原水爆禁止2002年世界大会

国際会議 

フィジー

核実験被ばく兵士の会 書記長

テコティ・ロタン

   広島・長崎の被爆者、全世界の核兵器開発・製造・実験被害者へ補償・援護、連帯。

   被害の実相の世界的普及。残虐兵器の使用禁止

*あいさつ

運営委員会代表・高草木 博さん、運営委員会委員、来賓の皆さん、そしてその他の招待ゲストのみなさん、

  私はフィジーの核実験被爆兵士の会および家族からの心からのあいさつを申し上げます。 初めに、私は今週日本で私達が共同する機会を作ってくれたことに対し、神への感謝を申し述べます。 

  次に、私は、本大会の実行委員会・運営委員会に対し、寛大な財政的援助をして私のこの会議への参加を実現してくださったことについて深く感謝します。また今年5月フィジーに代表団を送ってくださりありがとうございました。

*紹介

 私の名前はテコティ・ロタンで、キリバティ共和国のバナバ島(海洋島)に生まれました。当時、カリバティはギルバーツ・エリス諸島としてイギリスの植民地支配下にありました。第二次世界大戦中、私の先祖代々の海洋島は日本軍に占領されていました。

 大戦中、バナバ島の私の家族や住民は根こそぎ戦犯としてカロリン諸島のコスラエ島に連行されました。戦犯として私はコスラエ島の日本学校で教育を受けました。当時私は日本語を話し書くことができました。

 1945年、さらに地域住民は追い立てられて、イギリス政府によってフィジーのラビ島に定着住させられました。その理由は、私の故郷であるバナバ島は、燐やその他の採鉱の結果、定住には不向きと考えられたからです。

 1958年、私はイギリス政府のクリスマス島での核実験を準備するイギリス軍人の支援のためにクリスマス島へ軍人として徴用されました。私達の体験はPCRC(太平洋の事件資料センター)、フィジーにあるNFTPM(核のない独立太平洋運動)の事務局で発行された本、「キリシマシ」に記録されていますから、ここでは立ち入ってお話ししません。

 1959年にクリスマス島から帰るとすぐ、私は海軍予備軍が解散したのでフィジー政府公務員になりました。そこを辞めた後、ラビ指導者協議会の委員に選ばれて政界に入りました。1992年から1994年までキリバティ共和国議会の議員でした。

*フィジー核実験被爆兵士の会

 この会は1999年に二つの主要な目的で結成されました。

(1)   私たちの兵役を評価させるために行動すること

(2)   補償を要求する運動

  1999年から私はこの会の書記長を務めています。政府はクリスマス島での私達が負った任務を兵役あるいは現役軍人として認めませんでした。また退職者のための「復員基金」による受給対象にもなっていませんが、私達は上記の目的のために闘わねばなりません(現役軍人とは、戦闘地域で実際に戦闘に従事するものをさしまが、私たちは除外されました)。

 この二つの重要な課題で、政府が最近、「復員基金」法を改定してクリスマス島の私達が果たした任務を現役の軍務として認めたということを報告したいと思います。これによって復員軍人は50ドル(フィジー・ドル=2620日本円)を受けています。配偶者も同じ金額を受けられ、また子どもたちも16歳以下であれば月25ドル支給されます。

*家族健康調査

 この調査は、2000年に現在の委員会が開始し、全会員を調査し健康問題がないかどうかを調査しようとするものです。PCRCが1999年に最初に行った調査の追跡調査です。ここでは、クリスマス島へ行った300人のうち266人について追跡調査がおこなわれました。現在の調査はまだ完了していませんが、これまで266人の内115人の調査がおこなわれました。私達はその他すべての会員がこの調査を受けることを希望しています。

 この調査によれば会員が持っている病気について驚くべきデータがでました。たとえば何人かの奇形児が生まれ、原因がつかめない病気に苦しむ復員軍人もいました。

 原水協代表団のフィジー訪問は会員の士気を高めることとなり、病気の原因をつきとめるのに大きな助けになりました。私達はこの調査でやるべきことが沢山ありますので、この世界大会実行委員会が引き続き医師団を提供してくださることを希望します。

 しかし、私達の会は財政的にぜい弱で、会員のほとんど(99%)が失業しています。会の存続のためにわずか月50ドルの給付から1ドルか2ドルを拠出しなければなりません。私達は事務所を提供してくれたPCRCの援助でこれまでなんとかやってこられました。これからは自前で事務所を持つ必要がありますが、外部からの援助なしではできません。会員は治療のため医療を非常に必要としていますが、これも非常に少ない手当からでは余裕がありません。無料で医師団をフィジーに派遣してくださることが会員の苦しみを和らげる確実な手段です。

* 私達のメッセージ:被爆者運動の友人達へ

 私達は第二次世界大戦の原爆投下の結果あなた方が苦しんだことについて連帯いたします。私達は1945年8月6日の広島と8月9日の長崎への原爆投下は女性や子ども達を大量虐殺したがゆえに人類への残虐行為であると考えています。苦しみに対する補償への共同の呼びかけを支持します。 

