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2006年04月05日

福島県原水協の総会でマーシャル核被害者支援交流団参加者が報告

福島の「てっちゃん」から、「マーシャル核被害者支援交流団」に参加した「ゆりっぺ」による報告会の様子が届いたので以下に転載します。

4月1日(土)、二本松市内にて開催された福島県原水協の総会の中で「マーシャル核被害者支援交流団」に参加した我らが『ゆりっぺ』からの報告がありました。

《ゆりっぺの手書き資料より》
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『やっこえ!マーシャル!!』
~マーシャル核被害者支援交流団に参加して~

○主な日程・活動
2月26日 成田→グァム移動
  27日 グァム→マーシャル移動
  28日 アサンプトンスクールにて被爆写真展(マジュロ)
3月 1日 ビキニデー式典 ERUBビキニデー集会
   2日 健康相談・被爆写真展・バザー
      (ロンゲラップ環礁事務所にて)
   3日 キリ島へ。被爆写真展・ビキニデー式典
   4日 代表団交流会(アバッカ議員一家と交流会)
   5日 アバッカ議員の夫の島へピクニック
   6日 イバイ島へ。ネルソン・アンジャイン氏と再会
      平和ミュージアム建設についての話し合い
   7日 マーシャル→グァム移動
   8日 グァム→成田→福島移動
「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名も随時集められました。

○感じたマーシャルについて
 飛行機の窓から眺めた環礁や海は、本当に美しかった。南の島らしく、人々はとても陽気でやさしい。しかし、いざ島に降り立ち島人の暮らしを知ると、私は違和感を感じてならなかった。南の小さな楽園はどこへ消えてしまったのか。コンクリのバラック小屋に住み、米と肉を食べ、アメリカンな服を着て、仕事もなくブラブラし、命に関わる核被害の実態も知らされず、自分が何者なのか、人間らしい幸せを彼らは知っているのか?
 唯一、私がドキドキしたのは、彼らが大合唱する島の歌とヤシの木の繊維で作る手工芸品だった。
 ビキニデーに於いて、アメリカ大使は「皆さんは冷戦の終結と世界の平和・民主主義に貢献した」と核実験について挨拶で述べます。それに対してマーシャル側は何も言いません。ロンゲラップ環礁の代表だけが抗議の言葉を口にします。被爆者たちは、そんな状況に怒っています。90年代、(原水爆禁止)世界大会に参加し、私たち日本の運動に学び、被害者組織エラブ(ERUB)が」つくられ、被害の実態を知らせ補償を求めて奮闘しています。
 平和ミュージアムについても、彼らは決して諦めていません。国会議員のアバッカさんを中心に、「ミュージアムはマーシャルの教育にとっても、歴史を伝える上でも重要、必ず完成させる」と強い意志で頑張っています。

 地図上でも点でしかない小さな国のマーシャルで起こった核実験とその被害、そこに生きる人々のたたかいが世界から忘れ去られないように、日本の、福島の私たちがこれからもマーシャルを見つめ、連帯を深め支援していくことが大切ではないでしょうか。

 福島で、これまであたたかく見守り応援してくださった皆様へ、心から感謝申し上げます。   2006.3 ゆりっぺ

 「ゆりっぺ」が福島人でホントに良かったと思いますわ。彼女がマーシャルで見たこと・聞いたこと・感じたことetc・・・は、今後の福島の平和運動の大きな力になることは間違いないね!これからも共に頑張っていぐべ!

転載ここまで。

マーシャル代表団の活動は、『原水協通信』4月号の10面にカラーで掲載してありますので、そちらも併せて読んでいただけると一層深まると思います。

2006年03月18日

ベネズエラ代表団が日本原水協事務所訪問

日本AALAの招請で訪日しているベネズエラ代表団のフェリーペ・ネリ・フィゲロアさんとジョニ・ラモン・ニーニョ・ビジャロエルさんが17日午後、日本原水協の事務所を訪れ、出迎えた高草木博事務局長はじめ事務局員と懇談しました。
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フェリーペさんは、チャベス政権が広範な国民に支持されていることについて、憲法を改正して参加型民主主義が位置づけられたことが大きい。それまでは一部のエリートの利益を代表していた国家が、国民のための国家に変わり、資源が国民のものになった。4・11クーデターでチャベスが大統領に復帰したのは国民の支持の表れだったと強調しました。

