よみもの
「非核の政府を求める会」が発表した核兵器関連決議に関して主要な国連加盟国の姿勢の一覧表を転載します。
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みんなで歩こう
和歌山県 山林恵美子
「国民平和大行進」今年もみんなで歩きましょう。わが町は5月18日です。
『原爆と文学』終刊によせて
千葉県 夏目侑子
私も執筆者の一人として関わってきた“原爆と文学”誌(年刊)が今年版で終刊となった。日本原水協の理事でもあった故山口勇子さんの発案で誕生した本誌の創刊は35年前の1972年7月。5号まで刊行の後、一時休刊を経て、被爆50年の1995年再刊。12年間、年一回刊行されてきた。私は「通信」読者でもあり、日本民主主義文学会広島支部の篠垤潔氏に文才を見込まれて1997年版より提稿。10年間関わった。駆け出しの頃は、執筆ページに応じて普及分担があるとはつゆ知らず。書きたいだけ書いて大量の普及を抱え、途方に暮れた時もあった。とにかく、あらゆる場に持っていっては、回らぬ舌で宣伝し、一人でも多くの読者を確保することに必死だったように思う。
驚くほど普及が順調に進み出したのはつい最近のことだ。本誌に関わって様々な出会いがあり、学ぶことも多くあったのだが、取り分け、書き手である“私”と、読み手である普及先の方々との信頼関係の大切さ。今、様々な企業が実に些細な不手際から連日のように新聞等におわび広告を出し、社長名で陳謝しているが、信頼を失うのはあっという間でも、失われたそれの回復に、どれだけ時間を要すことか。今日まで、私の拙い作品に惜しみない励ましを下さった方々に、この紙面を借りてお礼を申し上げると共に、長く編集を手がけてきた増岡敏和、篠垤潔両氏にはこの間の労をねぎらいたいものだ。私がこの10年間で一番嬉しかったことは、今は亡き田川時彦先生に、己の文才を認めていただいたことである。
50回目すごい
新潟県 池津恵美子
国民平和大行進、もう50回目、すごいですね。私はまだ1度も歩いたことがありません。私の両親はもう年なので歩くことはできませんが、見送りには毎年行っています。核兵器をなくし、戦争のない平和が来ますように…!!
歩いたこと思い出した
佐賀県 吉末敏文
『原水協通信』を3年ぐらい読んでいます。今回はカラーの「平和大行進」のポスターが入っていました。昔「歩いたな」。佐賀~牛津~江北~有田~県境へ、32歳のときでしたか?今年はすこし歩いてみようと思っています。
全世界に訴える
岡山県 井戸原一行
広島・長崎の原爆に今も被爆者は苦しんでおります。憲法九条改悪絶対反対!!全世界に訴え続けます。
思わず心の中で叫んだ
山形県 角川洋一
3月号のパズル欄に第193回の当選者として小生の名がありました。送られてきたのが図書券ならぬ、原水爆禁止運動の歩みを図版・写真・解説・年表で満載した記録集!!思わず心の中で「おお!!」と叫んでしまいました。ありがとう!!
ただちに被爆者救済を
東京都 村野陽太郎
国は仙台、東京両地裁の原爆症認定集団訴訟の被爆者救済をもとめる判決をふみにじり控訴をしました。まったくひどい、国の認定行政を厳しく断罪した判決を素直に認め、なぜ救済の手をさしのべようとしないのか。一審のとき以上の力を出してすぐにたたかいはじめる。
もっと歩く努力したい
東京都 北山征一
「歩きつづけて50年原点に」が印象深く、東京だけでなくもっと歩きたいが…(でも少しでも努力したいものです)。
不安全増大会議
広島県 大越和郎
政府がつくった「安全保障会議」なるもののなかで最初に議論し実行しているのが多額の税金を使って「ミサイル防衛」のための兵器を全国各地に配備することでした。
北朝鮮の「核兵器開発・ミサイル発射」が「追い風」となっているとうそぶきます。「拉致問題が解決しなければ国交回復はない」と筋をとおしているようにみえますが、北朝鮮との関係が良くなることは彼らにとっては「向かい風」になるとでもいっているようです。うがった見方をすれば人道問題を軍備増強に利用しているともいえます。
万一ミサイルがとんできてもその兵器で安全が確保される保証もないといいます。かえって、アメリカの軍事戦略にくみこまれることで日本の危険は増大することが懸念されます。
「安全保障会議」は名を「不安全増大会議」にかえたらより事の実態と本質がわかりやすくなります。
素晴らしい選挙戦を
三重県 坂久
いま新しい政治の創造のため、全国各地で厳しい選挙戦が繰り広げられています。みんなが、いきいきと生活することができる国をつくるために、みんなで素晴らしい選挙戦を展開しましょう。
平和の足跡刻みたい
兵庫県 前原昌和
「2007年国民平和大行進」の記事で、ポスターのスローガンが「核兵器をなくそう、憲法9条を守ろう 非核日本宣言を実現しよう」となっていることを知り、とっても納得できた。また、「50回」目を迎えたことにも何か誇らしい気分を味わった。兵庫にはほぼ例年通りの7月7日から16日に入る。節目の年に私自身も「平和の足跡」をしっかり刻みつけたい。
核兵器の惨害から守れ
栃木県 本田新太郎
どんな国でも核武装は一日も早く廃絶すべきであり、北朝鮮が核兵器を1、2個持つ事も勿論だが、アメリカやロシアの如く何千発も保有している如きは人間の顔を持ったアクマの顔でしかない。核兵器の一斉の廃棄こそ人類平和の象徴であらねばならぬと思う。今こそ地球を核兵器の惨害から守るべきである。
多忙化する教師たち
埼玉県 新島善弘
教師が多忙化している。教師になって18年目だが、昔ならできていたことが時間がなくてできなくなっている。生徒たちともっともっと楽しく学校生活を送る時間があったのに…。多忙化し、平和について語り合う時間もない…。こんなんでいいのだろうか?
各国の運動知りたい
福岡県 早田明文
核兵器廃絶運動は全世界の大きな流れになっている。各国の運動に関する情報記事が欲しい。
原爆症認定近畿訴訟原告のひとり、川崎紀嘉(きよし)さん(岸和田市在住、81歳)が26日、閉塞性動脈硬化症、糖尿病、心筋梗塞などの合併症で亡くなられました。
2004年3月19日、川崎さんが大阪地裁で陳述した内容を紹介します。
見出しは、岸和田原水協・川崎隆さん。
ぼくらは差し出す
一枚の署名用紙を
For the Swift Abolition of Nuclear Weapons
「すみやかな核兵器の廃絶のために」
世界に呼びかける
ぼくらのねがいに
あなたは賛同の顔写真を
署名用紙やポスターに焼き付けた
伊藤一長・長崎市長
07・4・17・PM7:50
二発の凶弾があなたの胸と心臓を貫いた
あなたはたおれた
あなたは死んだ
犯人がどんな理由をつけようとも
被爆地・長崎から
人類の希望を語りつづけた市長の
二人目を抹殺しようとしたのだ
獣のように
ぼくらはあなたの死を無駄にはしない
イラクのテロを憂いながら
“核兵器のない真の平和の実現”を と
若者に託した
あなたの願いを
硝煙が立ちこめ
核の恐怖の絶えない地球にあって
くさかしんすけ
札幌市羊ケ丘原水協事務局長(詩人会議会員)
英語教科書の教材に
静岡・粕谷たか子

2005年NPT再検討会議に日本原水協代表団の一員として参加された粕谷たか子さん(静岡県高教組委員長)の活動が英語教科書の教材になりました。粕谷さんに手記を寄せていただきました。

私は05年NPT再検討会議への「核兵器廃絶」要請行動でワシントンとニューヨークに行く機会に恵まれました。この好機を最大限活かして、「ピースメッセージ配達人」の取り組みを行いました。英語授業を担当している高校3年生120人に書いてもらったピースメッセージ70枚を、現地で出会った人に渡して返事を書いてもらう、またインタビューをビデオに収めて持って帰るというものです。現地で集めたピースメッセージは34人分。インタビューは10余人。これらをまとめて報告冊子とDVDを作成。生徒たちはとても感動、英語と平和への関心が高まりました。

この実践を知った教科書編集者から「ぜひ教科書に載せたい」とお話がありました。報告冊子とDVDをお渡ししたところ、第五福竜丸事件と結びつけたストーリーに仕上げてくれました。「第五福竜丸事件についての静岡大学公開講座に参加した高校生が、核兵器に関心を持つようになり英語の先生にその話をする。先生がアメリカに行く時に生徒のピースメッセージを持って行き・・・」と展開。

教科書には、私の生徒やピースメッセージを手にしたパレード参加者、インタビューに答える14才の少女、路上で折り鶴を教えている長野県の先生などのカラフルな写真がいっぱい。現地の人が書いてくれたメッセージには、核廃絶と平和への願い、世界に核廃絶を訴える日本人賞賛の言葉が書かれています。編集者は、このような生のメッセージはとても貴重と評価してくれました。この教科書は4月に出版予定です。
春と冬が反対に!?
