ENGLISH 旧サイトへ
原水協(原水爆禁止日本協議会)
被爆者との連帯 ビキニデー 平和行進 世界大会

被爆者との連帯【カザフスタン】

Share|

アブラリンスク地区主任医師
シャハンタエフ・アキンバイ(1995年国際シンポジウム)

カザフスタン

被爆50年国際シンポジウム(1995年7月31日~8月2日、広島)

アブラリンスク地区主任医師
シャハンタエフ・アキンバイ



  私は、セミパラチンスク核実験場のあるカザフスタン共和国セミパラチンスク州アブラリンスク地区を代表して発言します。私を招待し、発言する機会を与えてくださったシンポジウム実行委員会に心から感謝します。

  広島・長崎にアメリカの原子爆弾が投下されてから50年がたちました。私たちは、原爆の悪夢がもたらした痛手と苦悩を誰よりもよく理解しています。なぜなら、私たち核実験場のすぐそばに暮らす住民は、核実験の被害を目にし、その被害とともに生活しているからです。

  私たちの地区は、悪い意味で名が知れています。セミパラチンスクから130キロ離れた場所で、ソ連は40年間にわたって核実験を実施しました。1949年から1963年までは地上および空中核実験、1963年から1989年までは地下核実験でした。

  核実験とセミパラチンスク核実験場の全活動は極秘裏にすすめられ、実験の事実は市民に知らされず、彼らは核実験とその被害がもたらす危険性について何も知りませんでした。

  核実験場一帯の自然・気候条件により、実験場から至近距離にある居住地域の住民だけではなく、セミパラチンスク市のような爆心地から100キロ以上も離れた場所の住民も「核のきのこ雲」を目にしました。放射性の雲は、強い風に運ばれ、ときには実験場から数百キロ離れた場所にまで広がりました。

  その結果、カザフスタンのセミパラチンスク州、パヴロダール州、カラガンダ州、東カザフスタン州、またロシアのアルタイ地方の住民が被害を受けました。

  市民にたいする核実験の有害な影響を白日のもとにさらすため1960年代におこなわれたバルムハノフ氏を責任者とする研究者グループの試みは、特別な機関によって厳しい取り締まりを受けました。

  公式データによると、核実験の期間、放射能の危険にさらされた地域に住んでいた人々は、5~100レムの体外および体内ガンマ線に被曝しました。核実験後、いくつかの居住地区では、場所により、放射線が1時間あたり50レントゲン以上に達したときもありました。

  カザフスタン国立放射線医学・環境調査研究所(現在の名称は診療所)の調査結果は、核実験の期間、居住地区の上空を放射性の雲が通過し、体外ガンマ線被曝、食物、水、大気に含まれる放射性物質の摂取による慢性的な体内被曝があったことを示しています。

  地下核実験後、放射性ガスが地表へ流出し、住民は度重なる低量放射線にさらされました。

  セミパラチンスク州のセミパラチンスク核実験場でおこなわれた40年間の核実験の期間、さまざまな居住地区に何回かにわたって放射性降下物が降り注ぎ、住民が大量の放射線に被曝するという状況が生まれました。こうした居住地区には、ドロニ、チェレムシキ、モスチク、カノネルカ、ズナミョンカ、サルジャル、カラウル、カイナルといった村々が含まれています。

  デレゲン山地でおこなわれた地上および空中核実験では、セミパラチンスク州のバイスク、アブラリンスク、ジャナ・セメイスク地区での放射性降下物の飛散をともなったことに注目する必要があります。とりわけ不利な諸条件のもとに置かれたのは、アブララとカイナルなどの居住地区でした。

