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被爆者との連帯【マーシャル諸島】

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ロンゲラップ環礁自治体
マーシャル諸島核実験被害者
ノリオ・ケベンリ(1999年ハーグ平和アピール会議)

ハーグ平和アピール会議
オランダ、ハーグ、1999年5月11-15日
世界の被ばく者セッション

ロンゲラップ環礁自治体
マーシャル諸島核実験被害者
ノリオ・ケベンリ


  議長、ならびに来賓のみなさん、そして参加者のみなさん。本日、ロンゲラップ島民、とりわけ、核実験の被害者を代表して、皆さん方の前で発言する機会を得たことを、とても光栄に思います。最初に、みなさんに私がどこの誰であるのか、どこから来たのかなど、よりよく理解していただくために、自己紹介をさせて下さい。

  私の名前は、ノリオ・ケベンリと申します。私は、1943年7月21日、マーシャル諸島のロンゲラップで生まれ、高校に通うために、マジュロに行くまで、ロンゲラップで過ごしました。マジュロに4年間いて、その後、クワジェリンのイバイに行き、米軍基地で働いていました。6年前に、会計担当としてロンゲラップ島民のために働くようになるまで、そこで働いていました。私は、ロンゲラップ自治体で、最初は、議員として、そして今は、事務員として、働いています。私は、外国で開かれたこのような会議で、島民を代表して、何度か話をしたことがあります。

  この場で、私は日本、ノルウエー、サイパンの人々の前で、また、アメリカの議会などで、話した同じ話を、みなさんにしたいと思います。この話は、私の人生の一部であり、日々、私が扱っていることです。時間が限られていますので、フォールアウトの後、実際に何が起こったかなど、すべてを語ることはできませんが、私たちは被害者であり、ひどい被害を受けたことをみなさんにわかっていただきたいと思います。

 

  1954年3月1日の朝早く、アメリカは一連の核実験のひとつを、ロンゲラップ環礁の西約100マイルの所で行ないました。その日は、とてもすがすがしい朝で、いつものように朝早く起きて、姉たちが、学校の給食の用意するのを手伝っていました。その日は、私たちが、学校の給食を用意する当番でした。午前5時半ごろ、私が調理室の外に立っていたら、突然、西の方が、大きく光りました。数分後、西の方向に、大きなオレンジのような色の雲が現れるのを見ました。それは大きな木のような形をしていました。何が起こっているのかわからないまま、私は雑用を続けました。一時間ほどして、とても大きな音がしました。大きなかみなりが西から起こり、東に走ったような音でした。私は恐ろしくなり手を止めました。他の島民も同じでした。その日の午後おそくなって、私たちの何か降ってくるのを感じました。目がちくちくし、理由も分からず具合が悪くなり、私たちは、何か恐ろしいことが起こったのではとこわくなりました。私たちは、何が起こっているのか、知りませんでした。

  まさにその日の午後5時ごろ、軍の水上機が1機やってきました。2、3人の軍人が飛行機から降りてきて、島の放射能レベルを測る器具を持っていました。島は、黄色がかった物質に覆われていました。家の中も外も、この物質に覆われていました。私が鮮明に覚えているのは、飛行機から降り立った軍人たちが、1時間もしないうちに島から帰ったこと、帰る前に、当時は教師をしていた前市長のビリエット・エドモンドに、貯水槽の水を飲むな、そして島の食べ物を食べるなということを、島民に伝えろと言ったことです。島民はまた、避難する計画があることも知らされました。

  次の日、3月2日朝7時、軍の船がやってきて、島民は船に乗って、クワジェリンに避難させられました。そこで、次から次へと体の検査を受けました。私たちは具合が悪くなり、混乱していました。クワジェリンへの旅は、終わりのない旅への始まりでした。私たちはしばらく、そこで軍の管理下におかれ、一時的な避難先として、エジット島に移されました。この小さい島は、私たちの故郷から遠く離れ、1957年に故郷の島に戻るまで、そこで4年間過ごしました。私たちの島が汚染されているとは知らず、故郷の島に帰り、私たちは幸せでした。しかし、幸せは長くは続きませんでした。1985年、今は亡きジェトン・アンジャイン上院議員が、もう一度ロンゲラップを離れ、クワジェリン環礁の小さな島メジャット島に住むことを決めたのです。私たちは、それ以来、この島に住んでいます。ここでの生活は大変です。病院、店、教会、学校など、設備が十分ではありません。食べ物や生活必需品を手に入れるために、一番近い島でも、ボートで70マイルも行かなければなりません。医者の治療をうけるために、病人はボートで運ばれますが、荒波の中、患者自身も大変な思いをします。いつ、私たちの故郷の島が安全になり、再び帰って住むことができるようになるのか、わかりません。

  これはいつも私が言っていることですが、ロンゲラップを代表して、私はもう一度、そのことを強調したいと思います。ロンゲラップの島民は、自分たちの島ばかりでなく、世界のどこにも、核実験はくり返されてはならないと思っています。このようなことが、みなさんや、ここ、オランダで暮らす人々のうえに、起こってほしくありません。最後に、私たちは、世界の核実験を阻止するための運動をひきつづき支持し、成功を祈っていることをお伝えして、私の発言を終わります。





 
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