原水爆禁止2001年世界大会
長崎・開会総会(8月7日)

マーシャル諸島共和国上院議員(ロンゲラップ環礁)
アバッカ・アンジャイン・マディソン


  ロンゲラップ住民を代表し、心からのあいさつを申し上げます。この世界大会に、日本と世界中の平和のために活動しておられるみなさんとともに参加できることを大変光栄に思います。

  この大会で、私たちは、核兵器による非人道的行為によって死に追いやられた、また苦痛を余儀なくされている罪のない人びとを思い起こしています。私たちは平和のためにたたかっています。土地や環境が汚染され、人びとや子どもにまで被害が及んでいます。私たちは未来を守らなくてはなりません。

  マーシャル諸島では、第二次世界大戦後、ただちにアメリカにより1960年代初頭までの、国の北部での核実験のプログラムが決められてしまいました。67回のマーシャル諸島での核実験のうち、1954年3月1日の水爆実験により、私たちは二度と同じような生活が出来なくなってしまいました。そしてまたそれは、「2つの太陽の日」として知られています。この爆弾は、長崎に落とされた原爆の、千倍もの威力を持っていました。

  第5福竜丸の乗組員のように、ロンゲラップでは86人の子どもを含めた人々が、放射線によって甲状腺、骨の障害、白血病、脳障害、皮膚ガン、胃ガン、小びと症、死産など、ありとあらゆるものに苦しめられることになり、奇形児が生まれました。長年にわたり、私たちはモルモットとして使われただけではなく、ロンゲラップは安全な場所だと言われ続けてきました。最終的には「グリーンピース」の助けにより、人びとは、生きるために、クワジャレン環礁のメジャト島に移住することを決断しました。

  こんにち、われわれの民族は、マーシャル諸島内のいろいろな島や、他の国へ分散してしまっています。人びとが早死にしてしまうため、若い世代はロンゲラップの伝統的な慣習を継承できなくなってしまっています。

  にもかかわらず、アメリカ議会が私たちにしてきた行為を認めるのには、長い時間がかかってしまいました。私たちがロンゲラップから離れている間、アメリカによって島の再生準備がおこなわれています。発展計画を含んだ、復興や基本施設は、その再定住計画によるものです。

  そしてまた、核兵器による被害や影響についての賠償を求め核被害請求法廷に訴えています。 それは、ロンゲラップ住民の痛みや苦痛など個人の被害、困難を取り上げたものです。ロンゲラップ住民は基本的に、健康、活力、生活の面で、アメリカのプログラムによって援助されてきました。しかし、それもすべて米国議会が「環境改善」の請願を承認するかどうかにかかっています。

  昨年、ビキニデーの集会のさいに記念館建設計画が紹介されました。これはロンゲラップ平和記念館という名称でビキニ被災50周年記念に開館することを目指しています。マジュロでは、このプロジェクト推進のための委員会が設立され、このプロジェクトの完成が強く期待されています。

  この目的は、子どもたちの教育や、日本の援助促進、日本の被爆者への連帯、青少年の文化教育に役立てることです。みなさん、どうか協力をお願いいたします。

  私は、平和のためのこの世界大会の活動への努力をあらためて表明します。また、ロンゲラップ住民を代表し、みなさんの寛大さ、引き続く支援、そして友好に感謝いたします。


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