原水爆禁止2001年世界大会
長崎・共同企画 I (8月8日)
各国政府・外国代表によるパネル討論

駐日バングラデシュ大使
ジャミル・マジッド


  この会議に参加し、今まさに世界の全人民の関心事となっている重要な問題、すなわちすべての人々に幸福で豊かな未来を保証するための核軍縮、国際協力、連帯について議論できることは、特別の喜びです。第二次世界大戦が終わって以降、何人かの優れた法律家、政治家、科学者、著名な学者、戦略分析家、安全保障に関わる問題の専門家などが、この課題に取り組んできましたが、彼らのあげた成果は限られたものだったと言えるでしょう。矛盾を恐れずに言えば、核兵器の廃絶は「達成不可能と知りつつ、熱心に希求するだけの目標」といえます。最高の皮肉あるいはパラドックスは、原則として誰も目標には反対していないはずなのに、わずかな前進しかみられていないということです。実際、国連が設立される前後、あるいはその後でも、一部の専門家は、戦争が劇的に変化したことで、軍縮は非植民地化よりも容易に達成できる目標だと本気で信じていました。確かに私たちは、軍縮に向かって前進しています。しかし、その速度は、多くの人が望んでいるより、ずっとゆっくりとしています。半世紀におよぶ断固とした努力にもかかわらず、人々の願いと、これまで達成されたものとのあいだにはいまだ大きな隔たりがあります。ここで強調され、理解されるべき事実は、われわれは現実の世界に生きていて、合理性と、しっかりした現実を冷静に判断する目をもって、核軍縮問題に取り組まなければならないということです。変化は必ず起きるでしょうが、それには時間がかかるのです。

  1946年1月、初めての国連総会決議は、核兵器廃絶をよびかけました。これに続く国連の一連の宣言も、このよびかけを繰り返し強調しました。このことは、すべての国が核兵器のない世界の実現しようと考えていたことを物語るものです。しかし、核兵器が問題となる以前の、軍縮あるいは平和のための会議の歴史は、この分野で意味のある成果を達成するためには、大きな忍耐と外交手腕、そして何よりも政治的意志が必要であることを教えています。1899年、ロシア皇帝の招集した平和会議は、陸軍や海軍の削減に関する合意を達成することができませんでした。1907年の平和会議は、戦争における毒物の使用を禁止しましたが、軍備削減では合意できませんでした。国際連盟の創立宣言に含まれる軍縮条項は、具体的な軍縮という点ではあまり具体的成果をあげませんでしたが、国際連盟の任命した委員会の議論からうまれた軍縮計画のいくつかの要素、すなわち軍縮過程の透明性、合意適用の普遍性、集団安全保障概念などはこんにちでも有効です。もうひとつの取り組みである、ヨーロッパ諸国が試みた地域平和合意は、非核兵器地帯合意に形を変えて、核問題に適用されています。

  バングラデシュにとって、全面完全軍縮に努力することは憲法上の目標であり、誓約で、これにはもちろん核軍縮も含まれています。バングラデシュは軍縮会議(CD)のメンバーとして、一貫して積極的、建設的、協調的な役割を果たすよう努力してきました。第10回国連特別軍縮総会後に設置された軍縮委員会でも、同様の役割を果たそうとしています。

  核兵器のない世界への要求は万国共通です。ノーベル賞を授賞した著名な科学者、ロートブラット教授はこれを次のように言っています。「分別ある人間なら誰でも原爆を嫌うし、核兵器のない世界は、ごく一部の集団の変わった考えではなく、国際社会の多くが求める目標である。世界の安全保障に核兵器は必要でないばかりか、実際には世界平和にたいする脅威である、核兵器のない世界は望ましいだけでなく、実現可能であり、それを実現するのに必要なのは、政治的意志である」。

  かつて核保有国がアメリカだけだった数十年前のバルーク計画から、1986年のゴルバチョフ大統領の2000年までに核兵器を廃絶するという提案に至るまで、その根底には、これらすべての提唱者は核兵器を廃絶することを望んでいるという前提がありました。著名人の意見も同じくらい確信に満ちていました。1996年5月、当時のアメリカの国防長官ウイリアム・ペリーは「拡散を防止する最も効果的な方法は、すでに存在する兵器を解体することである」と述べています。1993年6月、コリン・パウエル将軍は「最終的には核兵器の数がゼロになるだろう」と言ったと言われています。レス・アスピン元アメリカ国防長官は1992年6月に「本当は核兵器のない世界のほうが望ましい」と述べていますし、マウントバッテン卿は1979年5月に次のように言明しています。「核軍拡競争には軍事目的などまったくない。核兵器で戦争をすることはできない。核兵器の存在は、それが生み出した幻想によって、われわれにたいする危険を増すだけである」。