新潟県 池津恵美子
春と冬が反対になったようなお天気で、最近では毎日のように雪やあられが降っています。本当に寒いです!桜の咲く声も聞かれていたのに、またのびるのかなあ~。私は夏が好きです!早くこい!
我々は愚者ではない
千葉県 夏目侑子
去る2月20日、千葉地裁で、集団訴訟第16回目(第一次分)及び第3回目(第二次分)の口頭弁論があって、3回目開廷分では、日本被団協の岩佐先生が意見陳述された。自身の“あの日”の体験と当時の状況に始まり、倒壊家屋の下敷きとなった母親を救出出来なかったことへの後悔と被爆死した妹への思い、被爆後ずっと抱いてきた健康不安を述べた後、今回の提訴理由として「既に二つの“がん”(皮膚・前立腺)で原爆症認定されてはいるが、今回改めて提訴したのは(原爆が)一人の被爆者に斯くも様々、かつ複数の疾病を引き起こすということを、国に知ってもらいたいから」と述べられた。国は先生の言葉によくよく耳を傾けて真摯に原告・被爆者と向き合い、早急に現行制度の抜本的改善を図るべきであろう。
後半、国は先に出された1月31日の名古屋地裁判決に対する批判意見書を持出してきたが、そこに反省の色は全くなく、長崎松谷訴訟時に於ける反論の内容に似た文面を並べ立てて、下劣な内容に終始していた。松谷訴訟の勝利からかなりの年月が経っているが、その年月経過につけこんで「傍聴者には意味が判るまい」なんてなこと思っているのだろうか。そこまで我々は愚者ではない。フザケルナ、そう思った。
改憲法案阻止に全力を
神奈川県 小島達司
「国民投票法案」阻止共同闘争推進を自民公明政府は、単独でも国民投票法を成立させるべく異常な姿勢で国会に臨もうとしている。狙いは憲法改悪、戦争国家成立であることは、いうまでもない。そこで大急ぎでやらなければならないことは、「死ぬのはいやだ」「戦争はいやだ」という大部分の国民を総動員して法案阻止のためにありとあらゆる闘いを展開することだと思う。日本原水協はそのための先導的役割を果たすべきではなかろうか。ビキニデーに参加したので、いっそうその思いを強くしたのである。
読者のこえ欄好き
京都府 中島洋子
読者の意見の欄が好きです。いつも「そうなんだ」とうなづきながら読んでます。
岡山県 井戸原一行
広島原爆のような戦争は永久になくしたいとさけびます。
右翼の本音あからさま
東京都 村野陽太郎
安倍首相は本気で旧日本軍の「慰安婦」問題で「強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」と発言。米のマスコミが歴史を修正する国粋主義者」だと断じている。右翼の本音があからさまにおもてに出た(吹き出た)ものだ。いまの世に国粋主義、軍国主義はまったく無用。すぐ退陣しろ!
運動の大切さ再確認
三重県 坂 久
『原水協通信』3月6日号8面「3・1ビキニデーから世界大会へ」を読ませていただき、平素忘れ気味な原水爆禁止運動の大切さを再認識しました。53年前を再確認し、精一杯頑張ります。
核戦争で地球滅びる
栃木県 本田新太郎
現代の最悪兵器(原水爆)の問題で最悪最強の軍備国はアメリカである。日本はこのアメリカの核を戦争抑止力と言っているがとんでもない。この根源を絶滅しなければ、世界の恒久平和も安全保障もない。今後世界で大戦が起これば核戦争となり、人類も地球も絶滅するのだ。
非核宣言の疑問解決
兵庫県 前原昌和
「『平成大合併』のもと『非核平和宣言』運動の新たな発展を」との記事に接し、疑問に思っていたことが解決しました。合併前の自治体での「非核平和宣言」は、合併と同時に失効するのですね。また自治体名が合併後も続く吸収合併の場合、その自治体の「非核平和宣言」は維持されるのかあ。当たり前といえば、当たり前かもしれないことですが、気になっていました。
初孫誕生で考えた
兵庫県 上田宇堂
1月に男児の初孫が誕生。昨年「法定老人」に達した私は、ついに「おじいちゃん」になりました。感慨とともに将来を考えずにはいられません。この子が大人になった頃、私はもういないと思いますが、どんな時代になるのか関心は強まります。若者の雇用は進んでいるのだろうか。平和で豊かな社会にのびのびと、またはつらつとこの子たちは生きるだろうか。あるいはその先の将来も就職難が続き、いま積極的派兵を宣伝中のPKOに出かける「軍」に就職口を求めるのだろうか。憲法が戦争向きに変えられて、防衛省が権力を振るい、教育基本法が威力を発揮して、国民がアメリカ式軍国主義に染まっていくように思います。日進月歩の科学技術と異常な物質文明、科学信仰や仏神崇拝、いびつな「合理主義」の蔓延、バーチャルの世界にしか見られない自然の姿。環境が改変されるのは文明の進歩でしょうが、人類の進化はまだまだ時間のかかるものです。私たちはよく勘違いをして、生活が楽になると「偉大な進歩」を感じるものです。自然や社会環境を壊してきた人たちが「美しい日本」などというと、聞こえのいい言葉に馴染みやすいものです。政府が言わなくても、私たちは世界に誇れる国民の歴史的結晶です。孫たちが銃を抱えて戦場をさまようことのないよう、今ある「美しい国」を大切に守りたいものです。全国の「おじいちゃん」たち、いまこそシルバーパワーを発揮しましょう。
同窓会ですみやか署名
和歌山県 樫谷和子
年末に同窓会があり「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名をしてもらいました。誰に言っても署名してくれます。今年も頑張らなくては!!
『夏少女』楽しみ
新潟県 池津恵美子
原爆映画『夏少女』が始まるとのこと、とても楽しみにしています。色々なTV番組や映画を観ました。早く核や原爆のない世の中になってほしいなあと思います。まだまだ苦しんでいる人がたくさんいます。その人たちのためにも平和な世の中にしたいですね。
恐るべき控訴理由
広島県 大越和郎
原爆症認定訴訟の控訴審の法廷で国が提出した「控訴理由」は恐るべきものでした。何度も裁判所から指弾された認定方法について「日米の最高の科学者による科学的知見による」と強弁し、その正当性を主張しました。しかし、その内容は、被爆直後の被爆者の下痢は当時蔓延した赤痢などの可能性が高い、脱毛については人の頭髪は一日50本程度抜ける、被爆者のそれは栄養状況の悪化と洗髪をしていなかったからだ、被爆者が受けた残留放射能は自然界のものと差はなく影響は考えられない、原告の疾病の発症にはその土地を1万トンも食べなくては発症しない、など。原告が主張し、裁判所も認めた「内部被爆」については全くふれませんでした。「科学的知見」という言葉を使いつつ科学を冒涜するものです。最後に、いまでも被爆者に対して多額の予算を使っている原告と裁判所の主張を認めれば、財政は破綻するといいます。認定者を2千人前後に留めている「理由」は「科学的知見」などでなく極力原爆被害を小さいものにするためと「金」を出さないためのものであることを告白するものでした。
憲法守るため頑張る
新潟県 長沼宣男
昨年秋、地域の憲法を守る共同センターを8団体で立ち上げ、集会、街宣を行いました。急いで「国民投票法」案反対を頑張りたいと思います。
日本原水協代表理事の沢田昭二さん(被爆者・名古屋大学名誉教授)は、2月5日から7日までマレーシアの首都クアラルンプールで開かれた国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」に参加し、原爆投下の犯罪、とりわけ原爆症認定集団訴訟で明らかになった残留放射能による内部被曝の深刻な影響が62年を経た今日まで被爆者を苦しめていること、これを隠蔽してきたアメリカとこれに追従する日本政府の犯罪性を報告しました。
以下、沢田先生から寄せられた報告全文を掲載します。
国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」の報告
沢田 昭二
1.国際会議開会まで
マレーシアの首都クアラルンプールで2月5日から7日まで開かれた国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」( “Expose War Crimes—Criminalise War”)に参加し、この会議の第3セッション「戦時に使われた大量破壊兵器」の最初に「広島と長崎の惨劇」と題して報告してきました。
この国際会議は、2003年10月まで22年間マレーシア首相として活躍したマハティールさん(_Tun Dr. Mahathir Mohamad)が議長を務めるペルダナ・グローバル・ピース協会(Perdana Global Peace Organization, PGPO)が主催し、世界から科学者、法律家、戦争被害者を集めて、広島・長崎の原爆犯罪、ベトナム戦争、パレスチナ、レバノンやイラクにおける殺戮や拷問などの戦争犯罪を総合的に明らかにして、テロに対する戦争を口実に米英がおこなっているイラク戦争を戦争犯罪として裁き糾弾することを狙ったものです。よく知られているようにマハティールさんは、外交面では、非同盟運動、ASEANプラス・スリー(日・中・韓)の枠組み作り、東南アジア非核地帯の設立などで力量を発揮し、内政面では、グローバル化で発展途上国を多国籍企業の利益に従属させようとするIMF体制に組み込みこまれることを拒否して、マレーシアの経済・産業を東南アジアで最も急速に発展させることに成功した人です。そのマハティールさんが首相を後継者に譲った後どのような活躍をするだろうかと思っていましたが、2005年の12月にペルダナ・グローバル・ピース協会を設立して、平和の問題に取組むことを始めていたのです。
