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2008年04月11日

【秋田】高校生が平和への想いを込めた千羽づるを広島へ

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秋田県の青年たちは、8月の原水爆禁止世界大会-広島にたくさんの人の想いを持って行こうと千羽づるを集めています。

昨年原水爆禁止世界大会に参加したことをきっかけに民青同盟に加盟した高校生のめぐさんは、「長崎で被爆者のお話を聞いたり、ここで一瞬のうちにたくさんの人が亡くなったんだなと考えたら怖くなりました。傷の手当をしてもらっている人や、皮膚が焼けただれてしまっている人の写真はリアルで忘れられません」と語ります。

帰りの飛行機のなかで被爆地にあった折り鶴のことを思い出し、秋田からも届けたいと思ったものの、どうしたらいいのかわからずにいためぐさん。「せば、民青に入ってやるべ!」というわけで加盟し、青年たちとともに折り鶴計画をスタート。

以来、4千羽を目標に、ビラを作り、駅前で折り紙と一緒に配布するなど大奮闘。「集まった鶴を数えてみたら3千羽もあり『すげー』と感動した」と語るめぐさんは、これからもっともっと増やしていきたいと張りきっています。

2008年04月04日

【大阪】米ミサイル駆逐艦は大阪港にくるな 市長、港湾当局に要請

米ミサイル駆逐艦チャフィー(9157排水トン)が4月12日から16日まで大阪港に入港する計画が明らかになったことで、大阪原水協は3月26日、平松邦夫・大阪市長にあて入港拒否を求めた文書を送りました。同艦は核兵器搭載可能な巡航ミサイル・トマホークのほか劣化ウラン弾も搭載しています。

4月3日には大阪原水協、安保破棄大阪実行委員会、非核の政府を求める大阪の会、大阪平和委員会など18人が大阪港湾局と交渉しました。経営管理部・玉井海務担当課長らが対応し、米領事館と外務省は核兵器に関し事前協議はないと回答、歓迎はしないが「大阪港の平和利用決議」は軍艦を入れないというものではない、港湾法上断れない、などの回答に終始しました。

交渉団は、沖縄と横須賀の米兵による凶悪事件のなか、何が「友好訪問」なんだと、市民の立場から断固入港拒否を求めました。入港強行の場合は現場で抗議行動を行います。

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米ミサイル駆逐艦チャフィー

2008年03月20日

【福島】3・1ビキニデー参加の青年が原爆展開催

福島市平和委員会青年の会“ピースぴゅぱ”は3月20日、市内において『原爆と人間展』を開催しました。

雨が降り寒い中、またゲリラ的に開催したにも関わらず、青年など20名が来場しました。

ビキニデーに参加した青年の「原爆展を開きたい」という一言がきっかけになり、参加した青年たちを中心に準備、当日案内が進められました。

日本被団協作製の原爆パネルと、イラク戦争開戦5年の日ということで森住卓氏の『イラク、戦争と子どもたち』を展示し、若いカップルからお年寄りまで幅広い世代の方々が来場してパネルに見入りました。
68才の女性からは「懐かしいもの見せてもらってありがとうね。いいもの見せてもらった。あんたらまだ若いんだから、若いうちにいろんなこと経験しなよ。頑張りな!」と励ましの言葉をいただきました。

当日参加したぴゅぱの会員は、「今後も継続して平和の取り組みをしていきたい」と話しています。

2008年03月14日

【奈良】ビキニデー報告集会と学習会に55名参加

3月13日、土庫病院にて院内共闘(=病院、労組、平和委員会等)主催、3・1ビキニデー集会健生会代表の報告集会が開催されました。

健生会からは今年のビキニデーに看護師3名事務1名の4名の代表を送りました。

松下事務長のあいさつのあと、東京の第五福竜丸展示館学芸員の市田真理氏より特別報告。ビキニ事件の衝撃と、最近の米軍事件をみて、当時と何も体質が変わっていない日米両政府の対応ぶりについて、元乗組員の大石又七さんの証言を紹介しながらお話していただきました。

続いて、代表の報告。看護師の奥村真代さんから「私は、正直ビキニ事件について何も知りませんでした。今回集会にはじめて参加し、核の恐ろしさをあらためて感じました。私たちが戦争のことを風化させないよう次の世代へ伝えていくことが私たちの役目だと思います」。