  これまで見られてきたいくつかの進展は、今後の前進について、予断は許されないが、ある程度楽観する根拠を与えています。だたし、この分野では、短期間で大きな前進を期待することはできません。核拡散防止条約(NPT条約)は1970年に発効し、1995年に無期限延長されましたが、この条約は、核兵器保有国が、核軍縮にむけて努力するという、法的拘束力をもった最初の明確な約束を明記していました。国際司法裁判所は、1996年7月の勧告的意見で、核兵器の使用は一般的に国際法の規定に違反し、核保有国には、核軍縮につながる交渉を追求し、それを完了させる義務があると裁定しました。また、元フランス首相を含む17名の委員で構成されるキャンベラ委員会は、核軍縮が実行可能であると結論しました。1995年にヘンリー・L・スチムソン・センターが発表した「変化するアメリカの核態勢」は、冷戦終結とともに、アメリカの国家安全保障にとって、すべての核保有国における核戦力の段階的削減と、「すべての国の、あらゆる大量殺りく兵器の廃絶の目標に向かう段階的な動き」こそが最も有効になったと述べています。この報告書の共著者には、アメリカの最高クラスの将軍、元国防長官、元軍備管交渉団長などが含まれています。さらに、1995年のNPT再検討・延長会議の最終文書で、核保有国は、核軍縮に関する実効性のある措置の交渉を続けるという約束を再確認しました。

  南アフリカおよび旧ソ連の一部であったベラルーシ、カザフスタン、ウクライナなどの4カ国が、自らすすんで核兵器を廃棄し、非核保有国になることを選択したことは心強いことでした。また、核保有国が認め、尊重を保障した非核兵器地帯設置の分野でも進展がありました。

  この他に、注目すべきいくつかの側面があります。冷戦が終わり、条約の条項に基づいて、一方的に、いくつかの核兵器が実際に解体されました。しかし、それでも依然として数千の核兵器が残っています。NPT条約は、水平拡散については有効ですが、垂直拡散にはあまり有効ではありません。NPT条約が1995年に延長されたときには、条約が発効した1970年よりも核兵器は増えていました。CTBT(包括的核実験禁止条約)も、第48回国連総会決議の合意によって確定しましたが、近い将来に発効する展望はありません。ABM条約は、改定交渉がおこなわれるかもしれません。運がよければ、これが核弾頭数の大幅な削減につながるかもしれません。核分裂物質製造禁止条約(カットオッフ条約)締結にむけての前進はあまりありません。1978年の第10回国連特別軍縮総会が全員一致で採択した最終文書は、大きな前進と考えられていました。なぜなら、将来の軍縮機構について、宣言、行動計画、および勧告が含まれていたからです。しかしこれも、その後、真剣に追求されたり、順守されていません。

  明らかな疑問は、誰もが支持している目標にむかう歩みが、どうしてこれほど遅く、ふらふらしているのかということです。その理由は、相互信頼や信用と関係していて、より基本的には検証の問題なのかもしれません。それに、多くの国にとっては、経済的な配慮もあるでしょう。核兵器の発明をなかったことにはできないというのは、まったくそのとおりですが、しかし、やはり大量殺りく兵器である化学兵器を禁止した化学兵器禁止条約の締結は、同じ理由で妨げられることはありませんでした。したがって、この問題の答えは、信頼と信用の構築の忍耐と粘り強い努力と、検証措置の信頼性を高め、完全に実証可能にするような科学の進歩にのみ、見い出すことができるのです。

  かつてヘンリー・カボット・ロッジは、1954年、国連大使として、平和構築には別の要素があると指摘しました。ロッジ大使は、この要素とは、各国と各国民に協力する習慣をつけさせ、最終的に互いに信頼しあうような新しい世界をつくることだと強調しました。このためにこそ、各国政府ばかりでなく、市民社会、NGO、NPO、そしてもちろん多国間の枠組みを提供し、憲章によって軍縮と軍備規制に関する責任を定められた国連は、きわめて重要な役割を果たさなければなりません。また、核軍縮には、より多くの寛容性、信用、相互信頼と、科学・技術の知識が、必要不可欠な前提条件となるでしょう。肝心なのは、この問題が優先課題からはずされてしまわないようにすることです。核保有国に、自らの誓約を守らせ、新しい誓約をさせ、軍縮を実行させるには、そうすることが彼らの利益になるということを納得させるしかありません。それしか、ないのです。

  平和は安全保障と不可分であり、安全保障は開発と表裏一体です。平和は、戦争の根本原因である飢餓、貧困、不満、無知、疾病とその影響に注目し、それをなくすような行動によるこまやかな努力によって築かれなければなりません。人民や諸国間の協力をつうじたより豊かで公平な世界をめざす団結した協調した努力だけが、恒久平和の基礎を築けるのです。この過程で、過激主義、テロ、容赦ない暴力など二次的な問題の解決にも取り組むことができます。核軍縮は、すぐには実現しないかもしれませんが、いつの日にか必ずや実現するのです。それまで、誠意と固い決意をもって、この目標をめざす努力と力を維持していかねばなりません。

ありがとうございました。


原水爆禁止2001年世界大会へ