次の課題を発言したいと思います。

*救済―――これは被爆者と、私達核実験被爆兵士に対する二つの救援です。私たち自ら問わなければならないのは――何の救援かということです。

 私は討論の基礎としてフィジーの救援について次のことを上げたい、それに対して皆さんの修正意見を歓迎したいと思います。

(1)   子ども達に伝わったいろいろな病気による苦しみ、被害と苦痛に対して

(2)   寝たきりの会員への援助

(3)   子どものいない夫婦

(4)   医療の必要

(5)   高齢化

 家族にもわからない重病で、その一員が苦しんでいるとき、こうした苦しみは、会員、妻、家族全体の精神的外傷です。この苦しみは肉体的でもあります。子なし夫婦、例えば、会員が病気になり不能になれば家族を養う者がいなくなり、農場から食べ物を運ぶ、漁に出かけることなどできません。もしこれが普通の病気で起きれば、不満はいえません。しかしこれが放射能の病気によるならば、補償を受ける資格があるのではないですか? 通常の病気ならば予防ができる、しかし放射能の病気だったら死んでしまう、なぜなら予防する手だてがないから。私は正しくないですか?

*  子のない夫婦

 神さまは、若いときも、歳をとってからも、苦しんでいるときはいつでも助けてくださるものです。ところでフィジーで、家庭の大黒柱が病気で寝ているが故に食べ物を取って来たり、所得がないために配偶者が苦しんでいることがあります。

 このケースは、夫が死んでその配偶者が自分を愛してくれる人を失った場合一層ひどくなります。フィジーでは、復員軍人が死んだ場合配偶者年金はわずか60%で、もし性的不能が放射能の影響のひとつである場合、子なし夫婦は何らかの補償を受けられるでしょうか?フィジーでは復員軍人の「復員年金」は放射能によって死亡した人の遺族にも支払われます。

* 必要な医療措置

 フィジーでは、自分の責任によらない病気の治療費を支払ってくれる制度がないのでこれに対する救済が必要です。

* 高齢者対策

 放射能関連の病気を持つ者に対して、老後をしのげる財政的救済措置が必要です。

* 補償 

 もう一度同じ質問をします。何に対する補償でしょうか?

討論のためにフィジーの関連で次の点をあげます。

(1)           受けている被害と苦痛

(2)           奇形児

(3)           死産児

(4)           夫の死去

私はこれらの理由を説明せず討論と質疑にお任せします。フィジーの見解は、全ての復員軍人のために放射能の病気による障害に対して補償を行うべきだということです。同じように家族も放射能が原因の病気に対して同じ補償を行うべきです。

* 連帯

救済と補償を求める被爆者のみなさんの努力との連帯をあらためて表明します。私達は会として私達の出来る範囲内で道徳的支援および肉体的支援をしたい。私達はこの会議の目標としてその支持への署名運動に参加する用意があります。

* すべての核兵器被害者

(1)           民間人も軍人も支援の対象とすべきです

(2)           私達の全ての会やグループはおたがいに支持表明に努力しなければなりません

(3)           この会議の出席者は、自らの政府に対するいかなる核物質またはいかなる種類の核兵器もつくらないよう核保有国に働きかける

(4)           最後に、核兵器の使用をやめさせ、核戦争の予防するため積極的な措置を講じるよう自国政府に働きかけること

* 世界に向かって話そう

(1)   広島と長崎の被害の恐怖と範囲

  フィジーの人たちは、今年5月に来た原水協の代表団員の米内氏から伺うまで、広島と長崎の原爆による苦しみがどれ程のものか知りませんでした。私達がこれが分かるようになった今、私達は国に戻って国民に被害の恐ろしさを伝えねばなりません。以下のような目標と運動に私達は参加するものです。

(2)   原爆による重病の程度 

(3)   世界大会参加者が世界中で「世界暗黙日」を宣言する

(4)   私たちの目標をお互いに達成し私たちの苦しみを和らげるために「世界募金日」を宣言する

* 結論

 私は皆さんにフィジーの経験をお話したいと思います。核実験被害の認定、年金と補償を勝ち取る闘争で、私達はいつも神を討論、行動の中心に据えます。私達は、指導や援助を求めるとき神に祈り、毎週1日を会員のために尽くします。私達はこれまで達成してきたことは神様の直接のご指導によるものです。会の発足から3ヶ月の間に以下のようなことを達成できたのです。

(1)           イギリス核実験に私達が参加したことを認定すること―――私達の政府は、「旧軍人復員基金」を改訂し、『グラップル艦隊』作戦参加者を含め、復員軍人にその給付・毎月50ドルを支給させるようにした。

(2)           戦争年金――グラップル艦隊作戦参加者に戦争年金の受給資格を与えた。まだ実際に支払われていない。

(3)           補償――――政府は、2002年予算の中でクリスマス島復員軍人への補償を配当させた。

私達は、神様のお導きによって、7月20日の総会を開いたムルロアおよびタトウの友人そして日本の原水協のような良き友人を得て、短い期間にこれだけのことを達成できたと信じます。核実験被害兵士の会は今年1月フランスのリヨンで会議を開きました。これらは一部の成果ですが、私達の努力は弾みがついています。まだやるべきことがあります。

私は、神がさらなる私達の努力に恵みを賜るよう祈ります。

核戦争の恐怖と戦争のない世界平和のために共に努力する私達に神の恵みあれ。

  テコティ・ロタン、核実験被爆兵士の会・書記長

             2002年8月2〜4日