看護師の御手洗尚美さんから「私もはじめてビキニデーに参加させていただきました。高校生や海外の参加者もいて、日本人だけが思っていることではないこと、平和について、いろいろな人が理解しあうことが重要だと感じました」。

最後に、事務の高崎大史さんより「2010年には、NPT再検討会議が開かれます。また国民投票法で憲法改悪の発議ができるようになるのも2010年です。社会保障の改悪や環境破壊もこの2、3年がヤマ場です。核兵器廃絶平和も、社会保障改悪も、環境破壊も根っこは同じ。金儲けのためなら何をしてもいいという市場原理主義をわたしたちがどうやって乗り越えていくか。この2年間の運動は歴史を左右するかもしれません。がんばりましょう」と、行動提起も含め、報告がありました。報告集会には30名の職員が参加しました。

同日、夕刻、平和委員会主催で「ビキニ事件が今に問うもの」市民平和学習会を開催しました。

講師は市田真理氏。ビキニ事件で広がった原水爆禁止運動、そしてお茶の間で国民が本当に被災者を心配し、こどもたちから3000通もの励ましの手紙が久保山家に送られた感動秘話を実際の手紙を紹介しながら報告していただきました。

「ビキニ実験の当時の衝撃は今のギョーザ事件の比ではない。半年間にわたってメディアも報道し、翌年の原水禁世界大会へと運動も発展していった」、「政府は、未だにビキニ事件被災者の保険適用を拒むなど、核戦略に固執する姿勢をかえていない」、「大半の乗組員が周囲の無理解もあり、口を閉ざし続ける中、大石又七さんは、1984年から2007年まで550回も被ばく体験を語り続けています」。

学習会参加者からは「今、マーシャル諸島はどうなっていますか」、「戦争の目的はいつでも利益」など意見交流がされました。地域の市民も含め25名が参加しました。

また、土庫病院で2週間にわたって展示されていた「第五福竜丸パネル展」には多くの市民、患者が見学に来られ、120筆を超える平和署名(核兵器廃絶、憲法改悪反対)が寄せられました。

土庫病院平和委員会 高崎大史

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学習会で講演する市田真理氏

2007年05月12日

【福岡】非核・博多港シンポジウム決議

広範な草の根に、核兵器廃絶と非核の地域づくりのための大きな世論と運動、その共同を築くことを目指して、2007年5月12日、「非核・博多港シンポジウム」がひらかれました(非核の政府を求める福岡県の会と原水爆禁止福岡県協議会主催)。以下、決議全文を紹介します。

決議
 昨年秋の第61回国連総会第1委員会(軍縮、安全保障問題)は、すべての決議を採択し、その決議のなかで核兵器廃絶に関する決議はすべて圧倒的多数で採択されました。いまや「核兵器廃絶」は国際社会の確固とした合意になっております。

 このようななか、北朝鮮が核実験を行いました。

 北朝鮮の核実験強行は、世界に広がる核実験禁止・核兵器廃絶の世論に逆行するものであり、北朝鮮も合意した2000年5月のNPT再検討会議における、核兵器廃絶の「明確な約束」をまっこうから踏みにじるだけでなく、新たな核軍拡競争の危険さえもたらすものであります。

 広島・長崎への原爆投下は国際法違反であり、その惨禍と被爆者の苦しみが示しているのは、「人類は核兵器と共存できない」ということであり、いかなる理由も核実験強行を正当化できません。

 北朝鮮の核実験は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5カ国に核保有の特権を与える核不拡散(NPT)体制の矛盾と、核兵器全面廃絶以外に核兵器問題の危険を打開する道はないことを示しています。

 唯一の被爆国である日本政府は、いまこそ核兵器全面禁止に向けてイニシアチブをとるべきです。しかし、安倍内閣の麻生外務大臣と与党の中川政調会長は、相次いで“核武装”発言を繰り返し、安倍首相もこれを咎めるどころか「日本は言論が自由だ」と庇い立てするしまつです。

 北朝鮮の核実験強行に対して、どう対応するかという岐路にあって、「核武装」論議を容認する政府に厳しく抗議するものです。

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2007年05月11日

【栃木】『原水協通信』読者数が3ケタに

3年間で2倍に
 5月11日、県原水協理事の小牧さんから、医療生協のAさんが原水協通信の購読を了承した、という連絡をいただきました。これで、栃木県原水協が取り扱う日本原水協の機関紙『原水協通信』の読者数が丁度100名になりました。
 私(福田)が事務局長になったのは、02年12月の定期総会からです。事務局長になりたての頃は、目先の雑事に追われて、原水協通信を拡大することまで手がまわりませんでした。しばらくの間は、毎月の発送の仕事をこなすだけでした。
 手元の資料によると、04年の4月には、48部でした。それから3年たって、100部になりました。