  1951年9月24日、デゲリン地区で1949年の原爆実験とまったく同様の地上核実験がおこなわれました。この実験による放射性降下物はカイナル村の住民に被害をもたらしました(被曝線量60レム以下)。1953年8月、核爆弾(威力470キロトン)の爆発にさいして、住民の一部はまだ安全地帯に移住されられていなかったので、またしてもカイナルの住民が被害を受けました。1963年までに、この居住地区の住民は、少なくとも10回以上、放射性降下物による放射能の影響下におかれました。私たちの手元にある情報によれば、核実験がおこなわれた全期間にカイナルの住民が受けた放射線の総量は、少なくとも250レムに達しました。

  住民が移動する率がきわめて低いというこの地区独自の状況により、アブラリンスク地区全体とカイナル村の一部に、1949年から1989年までにおこなわれた事実上すべての核実験を体験した住民が、現在に至るまで住み続けているという条件がつくり出されました。

  当然、こうした状況はこの地区に住んでいる住民の健康状態に影響を及ぼしました。

  カイナル村の住民の深刻な放射線被害にかんする最初の情報は、1957年、アカデミー会員のS・B・バルムハノフが入手しました。禁止されていたにもかかわらず、彼とT・D・アトチャバロフ教授は、この地区に医学調査隊を派遣しました。私たちの手元には、その調査結果の報告書があります。カイナル村の住民の30~40%に、歯茎、粘膜、鼻、腸の出血といった形で現われた独特の症状が集中的に現われたことが、マルムハノフによって明らかにされました。脱毛、極度の疲労、全般的虚弱、労働能力の喪失が集中的に現われました。住民自身が指摘したことですが、こうした病気はこれまで彼らが一度として経験したことのないものであり、核実験が開始されて初めて発生した病気でした。こうした後遺症の症状は、「カイナル症候群」と名づけられました。核実験場周辺に住んでいた住民の放射線障害は、その他の居住地区の住民のなかにも目につくようになったことを指摘する必要があります。

  S・B・バルムハノフは、カイナルの住民のなかで、皮膚の早期老化現象をはじめて発見しました。1958年のモスクワ政府の報告が発表されたあと、S・B・バルムハノフは医学調査の結果を修正するよう命じられましたが、彼はこれを拒否し、アバイスクおよびアブラリンスク地区での医学調査の実施が禁止されました。

  これが、私が働いている村の簡潔な歴史です。

  カイナル村の住民の健康状態の医療調査を1961年から極秘裏に実施したのは、モスクワの命令でつくられた特別な医療機関、ソ連保健省第4診療所でした。現在、1991年の文書解禁後、私たちはこうした調査結果を利用できるようになっています。アブラリンスク地区とカイナル村のほぼすべての住民は、診療所で検診を受けています。

  基本となる被曝から6~10年が過ぎると(1960~1965年)、住民のなかでの腫瘍罹患率と腫瘍死亡率が急激に上昇しました。腫瘍死亡率上昇の第一のピーク(1965年)では、死亡率は人口10万人あたり300~350人に達しました。腫瘍死亡率の構成比は、胃腸や肺の腫瘍、白血病が圧倒的でした。腫瘍死亡率上昇の第二のピークは被曝から19~25年たってからの時期に集中しました(1970~1975年)。この時期、カイナルの住民の腫瘍死亡率は、人口10万人あたり300人に達しました。放射能が誘因となった腫瘍による腫瘍死亡率のリスクは、10万人あたり184件でした(1983年)。

  カイナル村の住民にたいする初期およびその後の時期の放射能の影響により、乳幼児死亡率が非常に高くなりました。被曝から2?9年では新生児1000人あたり98件、被曝から22~25年では新生児1000人あたり82件でした。

  カイナル村の住民の遺伝的な放射能後遺症は、新生児のなかでの成長障害率(先天的障害率)の上昇をまねきました。成長障害率が新生児の1.9%~2.6%に達した年もありました。成長障害の内訳で小頭症と頭蓋骨の成長障害が圧倒的になっていることは、放射能が成長障害増加の原因であるという明白な証拠です。アブラリンスク地区には3200人の子どもがいて、そのうち障害児が149人いますが、彼らは重度の先天異常を持っています。カイナル村の未成年および成年構成員のなかでは、免疫不全状態、さらに白血病、リンパ腫がほとんど間断なくあらわれてきました。こうした病気は体の防衛機能を低下させ、とくに子どもたちのなかで、感染性疾患の罹患率(死亡率)の上昇をもたらしました。