PGPOの事務局長のマティアス・チャンさんから昨年の12月にマハティールさんの了解も得て、大量破壊兵器である原爆の投下という戦争犯罪について話してほしいという依頼を受けました。1月31日、原爆症認定を求める被爆者集団訴訟の名古屋地裁判決がありました。この判決は、大阪と広島の地裁判決に続いて総論部分では厚労省の機械的認定基準の適用を批判して4人のうち入市被曝を含む2人の原爆症を認定しました。それにもかかわらず、2人の原告については放射線の影響がまだよくわからないとして認定しませんでした。これは大阪と広島地裁判決から後退していて、控訴の問題が気がかりでしたが、思い切って国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」に出席することにしました。名古屋地裁判決の翌朝、343ページの判決文を抱えて中部空港からクアラルンプールに向いました。
到着した翌日からの2日間は会議の報告の打ち合わせ、市内観光、会場の下見をしました。会場はプトラ世界貿易センター(PWTC)の2000人収容の大会議場でした。会議場正面の右側に被爆直後の原爆ドーム周辺の廃墟の大きな写真、左側にはイラクのアブ・グレイブ刑務所で米軍によって頭巾をかぶせられ拷問を受けている人の大きな写真があり、広島・長崎の原爆投下からイラク戦争までの戦争犯罪を象徴させ、正面中央に大きくInternational Conference War Crimes Criminalise War という文字と縛られた両手を広げて紐を切ろうとする絵が力強く描かれていました。同じPWTCの会議場と同じフロアーに国際会議と併行してPGPOが同じタイトル「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」で開催する展示会も準備されていました。PWTCには他に大小さまざまな設備が充実していて別の展示や会議も併行して開かれていました。
私の報告は6日の朝トップで30分で行うことになっていましたので、「広島・長崎の惨害」と題して出発前に用意していた (1) 私の被爆体験、(2) 原爆被害の概要と犯罪性、(3) 残留放射能による内部被曝の隠蔽の犯罪性の3つのテーマについてのパワーポイントの報告を英語で30分に圧縮して、2000人規模の聴衆に理解してもらう準備に集中し、4日の午後までかかって準備した報告用のパワーポイントを会議場のパソコンに設定することができました。
4日の午前はホテルで、世界各国からきた約20人の報告者とPGPOの人たちとの非公開の対話がマハティールさんの司会でおこなわれ、忌憚のない意見交換をしました。この対話には劣化ウラン弾による被害も問題になっており、アフガニスタンやイラクなどで撮影された写真を展示会に提供された報道写真家の広河隆一さんも参加されました。昼からはホテルでマハティールさんの歓迎昼食会、その後マハティールさんの記者会見がありました。30人くらいの記者やカメラマンが取材したのですが、翌日の新聞にはほとんど報道されていませんでした。マレーシアの経済・産業の発展に較べるとテレビなどの報道機関はまだCNNやBBCなど欧米のマスコミが支配的で、日本以上に平和問題やアメリカ・イギリス批判に対するマスコミの報道規制が強いと感じました。
2.国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」
国際会議は、マハティ−ルさんの基調講演の後、最初の2日間で6つのセッションがあり、米国、カナダ、イタリア、英国など世界から科学者や法律家などの専門家が招待されて報告し、アブ・グレイブ収容所の拷問、イラク、パレスチナ、レバノンなど戦争犯罪の被害者も参加して証言がおこなわれるようになっていました。そして最終日の7日の第7セッションではそれまでの報告を基礎にして、マハティールさんを委員長とする戦争犯罪委員会において戦争犯罪被害者からの訴状の提出と専門家による証言が行われ、最後の第8セッションでは元裁判官らを中心にクアラルンプール戦争犯罪法廷が設定されて、戦争犯罪犠牲者の訴状が受理されて国際会議をしめくくるという日程になっていました。
2−1.マハティールさんの基調講演
初日午前の開会セッションではマハティールさんの子息でPGPO理事長のムクリッツ・マハティ−ルさんが歓迎挨拶をした後マハティールさんが「戦争を犯罪とする」と題して2000人の聴衆を前に基調講演をおこないました。
マハティールさんの基調講演の要点をまとめると以下の通りです。
「今回の会議はPGPOの『戦争を犯罪とする』会議の第3回目であるが、PGPOの目標『戦争を犯罪とする』を世界に広げて実現するため、今回の会議の準備を通じてPGPO事務所と専任のスタッフを置いた。
人類は7000年もの間、問題解決に戦争を用いてきたが、当初は棍棒や尖った棒を使って大量殺戮といってもせいぜい数千人規模だった。今日ではドレスデンのように24時間で全市が破壊され何十万人が殺され、広島や長崎では一発の原爆で全市が瞬時に蒸発した。爆弾を作った者と使用した者は通常の火薬爆弾のように被害が限定された地域だけであり、限られた期間だけであると考えていて本当の威力を知っていない。救援で入市した人もかなり後で入っても残留放射線で殺されている。いまや放射線の影響は限られた領域だけではなく、埃と風で運ばれて何千キロも広がり、半減期が何世紀も何百万年のものがあり、放射能は殺戮者の国にも到達して自身も殺される。劣化ウランも核兵器爆発と同じようなものをつくりだして使った国にも到達する。
核保有国は、彼らには分別があり、人道に立って核兵器を使わないから核保有を許されるというが、それを信頼できるだろうか。彼らは通常兵器で何十万人も殺戮し、劣化ウラン弾も使っている。核実験禁止条約があっても米国は核兵器をさらに改良するために実験をおこなっている。その上、宇宙空間の兵器を製造して宇宙から地上、海上、空中の目標を攻撃できるようにすることを考えている。ふざけてボタンを押す血迷った人をいつの日か指導者に選ぶかもしれない。この後の報告でわかることは、戦争を始めるために自国と世界の人々に嘘をつき、核兵器と大量破壊兵器を単に確認するために何十万人も殺していることである。
今日、強国のマインド・コントロールする人たちが『テロに対する戦争』を呼びかけ、その最初の実行が強国の弱い国への侵略と占領で、明らかに弱者への攻撃になり、テロ攻撃を生み出している。戦争は合法化されたテロ行為以外のなにものでもない。戦争を犯罪としない限り全世界は強国と弱小国との戦争がいつまでも続くことになる。
マレーシアではテロ戦術を用いる人たちと戦って勝利したが、武力だけで勝ったのではなく、まず同調者と支持者、つぎに反逆者たち自身の心と精神を引きつけることを通じてであった。最も有効な行動は原因を取り去ることだった。中東の戦争もその地域の人々の心と精神を獲得しない限り終りはない。
戦争を犯罪とすることは現実的でないとされてきたが、文明の進化によってこの200~300年、人権が重視されるようになった。特に今日の発展した文明の中では人権が奪われる戦争を犯罪化することが可能になった。殺戮と破壊の戦争は国家間の問題を解決する手段としてもはや受け入れられないようになれば、文明化はさらに有意義なものになる。戦争が犯罪とされるまでわれわれは真に文明化されたとは言えない。事実に即し、国の利害に左右されない国際法の専門家によって構成される法廷をつくらねばならない。征服の罪を正当化しかねない勝者をこの法廷に受け入れることはできない。戦争犯罪を裁く法律は国家によるものではなく、人々とNGOなどによって発効すべきである。
歴史は、ブレアとブッシュが子どもたちの殺人者であり嘘つきの首相と大統領であったと記憶しなければならない。ブレアが有罪であると法廷が判断しても、彼を吊すのではなく、子どもたちの殺人者で嘘つきだという戦争犯罪のレッテルをつねに貼っておくのである。ブッシュも、オーストラリアの低木林地(ブッシュランド)のポケットブッシュも同様である。
今この会議には戦争を犯罪化する活動家、兵器と戦争犯罪の専門家だけでなく、拷問を受け、大虐殺で生き残った人、放射線障害に耐えている人が参加している。開催している展示もわれわれに足りなかったものを埋めあわせるであろう。もう一度『戦争は犯罪だ』と言わせて下さい。もっと安全でもっと平和な未来のために力を貸して下さい。千里の道も一歩から始まる。戦争を犯罪とする真の文明に向って進もう」