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2007年04月18日

愛知県平和委員会が伊藤市長追悼宣伝

 伊藤一長元長崎市長が選挙運動中に襲撃された翌日、愛知県平和委員会は、政治的な立場は違えども、平和運動の大切さを世界に呼びかけた代え難いリーダーを悼み、その意志をしっかりと受け継ぐ誓いを込めた宣伝を行いました。

 当日は、雨が降りしきり、身に沁みる寒さの中、澤田昭二県原水協理事長をはじめ、長崎の被爆者ら15名が参加し、県平和委員会の声明文が掲載されたチラシを道行く人に配布し、伊藤市長も先頭になって呼びかけた「すみやか」署名を集めました。また、地元の報道社数社も取材に来るなど、通行人の注目を集め、大きなインパクトを与えた宣伝となりました。

 マイクを持ち訴えた澤田氏は、「伊藤市長は2005年のNPT再検討会議のとき、NYで先頭にて横断幕を持ち、全米・全世界に核兵器の廃絶を訴えた。また、原水爆禁止世界大会のときには、毎回メッセージを寄せてくれ、海外代表と交流を楽しみにされるなど、私たちの運動にはかけがえのない代表だった。このような人を亡くしたことは、とても悲しいことだ」と述べました。

 また、長崎で被爆をした愛知県原水爆被災者の会の被爆者もマイクを持ち、伊藤一長市長が生前に果たした役割の大きさを訴えられました。

 この他にも、愛知県内で反核・平和運動に取り組む労働者、青年、高校生が、それぞれの言葉で訴え、チラシ配布に取り組みながら、伊藤市長の意志を受け継ぐ決意を現しました。

 自由と民主主義を真っ向から否定する今回の狙撃は、どんな理由があっても決して許されるものではなく、また、意見の異なる人を、対話ではなく、武力で弾圧をしようとするものは、日本国憲法の「言論の自由」を真っ向から否定しており、事件後会見をした安倍首相は、この点に触れなかったことを告発。自由と民主主義を守る為にも、新憲法の成立を許さない闘いを広めていく必要性を市民に示しました。

 チラシを受け取った年配の女性は、「言葉が話せるのに、暴力を使う行為は許せない。」と怒りを表しながらチラシを受け取っていきました。

 今回の事件ではあらためて「人間と武力・暴力は共存できない」ことが明らかになったのではないでしょうか。
 
 私は、伊藤一長市長のご冥福を祈りつつ、生前の意志を最大限受け継ぎ、今後も多くの市民と共同の輪を広げながら「核兵器廃絶」「被爆者援護・連帯」「憲法を守る」運動を進めることを心に誓いました。

<愛知県平和委員会 高木秀一>

2007年04月08日

【三重】ローマ原爆写真展開催に向け募金よびかけ

 ローマでの原爆写真展開催をめざしているイタリア在住の横田早苗さんを支援しようと、出身地の三重県で募金活動がひろがりました。半年間の取り組みで、個人や団体、それに高校同級生から寄せられた善意は、60万7260円に達しています。一部は、すでに組写真の購入などに当てられていますが、4月8日、帰国中の横田さんに、募金を呼びかけた原爆被災者の会と原水協から51万円を直接手渡すことができました。
 横田さんの報告によると、展覧会は、ローマ市第11区と消防局が主催し、本年10月25日から11月7日まで開かれることが決まりました。さらに、イタリア内務省、環境省、州都ローマ市のラツィオ州、ローマ県、ローマ市の後援となります。
 なお、この写真展にあわせ、ミラノ県主催による講演会も予定され、立命館大学国際平和ミュージアム館長・安斎育郎先生、日本被団協原爆被爆者中央相談所理事長・肥田舜太郎先生が日本側の講演者としてご出席いただける見通しも出てきました。
 この運動を通して、三重では、イタリアの反核平和運動との国際的な連帯がいっそう身近なものとなっています。
三重県原水協・落合郁夫

