原水爆禁止2003年世界大会
長崎・閉会総会(8月9日)

海外代表の発言


カザフスタン
青年反核基金「サレナ」会長
レナータ・イズマイロワ


みなさん、こんにちは!

  みなさんに、私の「ひまわり」の絵を2003年世界大会のポスターとして採用してくださったことに特別な感謝の気持ちを表したいと思います。

  本物の太陽はすべての生き物にあたたかさと光を与えてくれます。 けれども1949年、「核の太陽」は、カザフスタンの人びとに他に比べるもののないほど途方もない被害をもたらしました。それはセミパラチンスク核実験場での初めての原子爆弾の実験でした。それから何十年ものあいだ、草原に住む人びとはこの巨大な光の玉を目にしてきました。

  「核の太陽」はその光線で私の健康を焼き焦がし、私の人生を台無しにしました。核実験場が私に遺したものを受け入れて生きていくのはとても苦しいです。家族の助けなしでは私は何もすることができません。

  私の趣味は絵を描くことです。その絵を描くときでさえ、私にはいろんな苦労があります。たとえば絵のサイズが大きいとき、反対側まで手が届かないので、絵をさかさまにして反対側から描かなくてはなりません。でも絵は、私の気持ち、そして私の生活の一部です。「ひまわり」の絵を描きながら、私は前向きなエネルギーを伝えるように努力しました。ひまわりは、地上の太陽のシンボルです。わたしの「ひまわり」を見る人が、本物の太陽のあたたかさと喜びを感じてくれることを願っています。

  私が自分の苦労や抱えている問題について話しているのは、人びとが被曝者の状態を正しく理解できるようにするためです。私はコップに水がなくなっても、立ち上がってまた水を入れることができません。こんなありふれた人としての欲求でさえも、被曝者にとっては困難に変わります。

  私は成長し、抱える問題もそれとともにどんどん大きくなっています。自分の未来を考えると不安になります。大学を終えて専門知識を得ても、身につけた知識を生かすことができるのだろうか? 就職できるのだろうか? 被曝者であることで、社会にとって必要でない人間になりはしないだろうか?

  核兵器の改良のために、私は大きな代償を支払わされています。それは、私の生活、私の家族の運命という、とても残酷な代償です。

  でも、「核の」太陽の光は私の心を傷つけはしませんでした。どんな困難な状況にぶつかっても、楽観的な気持ちは決して失いません。必ず解決方法は見つけられると知っているからです。

  世界のどこかでテロ事件が起こったり、どこかで戦争がはじまったことを知るとき、また、紛争を解決するために核兵器を使用する可能性が出てくるとき、私の胸は痛みます。

  原子爆弾と核実験の被害者は、地球上に核兵器が存在することに反対するたたかいを続けています。私はみなさんに、被爆者と連帯して、核兵器が一日も早くなくなるための行動を強めてくださるよう呼びかけます。

  私は新しい若い世代の代表、つまり21世紀を生きる人びとの代表です。同時に核兵器の実験の被害者でもあります。わたしたち21世紀の若者こそが、世界中を危険にし、人びとの心を恐怖で一杯にし、被爆者の心を痛みで満たす、そんな核兵器が存在しなくなるようにしなければならないのです。

  友人のみなさん、みなさんのご健康と平和を祈ります。わたしたち全員を本物の太陽が照らしてくれますように。ご清聴ありがとうございました。


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