マハティールさんの報告から、彼が広い範囲で問題の全体を総合的に捉え、歴史的な展望をもって解決の方向を示そうとして、PGPOを組織し、この国際会議を設定したことがよくわかります。また、基調報告から、あらかじめPGPOの事務局長さんのマティアス・チャンさんに送っておいた私の報告要旨に彼がきちんと目を通し、被爆者集団訴訟に関連して明らかになった残留放射線による内部被曝の深刻な影響が今日まで続いていることをしっかり理解して取り上げていることがよくわかりました。マハティールさんは元々医師で、今でもTun Dr. の称号をつけて呼ばれていて、放射線影響についても医学の専門家として深く理解していました。
2−2.第1セッション:戦争犯罪の概観
第1セッションは 戦争犯罪の概観をテーマに、まずカナダのオタワ大学グローバリゼイション研究センター長の経済学者ミカエル・チョスドフスキー教授が「戦争犯罪の歴史的レビュー」をおこないました。「 世界は現代史において最も深刻な岐路にある。米国が人類の未来を脅かす軍事的冒険 『長い戦争』に着手している。イランの存在しない核への報復として米軍とイスラエル軍は核戦争の準備段階にあり、この計画が発動されると中東と中央アジア全域が巻き込まれる戦争になる」と警告しました。
次に米国ジョージア州第4地区選出の元下院議員でイラク戦争に反対投票し、勇気をもって真実を追及すると紹介されたシンシア・マッキニーさんが「戦争犯罪—意見を異にする者のアメリカの未来展望」と題して報告し、最後に彼女は「私たちにとっては、自分の国の指導者にかかわる問題であっても、世界にとっては人類の運命にかかわる。PGPOの努力でクアラルンプールは世界の平和の首都になった。この会議によってクアラルンプールが全ての大陸に戦争の脅威を示して世界の平和の光を照らすでしょう」としめくくりました。
第1セッションの3人目は地球科学者でリバモア核兵器研究所にいた放射線の専門家で告発者のローレン・モレ博士でした。彼女は「劣化ウランは21世紀の大量破壊兵器」と題して広島からイラクまで61年にわたってウラン戦争がおこなわれ、それは自殺的で、集団殺害的で、かつ全滅的な過程なので大量破壊兵器と言えると述べました。彼女は「1991年の湾岸戦争のときから米英軍と同盟軍によって劣化ウラン弾が大量に使われるようになり、『秘密の核戦争』が始まり、中東、前ユーゴスラビア、アフガニスタン、レバノンで使われて、これらの地域を永久的な放射線汚染地域としている」と指摘しました。モレ博士は劣化ウラン問題に継続して取組み、日本にも何度も訪れてきて、原爆症認定集団訴訟にかかわって私がおこなってきた残留放射能による内部被曝の研究についてもよく理解してくれていて、PGPOの人たちに私を紹介・推薦し、私に参加を求めたのも彼女でした。
第1セッションが終わった後「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」展示会の会場のテープカットがマハティールさんと会議の報告者たちによっておこなわれました。昼食は3日間ともPWTCのVIPルームでマハティールさんとPGPOの役員、報告者がテーブルを囲んで歓談しながらおこなわれました。
2−3.第2セッション:「平和時」に用いられた大量破壊兵器
このテーマは平和時の経済制裁が多くの人を殺している実状を明らかにしようとしたものでした。
最初は前国連事務総長補佐で国連イラク人道調整員のハンス・フォン・スポネックさんが「経済制裁—大量破壊兵器」と題して報告しました。2番目の報告は国際法律家でカナダにおける国家ミサイル防衛と軍事計画を暴く重要な役割を果したアルフレッド・ウエーブルさんが「国際法と戦争犯罪」という報告をしました。彼は国際法の成立過程の基礎的なところから説明を始め、ニュルンベルグ法廷、東京裁判などを通じて発展してきた人道法について述べ、核兵器や核技術や劣化ウランが問題になっている今日、こうした情勢を踏まえた人道法の充実のためには世論の動員が重要であるとしめくくりました。3人目はイラクの独立ジャーナリストのラナ・アル・アイオウビーさんが「制裁—イラクの経験」と題して報告する予定でしたが来れなくなったので、イラクの元大使でソルボンヌ大学教授のアルムサウイさんが代わって報告をしました。彼は、「イラクの抵抗に国際的な支持が強まっていて、イラクから次々と撤退している。このクアラルンプール法廷が世界に広がることを期待するとともに、国連の安全保障理事会は戦争に反対することを基本にすべきである」と訴えました。
2−4.第3セッション:戦争で使われた大量破壊兵器
第2日の午前は第3セッション:戦争で使われた大量破壊兵器で、最初は私の 「広島と長崎の懴劇」(" The Tragedy of Hiroshima and Nagasaki" )と題した報告で、30枚の パワーポイントを用いました。まず最初に日本がマレーシアを含むアジア諸国で野蛮な侵略をしたことを謝りました。会場いっぱいの拍手で応じてくれました。司会者が私の被爆体験のはじめの部分を紹介してくれましたので、被爆体験の続きから始めました。次いで原爆の熱線、衝撃波と爆風、放射線の影響と死者数など原爆被害の全体像について話し、大部分の死傷者が一般市民で、しかも子ども女性と年寄りで、明白に人道法に反することを強調しました。次いで放射線の影響について、とくに残留放射能による内部被曝の危険性についてアメリカと日本政府が隠蔽していたことが原爆症認定訴訟の中で明らかになっていることを話し、放射線被害が60年以上を経た今日まで続いている点からも核兵器の使用は犯罪であると訴えました。最後に日本国憲法第9条とそれを守ることがASEAN友好協力条約体制の発展とアジアと世界の平和に寄与すること、現在米政府を中心にした軍事的スーパーパワーと平和を求める世界世論というスーパーパワーが激突しているきわめて大きな岐路にあるが、この会議が世界の世論を強化することに大きく貢献するだろうと期待を表明しました。このスーパーパワーの激突と世界世論のスーパーパワーを発展させて軍事的スーパーパワーを打ち負かそうという私の発言がマハティールさんの構想に合致していたようで、7日の彼のまとめの報告や終了後のパーティーで2度も私の発言を引用してくれました。
第3セッションの2番目は、国際放射線防護委員会(ICRP)を批判して2003年に内部被曝の深刻さを指摘したヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)の報告書をつくったクリス・バスビー博士 が 「低線量放射線—静かな殺人者」"Low-level Radiation-The Silent Killer" と題して話をしました。原爆症認定訴訟の弁護団がバスビー博士を訪問したことがあり、私はEメールをやりとりしたことがありましたが初対面でした。彼は報告に続けてギターを弾きながら自作のブッシュを皮肉った「田舎者」の替え歌を唱い喝采を受けました。私はこの会議を通じてバスビー博士とも親しくなり、今後の情報交換を約束しました。
3人目はイタリアのゼノア大学の遺伝学の教授のパオラ・マンドゥーカさんで、彼女はイタリア反戦連合代表として2004年の原水爆禁止世界大会に参加しています。彼女は「大量殺戮の新たな兵器」と題してレバノンとガザでイスラエルに殺害された人々の中に今まで知られた兵器によるものとは異なった、傷も火傷もない状態の遺体が多数見つかっているという告発でした。
各セッションの終わりには質疑応答がおこなわれ、質問の半数は大学院生など若い人で報告に関して活発な質問と意見表明があり、放射線被害や憲法第9条を世界各国の憲法に取り入れさせるにはどうしたらよいかなどの質問を受けました。休憩時間には私も学生に取り囲まれて質問を受けたり、写真を撮ったり、サインを求められたりしました。とくに中年の女性が自分の両親たちは日本軍から酷い目に遭い今なお日本を恨んでいる。私が最初に謝罪をしてくれたのは大変よかった。原爆被害の話もよくわかったと言ってくれました。また、PGPOの人たちや報告者たちからもパワーポイントを使って原爆被害がよくわかったと口々に言ってくれました。
2−5.第4セッション:マスメディア—戦争宣伝機関
このセッションの最初はフリーのジャーナリスト兼コラムニストで、国際問題の放送キャスターと講師を務め、ドキュメンタリー「戦争」でアカデミー賞にノミネートされたグウィン・ダイアー博士が「究極の戦争犯罪といかにメディアを混乱させるか」と題して報告しました。2番目は英国の公衆問題と地球的運動に関するオックスフォード・センターを創設したミカエル・カーミッシェルが「戦争宣伝と戦争犯罪」と題して報告、3番目に作家で「イラクについてのアル・アハーム・ウィークリー」の編集長でブリュッセル戦争犯罪法廷の実行委員であるハナ・バヤティさんが「イラク—抵抗の権利を犯罪としている」と題して話しました。マレーシアが政府レベルだけでなく市民レベルで平和運動を発展させるためには報道を民主化させる必要性があると感じていただけにこのセッションは重要だと思いました。
2−6.第5セッション:被害者の正義への訴え
