原水爆禁止2003年世界大会
長崎・閉会総会(8月9日)

海外代表の発言


マーシャル諸島
ロンゲラップ自治体議員、被ばく者
ヒロコ・ランギンベリック


ヤッコエ、そしてこんにちは。

  私はみなさんにロンゲラップ島民、特にジョン・アンジャインとネルソン・アンジャイン、そしてアバッカ・アンジャイン・マディソン上院議員からの挨拶をお伝えします。

  私は被ばく者です。1954年3月1日、ブラボーとよばれる破壊力の大きい水爆実験で、高レベルの放射線を浴びました。私は当時12才でしたが、私のその後の人生を永久に変えることになったその日に何が起こったかを詳しくおぼえています。

  その日、朝早く、私は友だちと学校のランチを作っていました。突然、目もくらむようなまぶしい光を見、その後、島全体が強風におそわれました。静かになってから、ヤシの実をとりに行き、帰り道、空から白い粉がふってきました。粉は体中に降りかかり、夜になると、体中がかゆくなり眠れませんでした。気分が悪くなって吐いたりしました。

  爆発から3日目、アメリカの艦船がやってきて、私たちをクワジェレンに避難させました。そこでは、毎日、海にはいって体を洗うように言われました。また、毎日30ccの血液をとられ、やけどを負った皮膚のサンプルも取られました。何も治療は受けませんでした。

  髪の毛が抜け落ち、皮膚はひどいヤケドを負いました。甲状腺ガンにもかかり、流産や他の病気に苦しみました。私が受けた不正義の傷跡は生涯消えることはないでしょう。けれど私は私の子供たちと世界のためにたたかいつづけます。

  今年、私は被ばくの体験を語るために、いろいろな所で、特にアメリカで活動しました。というのも、アメリカはこれ以上、医療援助など、被曝者への補償を続ける義務はないと言っています。マーシャル諸島は、アメリカと自由連合協定を結んでいました。その期限が切れたため、マーシャル政府は、今、新しい自由連合協定を結ぼうとしています。これは2003年10月1日から発効する今後20年間の二国間協定です。その中で、アメリカは個人の病気への補償や土地の損害賠償も続けるつもりはありません。核被害をうけたロンゲラップ、ウトリック、エニウェトク、ビキニの4つの環礁の首長はこれに非常に怒っており、共同して補償を求めてたたかう決意です。

  8月4日、マーシャルでは、今期最後の国会審議が始まりました。4つの環礁の島民は、国会のまわりで、デモを行ないました。マーシャルとアメリカの政府に対し、現在の自由連合協定には満足していないこと、それを承認するのではなく、時間をかけてよりよいものにしろと要求しました。

  4つの環礁の被害者たちは、ERUB(エラブ)というNGOを最近つくりました。私たちの問題や活動について人々を教育するばかりでなく、この組織は、マーシャルのヒバクシャの問題で、アメリカの議員に対しロビー活動を行なっています。私たちは、来年、マジュロで行なう3・1ビキニデー50周年の計画をつくっています。50周年には、みなさんにぜひマジュロに来て、参加していただきたいと思います。

  また、マーシャルと日本のビキニ被災を展示する、ロンゲラップ平和ミュージアムの開館が3月に予定されています。開館にはぜひいらしてください。みなさんがこのために一生懸命とりくんでくださったのですから。ミュージアムのために、募金をしてくださったみなさん、本当にありがとうございました。みなさんのご支援があったから、ミュージアム計画を実現に導くことができました。私たちがどれだけ喜んでいるか、そして、このすばらしいプロジェクトにロンゲラップの島民がどれだけ感謝しているか、言葉では言いあらわせません。2004年3月にマジュロでお会いしましょう。

ありがとうございます。


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