ENGLISH 旧サイトへ
原水協(原水爆禁止日本協議会)
被爆者との連帯 ビキニデー 平和行進 世界大会

ビキニデー

テーマ

2020年・被爆75年へ、核兵器のない世界へ共同と行動を
核兵器禁止、憲法9条を守り活かす日本を実現しよう

主な報告や発言

国際交流会議(2月27日)

冷戦後の時代: 核兵器廃絶と核戦争防止の緊急課題 ジョゼフ・ガーソン、平和・軍縮・共通安全保障キャンペーン(アメリカ)

この歴史的機会(historic opportunity)を逃がしてはいけない、李俊揆(イ・ジュンキュ、韓神大学統一平和政策研究院先任研究員)

同じ目標に向かって―みんなで力をあわせよう、ゲディミナス・リムデイカ(医師/リトアニア緑の党)

2020年=被爆75年へ 核兵器廃絶の地殻変動起こす運動を、土田弥生(日本原水協 事務局次長)

日本原水協全国集会(2月28日)

基調報告

被災65年2019年3・1ビキニデー集会(3月1日)

アバッカ・アンジャイン・マディソン、元上院議員/ロンゲラップ島民女性クラブ「イジュ・イン・エアン」代表、マーシャル諸島共和国

プログラムや資材はこちら

過去のビキニデーはこちら

3・1ビキニデーについて

 1954年3月1日未明、アメリカは太平洋ビキニ環礁において広島型原爆の約1000倍の威力をもつ水爆実験(ブラボー)をおこないました。この核実験によって、マーシャル諸島の人びとや多くの日本漁船などが被災しました。

 焼津のマグロはえ縄漁船「第五福龍丸」は、アメリカ政府の指定した危険区域外で操業中であったにもかかわらず、“死の灰”を浴び、23人の乗組員全員が急性放射能症にかかり、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)は「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」と言い残してその年の9月に亡くなりました。

 この3・1ビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃をあたえ、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声がまきおこりました。3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌55年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。原水爆禁止日本協議会(日本原水協)はその年の9月に結成されました。

 いらい、58年間、日本の原水爆禁止運動は、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯をいっかんしてかかげ、世界諸国民や非核国政府と連帯して、世論と運動をひろげてきました。いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。

 3・1ビキニデー集会は、この久保山さんの遺志をひき継ぎ、原水爆禁止運動をになう全国の運動と静岡県の実行委員会が共催してきた伝統ある行事です。ビキニデー集会では、核兵器廃絶を求める署名の推進、被爆者とビキニ水爆実験被災者の連帯・交流を深めます。さらに8月の原水爆禁止世界大会にむけて内外での広範な共同を呼びかける場となるでしょう。

このページの最初へもどる あるいは GensuikyoのTop Pageへもどる

 
PDFWEB署名