  これまで述べたことに加え、被曝から17~25年たつと、特別医学調査により、アブラリンスク地区(この地区にはカイナルも含まれています)の住民のなかで、先天障害である退縮症が進行していることが立証されました。この症状は血管の機能障害をまねき、動脈硬化を引き起こします。

  核実験の開始から40年以上がたったにもかかわらず、住民のなかでの放射能の医学的影響が現われ続けています。

  カザフスタン国立放射線医学・環境調査研究所が実施した調査(1993~1994年)は、カイナル村の成年・未成年の住民に高い水準の罹患率が現われていることを示しました。一人あたりの疾病数は前例のない数値に達しました。すなわち、子どもでは13~14、大人では11?12という数値です。罹患率の平均値は、心臓血管系疾患、伝染性疾患、内分泌系疾患、精神病、血液と血液造成器官の疾患が、被曝者以外の人びとや共和国全体の数値と比べて2~3倍上回っています。腫瘍罹患率の構成比は、乳腺ガン、胃腸の腫瘍が高くなっています。カイナル村のカザフ人女性のなかでの乳腺ガンは、1980年と比べて10~15倍に増え、人口10万人あたり20~28件になっています。依然として乳幼児死亡率が高くなっています。被曝した親から生まれた新生児のなかでは、乳幼児死亡率は新生児1000人あたり46~52件になっています。

  核実験被害の規模は甚大であり、それを完全に一掃することは不可能で、軽減し緩和することができるだけです。そのためには莫大な資金や資源、時間が必要です。 核実験によってもたらされたこの地域の悲劇的状況を理解し、重要な法律を制定する必要がありますが、それは私たちの共和国での経済危機が深刻化している時期と重なっています。

  したがって、被害者の登録作業はほとんど進んでおらず、放射線環境測定も実施されていません。被曝者の医学的・社会的治療のための国家プログラムもありません。「セミパラチンスク核実験場での核実験による核実験被害者の社会的支援にかんする法律」は部分的にしか施行されていません。

  セミパラチンスク州だけでも、登録されている被害者は85万人にのぼります。

  住民と周辺環境に及ぼされた核実験の影響にかんする問題は多様です。1回の発言で語り尽くすことは困難です。

  カザフスタンは、核保有国のなかで初めてかつ唯一核実験を禁止している国であり、世界でもっとも頻繁に核実験がおこなわれた実験場を閉鎖しました。核実験被害を一掃するための国際的な援助がセミパラチンスク地区に必要です。とりわけ、医学的・社会的治療のための緊急措置が求められています。核実験被害者同盟は、こうした仕事をすすめることのできる医学者や専門医師の皆さんと協力しています。そのためには、医療機器、薬品、資金が必要です。 セミパラチンスク核実験場での核実験被害者を援助してくださる方すべてに感謝します。同胞を代表し、アブラリンスク地区復興のための国際基金の創設を提案します。

  このシンポジウムには、全世界から核実験被害者、著名な学者、社会運動、世界各国のNGOの代表が参加しています。私たちは、親愛な参加者のみなさんが、核兵器の全面禁止・廃絶に役立つあらゆる措置をとるよう、国、政府、国際機関、国際世論に提案してくださるようお願いします。

  私たちは、広島、長崎、セミパラチンスクの悲劇が繰り返されることを絶対に許しません。

  核兵器の使用・実験がひきおこした被害の真実を世界に知らせなければなりません。核兵器を製造し、核実験を実施した国家・政府は、核の被害と被害者の補償に責任を持つべきです。

  私たちは、こうした目的を達成するため、手を取り合って協力しなければなりません。それは、核実験被害者と将来の世代にたいする私たちの責務です。





 
PDFWEB署名