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2007年03月16日

三重県原水協が衆院憲法調査特別委での強行採決に抗議

衆議院憲法調査特別委員会での自民、公明両党の強行採決に断固として抗議する

 3月15日、自民党、公明党は民主党の着席のない中、「公聴会」の開催をめぐって、2回開催の要望がつよいことを知りながら、国民の知る権利を踏みにじって、「公聴会」1回開催案を採決したとしている。

 もともと、国民投票法案の中身は国民を納得させるだけの内容ではなく、審議が尽くされていない。さらに、改憲派を一方的に利する内容になっていることも問題である。この法案は日本国憲法の根本理念を否定するものである。ましてや、強行採決をおこなってごり押しすることは言語道断である。

 われわれは、強行採決した公聴会の開催日を白紙に戻すことを強く要求するとともに、今回の強行採決の暴挙に断固として抗議する。

 2007年3月16日

                                        三重県津市乙部14-18
                                         原水爆禁止三重県協議会
                                         三重県平和委員会

2007年03月02日

【大阪】米イージス駆逐艦ステッテム大阪港入港に抗議

 1日朝、大阪南港J岸壁(住之江区)に米第7艦隊所属イージス駆逐艦ステッテム(STETHEM、8800排水トン)が入港し、大阪安保破棄実行委員会、大阪原水協、大阪平和委員会、非核の政府をつくる大阪の会など労働組合と民主団体が、大阪港湾労働組合協議会と共同で抗議集会をおこないました。同艦は5日まで停泊。
 入港に先立ち2月23日、大阪安保破棄実行委員会、大阪原水協などが、大阪市に「大阪港の平和利用に関する決議」にもとづき入港拒否を要求して交渉。同艦は核兵器搭載可能艦だが、市当局は外務省の「事前協議がないので核持ち込みはない」とする見解を繰り返し、入港を認めたもの。1994年の同決議以降、米艦の入港は8回に及びます。
 抗議集会で民青の和田さんが英語で米艦乗組員に大声で呼びかけをし、参加者も日英両語で「ステッテムは大阪港から出て行け!」などシュプレヒコールをしました。

2007年02月11日

【大阪・泉佐野】第26回反核・平和のつどいひらく

 泉佐野・泉南原水協の参加団体と生協などの実行委員会が2月11日、イズミヤ泉佐野店の1階広場で「第26回反核・平和のつどい」を開催しました。同店の好意で店内開催は3回目。中央に設けたステージでは琴と尺八演奏やギター弾き語りの演奏が次々に。のこぎりを楽器にしての演奏も。観客もお囃子に参加して“南京玉すだれ”グループの賑やかな演技に最高に盛り上がりました。
 会場に展示された「原爆と人間展」はとくに目を引き、地元の戦争遺跡・佐野飛行場に関する展示や地域の出征戦没兵士の調査をした展示など、買い物の市民が熱心に見ていきました。
 催しには泉佐野市と同市教育委員会が後援、市長と教育長からメッセージが寄せられました。

2007年02月06日

長崎被爆地域拡大連絡会による厚生労働省への申し入れ

「私たちも被爆者と認めてほしい」と訴えて上京した被爆「体験」者ら長崎被爆地域拡大連絡会による厚生労働省への申し入れが6日、衆議院第1議員会館第2会議室で行われました。

冒頭、長崎被爆地域拡大連絡会代表世話人の峰松巳氏から厚生労働省健康局課長補佐の野上耕二郎氏に対し申し入れ書が読み上げられたのに続き、各地域から参加した「被爆体験者」が生々しい証言を行いました。

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その後、野上課長補佐から「直接の体験がある人が対象」、「『被爆体験者精神医療受給者証』から『精神』という文言を外せというのは、事業を表すものとして適切ではない」、「放射線は2kmしか出ていないと思っている」、「県外に出た人は『こころの問題』が生じにくい」などの申し入れ書への回答がありました。

これに対し、長崎被爆地域拡大連絡会の8人から「『被爆体験の記憶がない人は制度から除外する』という記載が2005年から突如記載され、合理的な説明はないし根拠も示さないことが(長崎では)大問題になっている」、「“被爆体験者”と“被爆者”を分ける科学的な根拠は何か」「二重構造を作って除外するのは受け入れられない」「すべての被爆体験者も被爆者と認めてほしい」と切実な訴えが出されました。