2日目の午後の第5セッションは司会者をしたマレーシアのシチ・ハシュマー・モッド・アリ博士が「アブ・グレィブ刑務所の拷問の生き証人」として詳しく紹介したイラク拷問被害者の会組織者のアリ・シャラーさんでした。彼はビデオを用いてアブ・グレイブ刑務所で行われた米軍による拷問について詳しく証言しました。会場の前面左に掲げられた黒いフードの男はこのアリ・シャラーさんだそうです。
2−7.第6セッション:イスラムの若者の戦争犯罪に対する見地
この第6セッションではPGPO理事長のムクリッツ・マハティールさん、英国ラマダーン(断食)事業団の議長ムハメッド・ウマールさん、英国のラマダーン・トラストの教育担当員のアンジャム・アンワーさんがイスラム世界の若い世代を代表してそれぞれの考えを述べました。ウマールさんはこの会議のために印刷したイスラムの団結をめざす英国ラマダーン事業団の目標を述べた書類をファイルに入れて用意して配布していました。
2−8.第7セッション:戦争犯罪—被害者の証言と専門家の証言
最終日第3日の午前の第7セッションは午後の第8セッション「クアラルンプール戦争犯罪法廷」につながる「戦争犯罪委員会」の開催でした。最初に戦争犯罪員会の委員が入室、議長はマハティールさんで、委員会開会宣言をした後に、PGPOの事務局長で、マレーシア高等裁判所で法廷弁護士を務めるマティアス・チャンさんが冒頭陳述をおこないました。壇上に居並ぶ戦争犯罪員会の委員席に向っておこなったマティアスさんの冒頭陳述は、彼がこれまで負けたことのないと言われる法廷での涙声溢れる弁論で裁判官の心を動かす様相を彷彿させました。彼はさまざまな場面における分裂主義者の否定的役割に強い批判を浴びせました。
次いで戦争犯罪の被害者が戦争犯罪員会の委員席に向って訴状の開示をおこない、さらに専門家による証言が続きました。証言の最初はインド法律家協会副会長で、アフガニスタン国際犯罪法廷の判事を務め、劣化ウランについての最終意見をまとめたニロウファー・バグワット教授で、「アフガニスタンの戦争とテロに対する全地球的戦争」について迫力溢れる発言をしました。2番目はイラクにおける戦争犯罪について元イラク国連常任代表のサエッド・アルムサウイ博士が発言、次いで3番目にファルージャの殺戮の生き残りのアッバス・アビッドさんの証言、4番目はイラクS.O.S.の組織者でブリュッセル戦争犯罪法廷の実行委員のディルク・アドリアンセンさんが世界の運動についての報告、5番目はアルインティクワッド・アンド・アルマナーテレビの編集長のイブラハム・マウサウイさんがレバノンでの戦争犯罪について報告、第6番目はパレスチナ当局の医事代表のワヒッド・サラー博士がパレスチナの戦争犯罪についてパレスチナの破壊を写した映像を交えて報告、この報告を裏付けるパレスチナから来た17歳の女子高校生の証言が行われました。
2−9.第8セッション:クアラルンプール戦争犯罪法廷の設立
最終日の午後はクアラルンプール戦争犯罪法廷の設立で、最初にPGPO事務局長のマティアス・チャンさんが、壇上に並んだマレーシアの元高裁判事らからなる戦争犯罪法廷の裁判官に向って午前中の「戦争犯罪委員会」の結果の報告を行い、戦争犯罪被害者の訴状を提出しました。この訴状の提出が終わると、訴状を提出した戦争犯罪被害者とマハティールさんが壇上に並んで記念写真を撮りました。引き続き戦争犯罪委員会の委員たちによって、①法廷メンバーの指名、②法廷運営の基本方針、③適用される法律、④手続き規則、⑤証拠、⑥顧問の指名、⑦事務局、⑧その他の事項の順序で審議がおこなわれました。次いで閉会式に移り、報告者とマハティールさんが記念撮影をおこなって国際会議が閉幕しました。
3.国際会議を終わって
国際会議が終わった夜には、主催したマハティールさんをはじめとするPGPOの人たち、報告者や法廷メンバー、ボランティアとして国際会議を支えた学生たちも加わってさよなら晩餐会がおこなわれました。そこでもマハティールさんが挨拶の中で、私が国際会議で報告した「武力で世界を支配しようとするスーパーパワーと世界世論のスーパーパワーの2つのスーパーパワーが激突している」という発言を引用して、世界世論で戦争犯罪を糾弾していこうと述べました。報告者が次々に立って挨拶をしたので私もマイクを握って、今回の国際会議を開いて下さったマハティールさんやPGPOに感謝を述べた後、ASEANプラス・スリーなどの平和の枠組み作り、非同盟運動の中心となって政府レベルで活躍してきたマレーシアがNGOレベルで取組むことはきわめて重要で、PGPOに大いに期待していると述べ、世界大会に代表を送るなど日本の核兵器廃絶運動との連携を強化しましょうと訴えました。
会議が終わった後9日までクアラルンプールに滞在し、放射線の影響を研究してきたクリス・バスビー博士やローレン・モレ博士と情報交換をしました。
4.展示会「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」
国際会議と併行して3月11日までPWTCの4階で開催されていた展示会「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」には開催の準備段階で見学しました。入口を入るとすぐトンネルがあり、そこを出ると、Aゾーンは核戦争すなわち広島・長崎の原爆被害で全身火傷をしている人形などが廃墟のなかに松葉杖を頼りに立っていましたが、ややリアリティに欠けていました。Bゾーンは劣化ウランによる奇形児の模型が写真とともに飾られていて、放射能被害のおぞましさを実感させるものでした。Cゾーンでは経済制裁によって栄養失調でやせ細った子どもの模型や写真が展示されていました。Dゾーンはパレスチナの子どもがイスラエル軍の狙撃にあって体中に銃弾が貫通したり、火傷をしたりした模型や写真、イスラエル兵に銃を向けられている市民の写真などが展示されていました。Eゾーンはイラク戦争の犠牲者とアブ・グレイブの刑務所での米兵による拷問の写真、Fゾーンはイスラエルによるレバノンの住民虐殺の写真が展示されていました。Gゾーンはかなりのスペースをとってベトナム戦争における米軍によるミライ住民大量虐殺、枯れ葉剤散布による奇形児などがベトナムの茅葺きの民家とともに展示されていました。Iゾーンは殺人機械、Hゾーンは拷問の様子が人形を使って再現されていました。
5.あとがき
国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」は、イスラム諸国の中で初めて開かれた戦争に反対し世界平和をめざす国際会議でした。イスラム社会が、単に「文明の衝突」とか、反米とかの枠を超え、マハティールさんの基調演説に示されたように、「ジハード」や「正義の戦争」ではなく、戦争を全面的に否定するこの会議の意義はきわめて大きいと思います。会議そのものもよく準備されていて、報告者も世界各地から適切な人を招いて充実した内容になり、大きな成果を上げたと思います。特にこの国際会議には2000人のマレーシアの人たちが参加し、その半数は若い人たち、とくに学生が多かったことには将来の発展に大きな期待が持てます。一般参加者だけでなくボランティアとして会議の下支えをしてくれたのも学生で、私の世話役として付いてくれたのも映像などについて研究をしたいという神戸生まれのインド系の女子学生でした。
実は3月10日にPGPOの事務局長の マティアス・チャンさんから「クアラルンプール戦争犯罪委員会」と「クアラルンプール戦争犯罪法廷」のバックとなる「クアラルンプール国際平和協会」が法的に確立したという知らせが届きました。6人の評議員会のメンバーにはマティアス・チャンさんは入らず、「クアラルンプール戦争犯罪委員会」と「クアラルンプール戦争犯罪法廷」と事務局の3者が「クアラルンプール国際平和協会」の下に置かれ、マティアス・チャンさんは事務局にとどまってこの協会を支えることにするそうです。今後の活動や組織体制についての意見を聞かれたので、原水爆禁止日本協議会の成立と地域に根ざし、各都道府県、全国の中央団体などで構成されていること、全国理事会、常任理事会、都道府県理事会、地域の理事会、組織・財政・教宣・・・などと事務局が組織されていることなどを紹介しておきました。また原水爆禁止世界大会についても紹介し、最近の政府レベル・自治体レベルの運動との連携が強化されていること、青年への働きかけを重視していることなども話して、マレーシアの若者に世界大会と世界青年のつどいに参加してほしいと伝えました。マレーシアの政府レベルの平和の取組みが、東南アジアで最も急速に成長している国で市民レベルの運動と相まって強化されればアジアの平和の運動だけにとどまらず、イスラム圏にも広がって世界の平和にも大きく貢献することになると思います。
今年はビキニ事件から53年になります。そして、第五福竜丸が建造されて60年です。そこで、第五福竜丸展示館の安田和也さんにお話をうかがいました。
第五福竜丸は、戦争直後の食料難の時代に遠洋漁船として造られ、活躍しました。当時は占領軍のマッカーサーの命令があり、また鉄もなく、木造船のみが造られました。