次に、チャベス政権で行われている多面的な社会変革が具体的に挙げられました。

「居住区に入ろう」という名前の医療社会計画は、カラカスや地方の貧しい地域に居住区を設置し、無料で医療を施すという政策で、医師はキューバから派遣されており、現在は第1段階の診療所設置が終わり、第2段階の総合診療所の設置に入っていること、そして、医療支援だけではなく、住民の自治活動面も重視している。

白内障を患った視覚障害者をキューバに送り治療させる「奇跡計画」では、12万人が無料で治療を受け、新たな生産活動に従事できるように政府が支援している。

1859年、エスキエーラ・サモーラ将軍の土地改革で、働く者に土地が与えられたが、チャベス以前の政権によって一部のエリートたちに土地が奪われてしまった。そこで、チャベス政権は将軍の名にちなんだ「サモーラ計画」を出して土地の再分配、農村の民主化、食の安全保障などの改革を行い、10万人が恩恵を受けている。

教育改革では、成人に中学校卒業程度の学力を与える「リバース計画」が行われている。教育費はもちろん無料で、約50%の人が1ヶ月約75ドルの奨学金をもらっている(ベネズエラの最低賃金は月額180ドル)。数十万人の成人のうち、16万2500人が昨年中学校を卒業した。計画にはベネズエラとキューバから5万人の教師が参加している。中学校卒業後「スクル計画」で高校、大学を卒業できるように支援している。大学はボリーバル・ベネズエラ大学で数十万人が学んでおり、政府の支援によって交通費、昼食代、場合によっては夕食代まで無料。

つづいてジョニさんは、「アメリカ帝国主義に対して平和を求めていく活動は非常に重要」と原水協の活動に連帯の意を示してくれました。そして、「ヒロシマ・ナガサキに落とされた原爆はどんなことがあっても許されない。私は地域で毎週火曜日におこなっている学習会で、日本が第2次世界大戦で何をしたかに関係なく、原爆を落とす必要性はまったくなかったと説明している」と話しました。

その後、92年にチャベスが初めてクーデターを起こしてから政権が誕生するまでのベネズエラの歴史を話してくれました。
92年にチャベスがクーデターを起こすまでは社会変革などまったく考えられなかった。それまではアメリカの傀儡ともいえる「民主行動党」が選挙でも90%の得票率で勝っていたし、「キリスト教社会党」との2大政権だった。

1989年2月、民主行動党が一方的に石油の価格を上げたことが原因で、自然発生的な一斉蜂起が起こるが、政府は軍隊を投入して1万人を虐殺するという「カラカス大暴動」が起こる。それまで軍隊は国防に専念して国民に銃を向けてはならないという厳しいきまりがあったが、大鎮圧に利用されたことで、これでいいのかという反省が軍人の中に生まれた。

そして92年、選挙で公約しても一向に実行されないことに耐えられずチャベスがクーデターを起こすが失敗。しかし捕まった彼の「現時点では失敗」という言葉に多くの国民が目を覚まさせられたという。

実際、その後選挙があるたびに2大政党は票を減らし、人々は左翼政党に投票するようになり、政治的力関係が変化して今に至る。

困難なこととして、「政策先行で、それを支える組織が追いついていない」といいます。いかに新機構を作るか、どのように国民の末端まで財産を共有することができるのか、アメリカ帝国主義の傀儡勢力の妨害、破壊工作とのたたかいなど課題は尽きません。

新自由主義とのたたかいでは、「米州自由貿易協定(FTAA)をアメリカが進めようとしていることに対して「ボリーバル的対案」を出し、南米間協力を進めようとしている。南米諸国は同じ問題を抱えているので、支持が集まっている。アメリカ帝国主義はいま、たいへんな敗北を喫しつつあることに注目してほしい」と力強く語りました。

日本原水協からは「核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者援護連帯」の基本3目標を説明しました。ブッシュ大統領が、自分のところの核兵器はいいが、新しい国が持とうとするのはダメだといっていることを紹介すると、ジョニさんからは「頭おかしいですよね。世界の公敵はブッシュです」と返ってきました。日本にいる26万人の被爆者の状況は少しずつ良くなってきているが、日本政府が情け深いのではなく、たたかいによって勝ち取られてきたこと、唯一の被爆国として圧倒的な核兵器廃絶の世論を力に日本政府を動かしていきたいと伝え、夏の原水爆禁止世界大会への招待状を渡しました。

懇談終了後、「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名に快くサインしてくれました。P1011383.JPG   P1011386.JPG

最後に記念写真を撮影。

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ベネズエラ代表団は4月14日まで全国17都市を回る予定です。