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2007年02月05日

【四国】平和行進四国コース、原水爆禁止四国大会などの日程を確認

原水協四国ブロック会議は、歴史的意義のある第50回国民平和大行進を成功させるために、星野村の平和の火を灯したランプを持って回ることや、原水爆禁止四国大会(ウェルシティ伊予)では、核兵器廃絶運動の前進とともに、被爆者認定訴訟問題や、高レベル放射性廃棄物処分場の問題点などを含め、多面的に討議することを決めました。

2007年01月26日

【神奈川県原水協】米原潜ヒューストン入港抗議文

抗 議 文

米原潜ヒューストン入港に抗議する!
米原潜衝突事故の原因究明がされないままの入港は許せない!
原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀配備を撤回せよ!
原潜入港非公表措置をただちに撤回せよ!
原潜への核トマホーク配備を中止し作戦計画を撤回せよ!
核兵器使用計画を撤回せよ!

 米海軍は25日、ロサンゼルス級攻撃型原潜ヒューストン横須賀入港を強行した。原潜の入港は今年初めて、原子力艦船の入港は通算755回目となるものである。しかも原潜の入出港公表を中止させて以降、65回目の入港である。断じて許せない。

 しかも、1月9日ペルシャ湾で米原潜は衝突事故を起こし、その原因が究明・公表されないままの入港である。我々は10日、原因究明がないままの原潜入港を控えるよう要請したばかりである。何という暴挙か。許せない!

 そしてヒューストンは、核トマホーク積載を米軍が認めた「核認証原潜」である。

 非核三原則が蹂躙され、核兵器が持ち込まれている危険が濃厚なのと、放射能汚染の危険を思うと決して認められないものである。

 米軍は攻撃型原子力潜水艦への核巡航ミサイルトマホーク配備を強行し、その作戦を強化しており、核持ち込みの危険が増大している中でのヒューストン入港である。しかも米軍は原潜の6割を太平洋に集中配備する計画をすすめている。さらに米軍は原子力空母配備のための関連施設建設を強行しており、それは原子力空母と原潜を一体のものとして扱う工事の強行である。断じて許せない!

 ヒューストンは非核証明を提出せよ!ただちに出ていけ!

 一昨年12月2日、米政府は2008年原子力空母ジョージワシントン横須賀配備・母港化を正式表明し、市議会、市民あげての反対の声が渦巻く最中の原潜入港である。

 また、空母艦載機のスーパーホーネットの配備を強行し、池子基地への米軍住宅700戸追加建設計画、そして今度は米海軍だけではなく、米陸軍第一軍団司令部を新司令部に改変し座間に持ってくる計画まで決め、これも県知事、市長、市議会、市民あげて反対運動が広がっている最中の原潜入港である。

 米軍の基地再編強化計画に強く反対する。基地の縮小・早期返還をこそ実行せよ。

 我々は横須賀基地を米軍が他国侵略の出撃基地として使用することを断じて許せない。

 最近、米解禁文書による米軍有事核持ち込み密約の存在が明らかになっている。

 1953年空母オリスカニが米空母として初めて横須賀に入港した時、核兵器を積んで入港していた事実、そして1973年空母ミッドウェーが横須賀を母港とした時も核兵器を積載していた事実が判明した。

 米日両政府は50年間も日本国民をだましたまま横須賀に核兵器を持ち込みつづけてきたのである。断じて許せることではない。また、横須賀を「母港」とする11隻の艦船に「劣化ウラン」弾の搭載と基地内貯蔵が判明している。「劣化ウラン」弾が常時艦船に積まれ、イラク攻撃で使用され、浦郷弾薬庫に貯蔵されているなど言語道断である。

 米軍はイラクから撤退せよ。

 県民の多数の世論、そして国連をはじめ多数の国際世論は、イラク占領に反対し、横須賀の核基地化、出撃基地化に反対している。我々は、この世論にそむく原潜の入港を断じて許せない。

 一、原潜ヒューストン入港に強く抗議する!ただちに出ていけ!核兵器を持ち込むな!
 一、原潜の入出港公表中止措置を撤回せよ!
 一、原子力空母ジョージワシントンの横須賀配備計画を撤回せよ!
 一、空母の母港を撤回せよ!最新鋭艦載機スーパーホーネットの配備強行に抗議する。
 一、米軍の新司令部の座間キャンプ移転計画を撤回せよ!
 一、艦載機の日中訓練、NLP、超低空飛行訓練を中止せよ!
 一、池子米軍基地への700戸住宅追加建設を中止せよ!遊休基地を即時無条件返還せよ!
 一、核兵器の存在を否定も肯定もしない政策をやめ、非核三原則を厳守し、核兵器の廃絶を実現せよ!
 一、米軍はイラクから撤退せよ!