この4月1日から、第五福竜丸展示館では「木造船・船大工の技術とその道具」の歴史展を開催します。もう日本では、この様な木造船が造られることはありません。「木の船」を通じて原水爆のことを考えてもらいたいと思っています。
第五福竜丸展示館がつくられた経緯は次の通りです。まず、1967年2月末に東京都職員組合の港湾分会ニュースに、第五福竜丸が「はやぶさ丸」と名前を変えられて係留されているのが紹介されます。3月に廃船処分となり解体業者に払い下げられますが、6月、7月にはNHKニュースで第五福竜丸のことが報じられました。さらに、1968年3月には赤旗と朝日新聞が「第五福竜丸保存を」の声をあげ、地元・江東区、東京の原水爆反対運動をしていた人々が、沈みそうになった船から水を掻き出すなどを行いながら、保存運動を全国に呼びかけました。そして、1969年7月には保存委員会が発足。1970年に東京都が夢の島とすることを了解。その結果、1976年6月展示館が設立されたのです。
現在、展示館には年間12万5千人が見学に訪れます。その中の3万人が、400校を数える小学校から高等学校までの生徒です。見学者が一番多いときは、今の倍の25万人もありました。最近の子どもの
お父さんお母さんは「ビキニ事件」を知りません。学校の先生も、ビキニ事件後の生まれで知っていません。平和教育が、以前は取り組まれていましたが、今はやりにくくなっているようです。
労働組合や大学などから、「講演会」「セミナー」をして欲しいとの声がかかることもよくあります。そこで、第五福竜丸元乗組員の大石又七さんとセットで、大学の「平和学」で話すこともあります。
昨年は、「絵本『ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸』展覧会」を開催し、コンサートも行いました。このときは絵のファンも来館しました。
現在では、「歩こう会」「俳句の会」をはじめ、高齢者の見学が多くなっています。この人たちは、戦後の歴史の中で「第五福竜丸の時代」をともに生きた人たちで、原爆・水爆はだめだということを展示館に来て改めて感じているようです。
今望むことは、若い人に来て欲しい。東京で反核・平和運動をしている人たちは、ぜひ回りの人たちを誘って来て欲しい、ここの展示館を活用して欲しいということが私のねがいです。
第五福竜丸は1953年に被災し、「核兵器がなくなるまで、平和の港に錨を下ろすまで、いまも航海をしています」。みなさんもいっしょに、平和をめざす航海をしてください。
構成・石村和弘
■第五福竜丸■
総トン数140トン、全長約30メートル、高さ15メートル、幅6メートル
■第五福竜丸展示館■
館内には第五福竜丸船体実物、水爆実験被災の被害、乗組員の病状、まぐろ騒動、放射能雨、原水爆反対の運動、太平洋の核汚染状況、日米政府による事件の決着、マーシャル諸島の核被害、世界の核実験被害、核実験・核開発年表等の展示があります。
展示館前ひろばには久保山愛吉記念碑、福竜丸のエンジン、マグロ塚石碑があります。
URL=http://www.d5f.org/
開館時間:午前9時半~午後4時(月曜休館)、入館無料
JR京葉線・地下鉄有楽町線・りんかい線新木場駅下車、徒歩10分
■お花見平和のつどい2007■
【日 時】:4月7日(土)11:00~15:00
【会 場】:第五福竜丸展示館・展示館前広場(※雨天時は第五福竜丸展示館内)
【内 容】:特別報告「第五福竜丸船体とエンジンの今」、青年のピースミュージック、他
■歴史展『船大工の技と仕事』-木造船 第五福竜丸60年-■
【開催日時】:4月1日(日)~9月2日(日)
【会 場】:第五福竜丸展示館
【内 容】:ビキニで被ばくした木造漁船の第五福竜丸。大型木造漁船の建造技術と船大工たちの技、そして思いを紹介する企画展。船の構造や特殊な道具を模型と現物で展示します。
香川県 蔭山 芽
1月6日付の記事では20ページ吉永小百合さんの原爆詩朗読についての記事、原爆で焼かれた人のことを思うと涙が出る思いです。
北海道 竹腰三男
新年号は北海道の運動が多く紹介されており興味深く読みました。また、埼玉の「2006ピースフォーラム」のような取り組みをいつの日にかやりたいと思い続けてきただけに、うらやましく思います。「手作り。自前」の運動が基本と考えるが、自分たちのワクを越えたものにするために、吉永さんのような方の参加が大きな力になることは間違いないから。
三重県 落合郁夫
核兵器を保有しながら核拡散許さぬ、という論理はいよいよ通用しなくなってきていると思います。ほんとうに拡散の防止をめざして北朝鮮、イラン(平和利用と主張)などを説得できる保障は、核兵器廃絶そのものではないでしょうか。
2007年は、その課題に真正面から挑む年と考えます。
神奈川県 小島達司
万死に値する閣僚の核兵器保有発言。
被爆者の友人から年賀状がきた。
「日本の国があやしくなってきました。過去の戦争によって痛めつけられた私たちは日本をふたたび“過去の道を歩まない国”にするように全力を尽くします」と書いてあった。そして、自筆でさらに「お元気でしょうか。私は相変わらず被爆者の仕事に専念しています」と添え書きがしてあった。
被爆者の平均年齢は75歳と聞く。普通でも余命幾何もない。政府は暖かく手をさしのべてあげて当然なのに。あの日から60年以上も経ったというのに、何もしないばかりか、標記の発言をしたのだから人間ではない。鬼もあきれると思う。地球から外に出てもらいたい閣僚の発言である。
千葉県 夏目侑子
新しい年、2007年が始まった。今年は日中戦争から70年。現憲法制定から60年。原爆医療法制定50年。10年単位の区切りの良い事柄ばかりを列記してしまったが、『通信』読者の方々には何れの項目もそれなりに思い入れのある内容だろうと思う。昨年は“教育の憲法”というべき「教育基本法」改正案が、十分な審議のないまま衆議院を通過。防衛庁の“省”格上げ(早晩、実行に移る)。今年は「憲法改正」が焦点となり、誰の目にも今日の日本社会が一歩ずつ戦前へ逆戻りしていることは明白。戦後、私たち(の先輩方)が廃墟の中で誓った“不戦の誓い”が、先の戦争を指揮した者たちの手で再び破られようとしている。当時の市民の目に今日の日本社会はどう映っているのだろう。
今回のパズルの答えは“非核平和の日本”と出た。今、これを書いている時点では、正解か否かは判らないのだが、この言葉通りの社会を築いていくことは非常に大切なこと。微力ながら努力したい。平和は「国民の不断の努力の」結晶だ!!
兵庫県 上田宇堂
1月12日未明、初孫が誕生し家族が1人増えました。私には似ていないようですが、元気な男の子でした。まる一日経っていないのに、いそいそと会いに出かけました。新米の祖父母然として病室に入ったものの、面はゆい気がしてカメラばかり覗いていました。フラッシュの光にしかめ顔して迷惑そうな表情をし、生命の不思議さを感じさせました。
昨年4月に「法定老人」に達した私が、名実ともに「じい」になれたことも感慨深いものがありました。とりあえず子らに祝意を持って祝辞を述べました。孫は私の所有物ではないので、何も慌てることはないのに、当分の間うろたえる癖が続きそうです。
「じい」の仕事として、何をして遊んでやろうかといまから本気で考えています。世の中は男社会がまだ続きそうなので「逞しく優しく」育って欲しいと願っています。男社会などと言うと「ばあ」がすぐ怒るので内緒ですが、少々貧しくとも清く正しく生きる姿の本物を研究しようと思っています。海釣りもいいし、カブトムシ探しもよし、などと自己中丸出しです。日進月歩の環境の変化についていけない者はこの程度で、自分の少年時代の絵しか思い当たりませんが、工夫しようと思ってはいます。
ともあれ、いま少し平和のうちに生き延びて、彼と一緒に出歩き、自然や社会の「本当の美しさ」を理解し生きていけるように、そしてのちに私の生と交替できるような、そんな将来をイメージしながら、ひとりでにやにやと嬉しがっています。生命の誕生では、実に強烈なインパクトを与えるものでした。
北海道 脇神昭悦
毎号、充実した紙面を拝読。勉強になります。益々のご発展を祈ります。
京都府 宗像好男
今年は新年より平和・憲法・教育選挙でいそがしくなりそうですが、ともに頑張りましょう。
長崎県 中村幸一
先日、吉永小百合さんの原爆詩朗読をテレビで見ました。このたびは長崎の被爆者の作品が読まれ、思わず引き込まれました。どの作品も感動を与えるものでしたが、ことに永井隆先生の娘さん・筒井芽乃さんの「娘よ、ここが長崎です」は、当時の状況がこまかに綴られており、涙なしでは聞けぬほどの感激を受けました。
栃木県 本田新太郎
子どもを生む機械以上に暴言を吐いた厚労相等安倍内閣の閣僚の外相や政調会長の中川氏など北朝鮮の核実験に負けじと「日本も」と発言したタカ派連中がうようよし首相もこれをたしなめない等、日本国憲法破棄内閣は解散以外にはないのではないか。大いに九条守る会や3・1ビキニデーに向かってたたかおうではないか。老兵ながらやりますぞ!
