補償金の支払い命令に被告が従わなかったことにより、原告の所有地の公用収用にあたり、原告は合衆国憲法修正第5条の収用条項に基づいて正当な補償を受けることができる。
 94.原告は、このような土地収用にたいする正当な補償を、最低でも(核賠償請求裁判所の最初の裁定額である5億6331万5500ドルから2回にわたる計227万9180ドルの支払いを差し引いた)5億6103万6320ドルに法定利息を足した額として請求する。

訴因2
事実上の黙示より生じた受託者義務の違反

 95.ここに原告は、関連する第1段落から第94段落までに含まれる申し立ての趣旨を繰り返す。
 96.1946年3月7日被告がビキニ住民をビキニ環礁から移住させた際、被告は住民にたいする受託者責任を負った。ビキニ住民は、被告の保護の下に置かれる事に合意することで、この受託者義務を承認し、信託をおこなった。ビキニ環礁から住民が退去・移住させられた事で、ビキニ住民と被告のあいだに事実上の黙示的契約が生じ、被告は受託者としてビキニ住民の健康、福祉、経済状態、土地を保護する義務を負った。
 97.様々な機会において、被告はビキニ住民の受託者としての自らの義務を認識し、表明してきた。その例として、ニミッツ提督の第1号宣言(上記、第20段落)、高等弁務官第1号声明(上記、第44段落)、被告による1947年政策声明(上記、第41、42、43段落)がある。
 98.「1978年8月の米国政府と太平洋諸島信託統治地域政府との間のビキニ島住民移住に関する認識声明」において、被告は「米国政府は、当政府がビキニ住民およびその子孫の福祉にたいし一般的に責任を負うと見なしている」と断言している。
 99.被告の受託者義務は、被告がビキニ住民にたいする受託者責任を引き受けた一年以上もあとの1947年7月に完結した信託統治協定により生じたものではない。
 100.この訴因は、被告と原告との間の事実上の黙示的契約により1946年に被告が負った受託者義務違反の行為によって生じた損害賠償請求である。
 101.被告は、過去および将来におけるビキニ環礁使用の喪失、放射能汚染除去費用、苦難にたいして、原告に5億6331万5500ドルの支払いを命じた2001年3月5日付核被害補償裁判所の決定と命令覚書を実行するに足る資金を同裁判所に提供することを拒否したことで、原告にたいする被告の受託者義務に違反している。
 102.被告による上記の受託者義務違反により、原告は5億6103万6320ドルに法定利息を加えた額の損害を被っている。

訴因3
黙示的義務および黙示的事実上の契約条項違反

 103.ここに原告は、関連する第1段落から第102段落までに含まれる申し立ての趣旨を繰り返す。
 104.上記第100段落で述べた黙示的事実上の契約には、この黙示的事実上の契約の目的と利益を達成するため原告と協力する被告の義務、これらの目的と利益を達成するための原告の努力を妨害しないという被告の義務、および黙示的事実上の契約にもとづく原告の利益と期待にたいしては誠意をもって公平な扱いをおこなうという被告の誓約が暗に含まれている。
 105.被告は、次に挙げる行為により、上記第104段落で言及した黙示的義務と誓約のそれぞれに違反した。(a)2001年3月5日付の核被害補償裁判所の決定と命令覚え書きを満たすに足る同裁判所への追加資金提供の努力を怠った。(b) 2001年3月5日付の核被害補償裁判所の決定と命令覚え書きを実行するに足る同裁判所への追加資金の要請または確保をめざす原告の努力を妨害した。(c)この資金不足に関し道理ある行動をとるのを怠った。
 106.上の第105段落で特定した違反行為の結果、原告は少なくとも5億6103万6320ドルに法定利息を加えた額の損害を被った。

訴因4
黙示的義務・誓約による第三者受益の違反

 107.ここに原告は、第1段落から第106段落までに含まれる申し立ての趣旨を繰り返す。
 108.原告は、被告とマーシャル諸島共和国政府との間に結ばれた自由連合協定ならび第177項協定の直接的な第三者受益者にあたる。これらの協定には、その目的と利益を達成するために原告と協力する被告の義務、これらの目的と利益を達成しようとする原告の努力を妨害しない被告の義務、両協定に基づく原告の利益と期待にかんして、誠意をもって公平に対処するという被告の誓約が暗に含意されている。
 109.被告は、次に挙げる行為により、上記第108段落で言及した黙示的義務と誓約のそれぞれに違反した。(a)2001年3月5日付の核被害補償裁判所の決定と命令覚え書きの履行をするに足る同裁判所への追加資金を提供する努力を怠った。 (b) 2001年3月5日付の核被害補償裁判所の決定と命令覚え書きを実施するに足る同裁判所への追加資金の要請または確保をめざす原告の努力を妨害した。(c)この資金不足に関し道理ある行動を怠った。
 110.上の第109段落で特定した違反行為の結果、原告は最低5億6103万6320ドルに法定利息を加えた額の損害を被った。

救済の請願

 以上の理由から、名前を列挙した原告ならびに原告が代表する集団は以下のように請願する。
 1.本裁判所が、本訴訟を集団代表訴訟として確認し、本訴えの原告が上述の集団を代表することを認めること。
 2.本裁判所が、原告らが核被害補償裁判所で争った合衆国憲法修正第5条の違反の土地収用について、過去および将来におけるビキニ環礁使用の喪失、放射能汚染除去による環礁復旧費用、財物および間接的被害による苦難にたいする正当な補償として少なくとも合計5億6103万6320ドルに法定利息を加えた額を、原告および原告が代表する集団に支払うよう命じること。
 3.本裁判所が、事実上の黙示的契約により生じた受託者義務に被告が違反したことにより、原告および原告が代表する集団にもたらされた、過去および将来におけるビキニ環礁使用の喪失、放射能汚染除去による環礁復旧費用、財物および間接的被害による苦難にたいする補償として、原告らに少なくとも総計5億6103万6320ドルに法定利息を付け加えた額を支払うよう命ずること。
 4.本裁判所が、被告の黙示的義務と事実上の黙示的契約違反により、原告および原告が代表する集団にもたらされた、過去および将来におけるビキニ環礁使用の喪失、放射能汚染除去による環礁復旧費用、財物および間接的被害による苦難にたいする補償として、原告らに少なくとも合計5億6103万6320ドルに法定利息を付け加えた額を支払うように命ずること。
 5.本裁判所が、被告の黙示義務および誓約違反により、第三者受益者としての原告および原告が代表する集団にもたらされた過去および将来におけるビキニ環礁使用の喪失、放射能汚染除去による環礁復旧費用、財物および間接的被害による苦難にたいする補償として、原告らに少なくとも合計5億6103万6320ドルに法定利息を付け加えた額を支払うよう命ずること。
 6.本裁判所が、上記の救済措置および裁判所が正当かつ公正と見なすこれ以外の救済措置を認めること。

原告代理:

ジョナサン・M・ワイズゴール公認登記弁護士
1200 New Hampshire Ave. N.W., Suite 300, Washington D.C. 20036-6812
Tel: (202) 828-1378 Fax: (202) 828-1380

2006年4月11日

弁護団:

ロバート・K・ハフマン
ミラー & シュバリエ公認法律事務所
655 15th St., N.W. 
Washington D.C. 20005
Tel: (202) 626-5824 Fax: (202) 626-0858
エリザベス・ランガー
エリザベス・ランガー法律事務所
3712 Ingomar Street, N.W. 
Washington, D.C. 20015
Tel: (202) 244-0456 Fax: (202) 244-0456




 
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