2007年1月26日

原水爆禁止神奈川県協議会
安保廃棄・諸要求実現神奈川県統一促進会議
神奈川県平和委員会
神奈川県原爆被災者の会
神奈川県労働組合総連合
米原子力空母の横須賀配備を阻止する三浦半島連絡会

第七艦隊司令官殿
在日米海軍司令官殿
米軍横須賀基地司令官殿

2006年12月22日

【鳥取県原水協】被爆者援護法改正及び原爆症認定制度の抜本的改善を求める意見書

 1945年8月6日に広島、同年8月9日に長崎に投下された比類なき2発の原子爆弾は、多くの尊い生命を奪った。奇跡的に一命をとりとめた被爆者も、被爆から61年経った現在でも後遺症や悪性新生物などの肉体的苦痛、周囲からの偏見や差別による精神的苦痛など、被爆に起因する不安な生活が依然として続いている。

 1994年に制定された『原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(通称:被爆者援護法)』は、原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに医療・福祉などについての保障を想定したものだが、その認定審査に用いられる『DS86』(1986年に日米の専門家が共同作成した原爆線量評価検討委員会の報告書の略称)に基づく基準は、直接被爆以外の残留放射線に夜外部被爆・内部被爆の影響を不当に低く見積もるものであり、その結果、投下直後の入市被爆者や遠距離被爆者などを保障の対象から除外するものとなっている。

 こうした原爆症認定基準の不備については、先頃大阪地裁及び広島地裁の原爆症認定訴訟の判決において厳しく指摘されている。特に、広島地裁判決においては、判決理由の中で、原爆症についてはなお未解明の部分が多いことを前提として、国の認定基準に「残留放射線による外部被爆及び内部被爆を十分には検討していないといった様々な限界や弱点がある」ことを指摘し、「審査の方針を機械的に運用すべきではなく、あくまでこれを放射線起因性の一つの傾向を示す、過去の一時点における一応の参考資料として評価するにとどめて、全体的、総合的に検討することが必要である」とし、原告全員を原爆症と認定した。さらに被爆者援護の立場に立ち、入市被爆者、遠距離被爆者についても広く認定の対象とすることなど、現在の原爆症認定制度を根底から批判し、被爆の実態を見据えた新しい認定のあり方を示した。

 また、この被爆者援護法は日本国内に在住する被爆者のみに適用され、在外被爆者に対しては法が適用されない現実がある。戦前の日本軍国主義による強制連行などによって広島・長崎で被爆した当時の在日外国人の多くが、戦後に母国に帰国するなどして今なお何らの手当てを受けることができず被爆の苦しみに耐え続けている現状を見ると、日本政府により在外被爆者に対して国内と同等の実効的な救済施策が講じられる必要があると考える。

 また、直接被爆ではないにしても、被爆2世・3世などは被爆に起因する遺伝的な疾病や障害を起こす可能性があるという報告や実際に原爆小頭症や悪性新生物などに苦しむ人々が存在するという事実がある。被爆2世・3世などは常にそのような不安に駆られ、被爆を理由に周囲から差別を受けるという事象も後を絶たない。

 厚生労働省は被爆者救済の視点に立ち、現行審査基準や現行法制によって救済の対象から外れている高齢化する被爆者、在外被爆者、被爆2世・3世などに対する国の責任を明確にした上で、以下に挙げるような適切な施策を講じることを強く求める。

(1)在外被爆者や被爆2世・3世など現行制度で救済の対象から外れている人たちを含めた包括的な救済を可能とする被爆者援護法の改正を求める。

(2)現行の所謂「DS86」に基づく原爆症認定基準を改め、間接被爆(黒い雨、黒い塵などもふくめた残留放射能の影響を受けている入市被爆者、遠距離被爆者など)も考慮に入れた認定基準の確立を求める。