神奈川県 小島達司
梶本修史さん静養専一元気に
原水協通信2月6日号で病気入院を知りました。梶本さんとは私が10年以上前の東京―広島平和行進を歩いたとき以来の平和の友人です。以来、広島大会・長崎大会、3・1ビキニデーでは必ずお会いしました。非核神戸方式については大きな励ましを受け、川崎港についても何とか実現できないものかと神奈川・川崎の仲間と話し合ったものです。再会を願っています。
ネルソン・アンジャインさん安らかにお眠りください。
最後にお会いしたのは、マーシャルを訪れた際、家族・友人に囲まれて病床についていたときでした。
三重県 坂 久
2月に入りました。一年中で一番寒い季節だと言われています。これほど暖かい1月は経験ありません。温かい冬は有り難いけれど、冬はやっぱり寒さ厳しい日が続く方が冬の季節感に浸れることができます。
東京都 村野陽太郎
アメリカの大犯罪的な行為が、イラクの戦争以上のものが明らかになった。世界的な異常気象、温暖化傾向、「50年後には北極の氷がなくなる」などの話もあるが、いま、日本だけでなく世界の気候がくるっている。その原因をつくっているのはアメリカだ。平和を守るのと同じように、イラク戦争をやめさせるとともに温暖化の元凶アメリカを徹底的に糾弾を。
千葉県 夏目侑子
1月31日、昨年5月大阪地裁、8月広島地裁に続いて3回目となる、今年最初の原爆症認定集団訴訟の判決言い渡しが名古屋地裁で行われた。
前日、東京地裁で中国残留孤児に対する敗訴の判決がおりた直後のことで、その余波を受けるのではと不安でもあった。当日夜、日比谷公会堂で持った「トーク&ライブ今こそ解決を!被爆者の願い、その実現をめざして」大集会でも一応報告はあるだろうがそれまで待てない。日中、外出する用があって居ても立ってもおれず、ポケットラジオを持ち歩いて聞き入る。結果は2名勝訴・2名敗訴の“一部勝訴”。「大阪でも広島でも全員“認定”されたのだから、名古屋でも確実に勝つ!」と信じていたところがまさかの結果に落胆。(支援者の一人として)我々に油断(スキ)があったかも。
その夜、大集会会場に集まった各地の原告や顔なじみの方々を前に、そして勝訴した甲斐さんの喜びの表情と、敗訴した2人の「認定かちとるまで頑張る」姿を前に自分が励まされた。そうだ、支援者が失望したのでは、原告の心が萎えてしまう。被爆者は9連勝、個別裁判を含めて53人が勝利。個々の勝者の数が増えていけば、国は方針転換せざるを得なくなるに違いない。皆でがんばろう!!
大阪府 上原正雄
映画『夏少女』全国縦断イベントの記事に驚きました。映画の上映と坂田明さんの演奏を一緒に行うという企画は画期的だとしか言いようがありません。かつてラジオで中央アジアの演奏家とセッションされる坂田さんのサックスを聞いたことがあり、「ミジンコ」を研究される一面にどこか哲学的な背景を感じさせました。森川時久さんといえば『若者たち』、『若者はゆく』、『若者の旗』と劇場で何度も見たことを思い出します。早坂暁さんの脚本ならばと心待ちにしています。
ポロニウム「毒殺」事件のミステリー
野口 邦和(日本大学、放射化学・放射線防護学)
2006年11月23日、毒を盛られた疑いで重体となっていたロシア連邦保安庁(FSB)元中佐がロンドンの病院で死亡した。尿から高濃度のポロニウム210が見つかったため、ロシア治安当局関係者による毒殺関与が疑われている。FSBはロシアの防諜、テロ・過激派対策、国際テロ対策などを担当する治安組織で、前身は旧ソ連のKGB(国家保安委員会)だ。
元中佐は、1998年にロシア政府と対立する政商ベレゾフスキーの暗殺をFSB幹部から命じられたが、それを拒否したと記者会見を開き内部告発した。また、1999年夏にモスクワなどロシア国内で起こったアパート連続爆破テロはチェチェン独立派武装勢力によるものではなく、FSBの仕業であると2002年に著書の中で告発したこともある。
11月1日、元中佐はロンドンの某ホテルのバーでロシア人実業家と元FSB職員の2人と面談した。その後、すし店でイタリア人と食事をした。同日夜から体調を崩し、17日に入院。22日に容体が悪化、23日に死亡した。
元中佐の死についてロシア治安当局関係者の関与が疑われているのは、元中佐がプーチン政権の批判者だったことに加え、病床で口述した痛烈なプーチン批判の書簡を友人が公開したからだ。
一方、FSBの元同僚による復しゅう説やチェチェン共和国の親ロシア政権による暗殺説もある。プーチン政権の信用失墜を画策したベレゾフスキーの周辺が、同政権の仕業と見せかけ殺害した説もある。元中佐が自らの死を覚悟してポロニウムを飲み、同政権の仕業と偽装した可能性も排除できないという。
ホテルのバーのカップから高レベルのポロニウムが見つかったため、犯行現場は同店とみられている。同店の従業員、元中佐と面談したロシア人2人やイタリア人の汚染も確認されている。ロシア人実業家にいたっては元中佐と同様の症状を示し、危篤状態という。
ポロニウムは銀白色の金属で、その同位体はすべて放射性だ。最も重要なのはポロニウム210だ。ビスマスを原子炉で中性子照射して生産でき、ロシアは月8グラムを生産・輸出しているという。
元中佐から見つかったポロニウムは致死量の100倍を超え、入手には2000万ポンド(約45億円)かかるという。個人の犯行ではなく資金力豊富な組織の犯行に相違ないが、ポロニウムなどという超希少物質を使い、死ぬまでに3週間以上かかる内部被ばくを殺害方法として用いていることから、実行犯は殺しのプロではなく素人であるといわざるをえない。それにしても不可解な事件だ。
ニクソン、フォード政権のキッシンジャー元国務長官のほか、レーガン政権のシュルツ元国務長官、クリントン政権のペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員長は「核兵器のない世界を」と題する論説をウォールストリートジャーナル紙1月4日付に寄稿しました。
先制核使用も辞さず、小型核開発に熱心なブッシュ政権への批判が、米核世界戦略を立案、推進してきた人々にも及んでいることを示す注目すべき動きです。
以下、全文を紹介します(翻訳=日本原水協国際部)
核兵器のない世界を
ジョージ・P・シュルツ、ウィリアム・J・ペリー、ヘンリー・A・キッシンジャー、およびサム・ナン
ウォールストリートジャーナル電子版
2007年1月4日付
核兵器は今日非常に大きな危険を作り出しているが、同時に、歴史的な機会をももたらしている。アメリカの指導者たちは、世界を次の段階へと導くよう求められている。つまり、核が危険な者たちの手へと拡散することを防ぎ、最終的には世界に対する脅威である核兵器を廃絶するための重要な貢献として、核兵器への依存を止めるという強固なコンセンサスを目指す、という段階である。
核兵器は抑止の手段であったため、冷戦期には国際安全保障を維持するために不可欠であった。冷戦の終結により、米ソの相互抑止ドクトリンは時代遅れになった。多くの国家は今なお抑止力を他国の脅威に対抗するために有効だと考えている。しかしその目的で核兵器に依存することは、いっそう危険度を増し、その反対に有効性は低下している。
北朝鮮の最近の核実験と、イランがおそらくは兵器級の濃縮ウランを目指す計画の中止を拒否していることは、世界が現在、新しい危険な核の時代の瀬戸際にあるという現実を浮き彫りにしている。最も憂慮すべきことは、国家ではないテロリストが核兵器に手を伸ばす可能性が増大していることである。テロリストが世界秩序に対抗して闘っている今日の戦争において、核兵器は大量破壊のための究極の手段である。そして、核兵器を持つ非国家テロリスト集団は、概念的に抑止戦略の枠を超えており、困難な安全保障上の問題をつきつけている。
テロリストの脅威の他にも、緊急に新しい行動がとられなければ、アメリカはまもなく、新たな核の時代に突入することを余儀なくされるだろう。その時代とは、冷戦期の核抑止よりも不安定で、心理的に混乱させられ、経済的により大きな費用がかかるものであろう。世界中で増え続ける核兵器を持つ可能性のある敵たちとの間で、かつて米ソ間にあったような「相互確認破壊」体制をうまく再現しようとすれば、核兵器使用の危険性を劇的に高めることにならざるを得ないだろう。新しい核保有国には、冷戦期に行われたような、核事故、判断の誤り、あるいは無許可の発射などを防ぐため何年もかけて段階的な安全措置を設けるという余裕はない。アメリカとソ連は、致命的には至らなかったミスから学ぶことができた。どちらの国も、冷戦期に、故意であれ偶発的であれ、決して核兵器が使用されないよう保証するため真剣に努力した。新しい核保有国とこの世界は、次の50年間、冷戦期のわれわれと同じくらい幸運に恵まれるだろうか?
