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ご挨拶
国民平和大行進ご参加の皆様お疲れ様でございます。「日本列島梅雨真っ只中大きな被害が出ている地域もございます。そうかと思えば真夏日を思わす高温の日もありこの世の終わりの前ぶれではと不吉な思いがいたします」お体には十分気をつけられまして長い道のりどうぞ頑張ってください。毎年のことながら高齢化の一途を辿っております被爆者には、ますます一緒に行進することは叶わず残念でございます。
今年原爆被害者の会は結成50年を迎えます。62年前、「この世の終わり」を経験した被爆者、それ故にほかの誰にもこんな思いをさせてはならないと現世の平和を願い活動してきた被爆者にとってもっとも辛いことは広島・長崎の原爆投下は、今風化しようとしています。
若い人たちには、「原爆や太平洋戦争は歴史の中の出来事で、現在の日本や自分達とは関係ない」と思っている人が多くなっています。とんでもないことです。原爆投下は歴史の中の出来事ではありません。今もまだ苦しみ抜いている人が大勢いるのです。
世界的に記憶が薄れつつあり、実体験を持たない大多数の世界の市民にとっては原爆の恐ろしさを想像することさえ難しいことでもあり、その結果「忘れられた歴史は繰り返す」と言う言葉通り、核戦争の危険性や核兵器が使用される危険が高まっています。
原爆投下は、その行為が無差別で非人道的な国際法に違反しているものであることが東京地裁判決で示され、最高裁判所も原爆被害は戦争という国の行為によってもたらされたものと示し、政府は国際法の精神に反すると国会答弁しました。ハーグ国際司法裁判所において政府陳述がなされ、証人陳述も行われました。マクナマラ元アメリカ国防長官も原爆投下は必要がなく賢明な選択ではなかったと話しております。
昨今、メディアを賑わしております防衛大臣、人それぞれ考え方は違うとはいえ日本の防衛を預かる立場の、まして被爆地である長崎の出身である人の思慮のなさ、無神経さにあいた口がふさがらないばかりではなく怒りを通り越して笑うしかないのは私だけでしょうか。
被爆62年、旅立ちの日の近きを感じる年齢になりましたが「炭鉱の危険を知らせ死んでいくカナリアのように生と死をかけ警鐘し」広島・長崎の被爆の先輩として被爆体験を語り、反核・平和運動の人生をまがりなりにも送ってまいりました。こともあろうに正面から冷や水を浴びせて神経を逆なでする発言そして謝罪、参院選が戦えないから辞任、もうばかばかしくて何も言うことはありません。
被爆者が訴えて来た「憎しみと暴力、報復の連鎖」を断ち切る和解の道は忘れ去られ、世界の紛争地でその犠牲になるのは圧倒的に女性・子ども・老人等、弱い立場の人たちです。人類共通の明るい未来を創るために、どんなに小さくても良いから協力を始めることが「和解」の意味と信じます。その「和解」の心は過去を「裁く」ことではなく、人類の過ちを率直に受け止め、その過ちを繰り返さずに、未来を創ることにあると思います。そのためにも、誠実に過去の事実を知り理解することが大切ではないでしょうか。ほかの全ての国と同じように戦争のできる「普通の国」にしないこと、すなわち核兵器の絶対否定と戦争の放棄です。
数千度の熱線と猛烈の爆風が子ども、老人、女性たちにまでも襲い掛かったのです。これまでに多くの人々が恐るべき放射線によって白血病や癌に蝕まれ半世紀猶予以上を得た今も、被爆者は健康に不安を抱え、死の恐怖に怯える日々を過ごしているのが現状です。しかし、ただいたずらに核廃絶を叫ぶことではありません。正しい歴史の認識と教訓の上に立って主張すべきことを主張する態度と勇気が何よりも必要ではと考えます。
あの猛火の中で肉親、知人、幼児が助けを求めて泣き叫んでいます。“助けてあげられなくてごめんね”と思いを残しながら怪我や火傷で痛む体を引きずりながら逃げていくのです。生き残った被爆者は今でもその声が耳に残るといいます。
決して忘れてはならない原爆の真相を、放射線が目に見えない匂いもない、普段多くの人が危険だとは実感していない放射能の恐ろしさを伝える事によって平和を考えることの意味をこれからも命ある限り追求していきたいと思います。どうぞよろしくご支援・ご指導お願い申し上げます。
2007年7月6日
茨木市原爆被害者の会
会長 細田美保子
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