(3)被爆者の高齢化を鑑み、原爆症患者の救済を最優先する観点から、原爆症認定集団訴訟に対する控訴の取り下げを求める。

以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。

平成18年12月21日

鳥取県八頭郡八頭町議会

内閣総理大臣 安 倍 晋 三 様
厚生労働大臣 柳 澤 伯 夫 様
衆議院議長  河 野 洋 平 様
参議院議長  扇    千 景 様

2006年06月05日

「原爆の火」「こころの火」の保存に関するアンケート調査について

鳥取県原水協は、1990年の原水爆禁止日本協議会国際遊説団ニュージーランド班に伊谷周一事務局長(当時、広島原爆被爆者)を派遣、同国首都ウェリントン市議会による「原爆の火」(東京・上野東照宮に保存)の保存決議に応えた「火」の運搬と、同国平和運動との交流に協力した。「火」は同市植物公園内の日本庭園の石灯籠型トーチに「永久保存」されている。

そのような縁もあることから、今回「原爆の火」の保存に関するアンケート調査を行い、その結果をまとめた。調査対象は星野村の「分火許可団体リスト」(2006年3月現在)、豊橋市桜丘学園の「原爆の火サミット」資料(1999年)および山田和尚氏(下記)による「『心の火』分燈リスト」(2001年5月21日現在)にある83ヶ所で、趣意書にアンケート用紙を沿え分灯年月日、保存器具、燃料、経費などについて回答の協力をお願いした。

福岡県八女郡星野村出身の兵士(故)山本達雄氏は、アメリカによる人類史上初の広島原爆攻撃により爆死した叔父宅の地下倉庫で発見した「燃え残り」を持ち帰り、「恨みの火」「仇討ちの誓いの火」として火鉢やこたつにひそかに保存していたが、「報復では永久に平和は来ない」と心を昇華させ、23年後の1968年、星野村役場に提供した。同村は1990年条例を制定し「平和の火」として保存、以来2006年3月までに12の自治体、宗教施設などに分火(再分火を許さずの条件)している。

1988年第3回国連軍縮特別総会が開催されるにあたり、原水爆禁止世界大会実行委員会は広島→東京および長崎→東京の平和行進を組織し、広島コースは星野村の「広島の火」を、長崎コースは被爆者が長崎の被爆瓦と木の棒をすり合わせて発火させた「長崎の火」を先頭に掲げて全国に紹介、行進はいくつにも枝分かれして各処に分火・分灯した。「火」はさらにアメリカ大陸に渡り、国連およびニューヨーク市セント・アン教会に贈呈されたが、それらについての保存状況は不明である。

長野県松本市の青年団も平和行進団から分灯を受けたが、その後同市神宮寺に移譲した。1995年の神戸大震災にあたり「神戸元気村」を創設して復興事業に力を尽くされた山田和尚氏は、神宮寺の「火」を受け2000年から2001年にかけ北海道から沖縄まで「こころの火」と称して約50ヶ所に分火、分灯された。それらの火はさらに分火、再分火されたと思われるが詳細についての記録はない(星野村からは「『平和の火』と『こころの火』は別物として取り扱うように」との要請があった)。

また、「こころの火」はイギリスのグラストンベリーでの伝統的な音楽祭で点火されたのち王立博物館に分灯予定との新聞記事があり(朝日新聞)、また同国ロンドン市などでも分灯された記録があるが、その後の保存については不明である。さらに2002年1月、米国ワシントン州からニューヨークの同時テロで崩壊した世界貿易センター跡地まで、懐炉に入れた「原爆の火」を運ぶ行進の記事(日本海新聞)がある。

いま核兵器をめぐる世界の状況は、核保有国の拡散やアメリカのブッシュ政権の「核兵器をふくむ先制攻撃戦略」言明など容易ならぬ情勢もある一方、イラク戦争開戦前の数百万人におよぶ地球的規模の反戦デモその他、「戦争やめよ、核兵器許すな」の全世界的な潮流がかつてなく高まっている。

しかし日本では、平和憲法第九条を廃棄して再び「戦争する国」に改変しようとする動きが急速に強まって、あたかも「戦前」のような状況を呈し、「広島・長崎への道」への行進が始まるのではないかと危ぶまれる。

このような時にあたり、日本全国および世界に分灯されている「原爆の火」の存在とその果す役割をひろく報せ、日本と世界の平和を守りつづけねばならない。

大切なことは、物理的な「火」は消える可能性があるが、「火を守る」=「広島・長崎・被爆者を忘れない」=「人類の平和を守る」ことを理解し、一人でも多くの人々の心の中に「火」を灯しつづけることだ。

原水爆禁止鳥取県協議会
理事長 伊谷周一