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指導者たちは以前にこの問題を取り上げている。1953年、国連での「平和のための原子力」という演説のなかで、ドワイト・D・アイゼンハワーは、次のような誓約を行った。「アメリカは、恐ろしい原子力のジレンマを解決するため、この奇跡のような人類の発明を、人類滅亡のためではなく、人類の生命のために捧げる道を、全身全霊を注いで探し出す決意である」。核軍縮の行き詰まりを打開しようとしてジョン・F・ケネディは次のように述べた。「世界を、人類が処刑されるのを待つ刑務所にしてはならない」
ラジブ・ガンジーは、1988年6月9日の国連総会において、次のように訴えた。「核戦争は、1億人の死、あるいは10億人の死を意味するものでもない。それは40億人の消滅を意味する。現在この地球上で生きているものすべての終焉を意味するのである。私たちは、みなさんの支持を求めるために国連に来た。この狂気を終わらせるために、みなさんの支持をいただきたい」。
ロナルド・レーガンは全ての核兵器の廃絶を呼びかけた。彼は、「核兵器は」、「完全に不合理で、全く非人間的で、殺すこと以外何の役にもたたず、地球上の生命と文明を破壊してしまうかもしれない」と考えた。ミハイル・ゴルバチョフはこのビジョンを共有していた。これはまた、以前の米国大統領たちも表明してきたものである。
レーガンとゴルバチョフ氏は、レイキャビクでは、すべての核兵器をなくすという協定を結ぶという目標には到達しなかったが、軍拡競争をくつがえすことには成功した。攻撃用ミサイルの全廃を含む、配備済みの長・中距離核戦力の大幅な削減に通じる措置を開始したのである。
レーガンとゴルバチョフ氏が共有したビジョンを復活させるためには何が必要だろうか?核の脅威の大幅な低減に通じる一連の実際的なステップを明確にするような世界的なコンセンサスを作り出すことは可能だろうか?この二つの疑問によって提起されている課題に緊急にとりくむことが必要だ。
核拡散防止条約(NPT)はすべての核兵器の終結を目指したものだ。この条約は、(a) 1967年の時点で核兵器を保有していない国は、核を取得しないことに同意し、(b)核兵器を保有している国は、やがては核兵器を放棄するということに同意する、と定めている。リチャード・ニクソン以来、民主共和両党のすべての大統領は、これらの条約義務を再確認してきたが、非核保有国は、核保有国の側の誠意に対して次第に疑念を深めるようになった。
強力な核不拡散の努力が進行中である。脅威削減協力計画、地球規模脅威削減イニシアチブ、拡散に対する安全保障構想、そして追加議定書は、NPTに違反し世界を危険にさらす活動を発見するための強力な新しいツールを提供する革新的なアプローチである。これらは全面的に実施するべきである。北朝鮮とイランによる核兵器拡散に関して、国連安保理常任理事国すべてにドイツと日本を加えた国々が関与する協議を行うことは極めて重要である。これらは精力的に追求されねばならない。
しかし、それらの措置はいずれもそれだけでは、この危険に対処するには不十分である。レーガン大統領とゴルバチョフ書記長は20年前レイキャビク会談で、それ以上のものを達成しようとした。つまり、核兵器の完全廃絶である。彼らのビジョンは、核抑止専門家に衝撃を与えたが、世界中の人々に希望を抱かせた。最大の核兵器備蓄をもつ2国の指導者が、最も強力な兵器の廃絶について議論したのである。
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何をなすべきだろうか? NPTが約束した内容とレイキャビクで思い描かれた可能性は実現されるだろうか?具体的な段階を通じて前向きな解答を生み出すためには、アメリカが大きな努力を開始すべきだとわれわれは考える。
何よりもまず、核兵器を保有する各国の指導者たちに、核のない世界を目指すことを共同の事業にするために熱心に働きかけることが必要である。核兵器を保有する国々の基本戦略の変更を含むこの共同事業は、北朝鮮とイランの核武装化を避けるためすでに行われている努力に、さらなる重みを加えることになるだろう。
核の脅威から解放された世界の土台を作るため、一連の合意に基づいた緊急の措置からなる計画に合意を求める努力が必要である。この諸措置は以下のものを含む。
●配備済み核兵器の冷戦期態勢を変更し、警告用の時間を延長することによって、核兵器の偶発的あるいは無許可の使用の危険性を低減すること。
●核兵器を保有する国々の核戦力の規模を引き続き大幅に縮小させること。
●前進配備用の短距離核兵器の廃絶。
●包括的核実験禁止条約の批准を達成するため、この条約への確信を強め、定期的見直し実施への理解を含め、上院において超党派のプロセスを開始すること。このために最近の技術的進歩を利用し、他の重要な国々の批准を確実にする努力も行う。
●世界のあらゆる場所において、核兵器備蓄、核兵器に利用可能なプルトニウム、および高濃縮ウランに対して、可能な限り高い水準の安全管理を行うこと。
●ウラン濃縮過程の管理を、原発用のウランがまず核供給国グループから、次にIAEAまたは他の管理下にある国際的備蓄から供給されることの保証と結び付けて行うこと。発電用原子炉からの使用済み燃料が引き起こす拡散の問題に取り組むことも必要である。
●兵器用核分裂性物質の全世界での生産を停止し、民生用商業から高濃縮ウランの使用を段階的に廃止し、世界中の研究設備から兵器利用可能なウランを除去し、これらの原料を安全に管理すること。
●新たな核保有国を発生させるような地域的対立や紛争を解決する努力を倍化すること。
核兵器のない世界という目標を達成するには、国家あるいは人民の安全に対して脅威となる怖れのあるいかなる核関連の行為をも阻止し、対抗するための効果的な措置が必要であろう。
核兵器のない世界というビジョンと、その目標達成に向けた具体的な手段を再び主張することは、アメリカの倫理的伝統に合致する大胆なイニシアチブとなるであろうし、また、そのようにみなされるであろう。その努力は、将来の世代の安全保障に非常に積極的なインパクトを与えることができる。この大胆なビジョンなしに行動しても、それは公正とも緊急性があるとも受け取られないだろう。そして行動を伴わないビジョンは、現実的でもなく可能性もないと受け取られてしまうだろう。
われわれは、核兵器のない世界という目標を設定することに賛同し、先に述べたような諸措置をはじめとする、その目標達成に必要な行動を精力的に行うことを支持する。
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スタンフード大学フーバー研究所の優れた特別研究員であるシュルツ氏は、1982年から1989年まで国務長官をつとめた。ペリー氏は、1994年から1997年まで国防長官をつとめた。キッシンジャー氏は、1973年から1977年まで国務長官の任にあった。ナン氏は、元上院軍事委員会委員長。
シュルツ氏とシドニー・D・ドレルが主催した会議はフーバー研究所において行われ、レーガンとゴルバチョフがレイキャビクに持ち込んだビジョンを再検討することを提案した。シュルツ、ドレル両氏に加えて、以下の会議参加者が、本論説の見解を支持している。マーティン・アンダーソン、スチーブ・アンドリーセン、マイケル・アマコスト、ウィリアム・クロウ、ジェイムス・グッドバイ、トーマス・グレアム・Jr、トーマス・ヘンリクセン、デイビッド・ホロウェイ、マックス・カンペルマン、ジャック・マトロック、ジョン・マクローリン、ドン・オーベルドルファー、ロザンヌ・リッジウェイ、ヘンリー・ローウェン、ロアルド・サグディーブおよびアブラハム・ソファー。
一昨年、人気コミック誌『漫画アクション』に被爆10年後の広島を舞台に被爆女性を描いた『夕凪の街』が掲載されました。そして昨年10月、『夕凪の街』と被爆二世を描いた『桜の国』(1、2)を合わせた単行本『夕凪の街 桜の国』が発行され、第8回文化庁メディア芸術祭漫画部門大賞を受賞するなど注目を集めました。作者で、広島出身の漫画家こうの史代さんにインタビューしました。(見出しは編集部)
被爆の問題を身近に感じてくれた
―『夕凪の街 桜の国』が注目を集めていますね。地元の広島をはじめ反響は?
こうの わりといい感じですね。広島の方が若干多いかなという気はするんですけど、そうではない方もけっこう多いんじゃないかと思います。広島以外のところに住んでいる方から「ぜんぜん知らなかった」などと反響がけっこうありました。広島の人間でも、身近に被爆者がいるということをほとんど知らずに過ごしているんですね。それは被爆者が言う機会がないからだし、言いたくないのもあるでしょうしね。
