2006年5月アーカイブ

原水爆禁止2006年世界大会まで、残すところ2カ月となりました。

 今年の世界大会には、核超大国アメリカの横暴に立ち向かう世界的結集の場としてすでに内外から多くの期待が寄せられています。

 日本原水協は、先の常任理事会(4月)で6月、7月の2ヵ月を世界大会への代表選出を中心とする大会成功のための特別行動月間とすることを決めました。

 以下の文書は、「月間」のための「よびかけ」です。日本原水協を支えてくださっているすべての中央団体、都道府県原水協のみなさんが、それぞれの都道府県本部や支部、地域原水協と加盟団体にこの「よびかけ」を普及し、ただちに行動を開始してくださるようお願いいたします。

声明 国・厚労省の大阪地裁判決控訴への抗議
内閣総理大臣 小泉 純一郎殿
厚生労働大臣 川崎 二郎殿

抗 議 文

 日本政府は本日、さきに原爆症の認定をめぐって、大阪地裁が下した被爆者全員の勝訴判決に関して控訴することを決定した。
 周知のように、現在全国13の地裁で行われている原爆症認定集団訴訟はいずれも、癌などをかかえる被爆者の原爆症認定申請にたいして、日本政府がそのほとんどを却下し続けていることに起因している。実際、原告のほとんどは、「私は健康というものがどんなものか知らない」、「わずかにしか残っていない命と向き合って生きている」というほどの困難のなかで、訴訟を続けている人たちである。
 現在の被爆者行政は、原爆の特殊性と「高齢化の進行している被爆者」の実情を考慮し「総合的な援護対策」を旨としてつくられたはずの「援護法」に照らしても、あまりに機械的で冷酷という他はない。日本政府のこの姿勢と、申請却下の根拠としてきた基準やその機械的適用の非科学性もすでに、この間下されたほとんどすべての判決で指摘されている。
 今回の控訴は、「残された命」と向き合って生きている被爆者に対する二重の冷酷な仕打ちというしか言いようがない。
 我々は、日本政府に対してただちにこの控訴を取り下げ、国が引き起こした戦争の犠牲への補償として被爆者援護行政を抜本的に見直し、是正するよう強く要求する。
2006年5月22日
原水爆禁止日本協議会

5月12日、大阪地裁で「私たちの病気を原爆によるものと認めてほしい」と訴えていた被爆者9人が全面勝訴の判決を勝ち取りました。

去る5月12日、大阪地裁において、原告9人全員に原爆症の認定をすべきだという判決が下されました。これは全国13の地裁で170人の被爆者がおこなっている第1次集団訴訟の最初の判決として、きわめて重要な意味を持っています。

私の町には、会員50人近い老人会があります。このたび総会が開かれ、23人が出席しました。席上、「すみやか署名」への賛同を訴えたところ、全員が快く応じていただきました。

会長さんが、「私たちの生きている間には戦争はないと思うけど、さいきんの日本はなにやらおかしなってきましたな」と発言されたら、戦争を体験してきた世代の人たち、みんな、シーンとしてしまいました。現在の日本を「戦前」にしてはならないと思います。

私は、4月には医療生協の患者会と班会で、その前には親戚の法事でと、人が集まるところでお願いしてきましたが、署名はどこでもこぞって賛同いただいてきました。

それに、核兵器や戦争が話題になって大いに励まされるのはうれしい限りです。この力をひろげ、原水爆禁止世界大会へとつなげたいと願っています。

三重県原水協 落合郁夫

第五福竜丸展示館は今年6月10日で開館30年目を迎えます。

アメリカの水爆実験で被災した第五福竜丸は、廃船処分後夢の島に棄てられていたところを市民による保存運動がよびかけられ、1976年都立の展示館に保存展示されました。

保存がよびかけられた1969年3月に放送されたNHKドキュメンタリー作品『廃船』は、当時の船の姿を記録した貴重な映像であるとともに、原水爆禁止に寄せる人々の思いを伝え考えさせられます。

5月12日午後2時、大阪地裁で判決が出された原爆症認定近畿集団訴訟で9名全員の勝利判決を勝ち取りました。

日本原水協が発表した声明全文は以下の通り。

声明 原爆症認定集団訴訟大阪地裁判決にあたって
2006年5月12日 原水爆禁止日本協議会

 全国13の裁判所で争われている原爆症認定集団訴訟で、12日、大阪地裁は、同法廷で争われてきた9件の提訴のすべてで原告被爆者を勝訴とし、国に却下処分の取り消しを求める判決を下した。

 原告被爆者は、いずれも多くの困難と健康被害に苦しみながら裁判に耐えてきた人たちである。判決に当たって、原告被爆者の労苦を称えるとともに、判決文に目を通しながら、これほどの被害にたいしてなお救済が却下されていたことに怒りを禁じえない。

 いまたたかわれている170件の訴訟の最大の焦点は、国が恣意的な基準を設けて、事実上原爆の残留放射能が引き起こした被害への救済をほとんど機械的に切り捨ててきたことにある。これまでも長崎原爆松谷訴訟、京都の小西裁判、東京地裁と高裁での東訴訟など、この間の判決はすべて原告を勝訴として国の認定基準に強い批判のみを向けてきた。にもかかわらず、国はなお、「原因確率」などあらたな算定方式などを持ち出し、事実上、遠距離被爆者や救援などで後から市内に入った被爆者などをひき続き原爆症認定から締め出す態度を変えないできた。

 今回の判決はこの点にも踏み込んで、遠距離被爆や入市被爆者への影響を認め、厚労省が却下の根拠としている「原因確率」についても、一定の距離以遠では「値が過小評価になっている」可能性を指摘し、機械的適用を強く戒めている。

 もともと原爆被害は国がはじめた侵略戦争に起因する被害として、国家補償の見地に立った救援が強く求められてきた。被爆者の多くは、原爆により心身の被害を受け、頼るべき身よりも財産も失い、これまでの60年余、苦難の歳月を過ごしてきた人々である。政府は、これ以上、被爆者を苦しめるのでなく、被爆者の現状を直視して被爆者援護行政を抜本的に改めるよう重ねて強く要求する。

 5月8日(月)午後3時から4時半まで、旧琴海町(現長崎市)にある明誠高校門前で、下校中の高校生を対象に署名に取り組みました。これは西彼原水協が会議を開いて準備したものです。


 爆写真を展示し、ハンドマイクで訴えました。高校生たちは笑顔で署名しながら「頑張ってください」と大きな声で励ましてくれました。樋口事務局長は「大瀬戸にも、長与にも高校はいっぱいあるけんねー」と、次の目標をめざしていました。


 商店街もなく人通りも少ない田舎で、家庭訪問しても、子どもか老人しかいない町での行動は難しいけど、「なんとしても...」の決意がこの行動となったものです。書名数85筆でした。

兵庫県原水協(筆頭代表理事・多上尚之)は9日、神戸市中央区の元町商店街で核兵器廃絶などを訴える「6・9行動」を行いました。


兵庫県原水協の梶本修史事務局長などはマイクで、「高知県の港に核兵器を積むことのできるアメリカの軍艦が寄港する計画が明らかになった。非核『神戸方式』を31年間も維持してきた神戸市民として中止を要求しましょう」と呼びかけました。そして、「核兵器廃絶を求める世論こそ非核の日本と世界を実現する力です」と、核兵器廃絶署名への協力を訴えました。


参加した兵商連の武貞直人事務局次長やAALA連帯委員会の上田恵事務局長など8人が、小雨の中、退勤時の人々などに、「国連に提出する署名にあなたもご協力を」と呼びかけました。東京都から観光に来たという高齢の夫妻は、「広島・長崎の悲劇をもっと世界の人に知ってもらうことが大切」と話しながら署名に応じました。


署名賛同者の女優の上戸彩さんなどの写真を印刷した巨大ポスターに目をとめた数人の高校生たちは、「広島の原爆資料館で受けたショックを今も覚えている。早く核兵器を無くしてほしい」と口々に語りながら署名しました。


雨が降り出す悪天候の中でしたが、「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名が83人分集められました。

兵庫・梶本修史

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「あっ!上戸彩だ」-。中学生たちの声が新緑の爽やかな上野の杜に響きます。日本原水協は9日、上野公園口で6月カナダ・バンクーバーでの「世界平和フォーラム」、8月の原水爆禁止世界大会へと「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名を飛躍させていくための「6・9行動」を行いました。また、9日ということで、憲法九条守れの署名も一緒に集めました。

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SMAPの『トライアングル』や『世界にひとつだけの花』の音楽が流れる中、上戸彩さんの顔が入ったポスターを見た静岡、愛知、三重などから修学旅行に来ている中学生が群がるように次々署名。「原爆と人間展」パネルを食い入るように見ていた女性は、「美術館に絵を見に来たけど、原爆ドームの前で雪を食べている子どもの写真が印象的ですね」と話しながら署名しました。

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1時間の署名行動には東京原水協、台東原水協、日本平和委員会、日本のうたごえ全国協議会、自治労連、民青同盟中央委員会などから18人が参加し、「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名135筆、原爆症認定訴訟の公正な判断を求める署名26筆、憲法九条守る署名17筆、カンパ4800円が集まりました。

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