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反核平和運動・原水爆禁止世界大会

原水爆禁止2001年世界大会
国際会議

アメリカ合衆国
ハンフォード風下住民
トム・ベイリー

ハンフォードの核家族: 「私たちは最前線の子どもたちだった」

 私は平和活動家ではなくただの農夫で、みなさんの語り部となった人間です。作り話をするのではなく、みなさんに配布した、ある物語をそのままお話するのが私の任務です。どうぞお読みください。

 このただの農夫が生涯やってきた仕事は、毎年新しい命を生み出し、育むことです。単純に言えば、命を作ることです。

 ハンフォードのヒバクシャの物語は、核兵器の製造が命を破壊することを示しています。
 広島の被爆者の物語は、核兵器の使用が生命を破壊することを示しています。

 これは命を汚すものです! 命にとって、間違ったことです。簡単なことです。

 命を守るために、核兵器を作るな!
 命を守るために、核兵器を使うな!

(以下、ニューヨークタイムズに掲載された文(1990年7月27日付け)また、サクラメント・ビー紙にも再掲載)

 (ワシントン州メサ発)私はトラクターに座っている。現実が胸にしみ入ってきた。私は幾つかの全国ネットのテレビ番組を収録し終えたばかりだった。自分の世界に戻ってきた私の胸には、いろんな思いがつぎつぎにあふれ、私は声をあげてどうしようもなく泣く。すこし気分がおさまり、静かにすすり泣く。

  私たちにとっての最悪の事態はやっと終わろうとしている。あるいは、それは始まったばかりなのだろうか。ワシントン州ハンフォード核特別用地の風下で生まれ育った「風下住民」である私たちは、数年前、政府が冷酷な討議の結果、承諾なしに私たちをモルモットに使って放射性物質を大気中に放出し、食物、水、ミルクを汚染するという決定を下したことを知ったのだ。

  私たちは今、この「実験」での被ばくによって、ガン患者が次々に発生するだろうということを知った。レイプされるというのはこういうものだろうか。

  私たちの生まれたその日から、被ばくは始まった。数年前、放射線を放出したことを認めた時、政府は、目に見えるような健康への影響はないと私たちに保証した。彼らは本当に目を開けて見ていたのだろうか。

  気づかないうちに、私たちは長年にわたってその影響を目にしてきた。異常なことが私たちにとっては通常なことになってしまっていたのだ。

  子どもの頃、宇宙服を来た男たちが、シャベルや麻袋を手にした事情を知らない兵士の前を歩いていたことを憶えている。彼らは通りすがりに手を振ってくれた。

  彼らはいつもお菓子をくれ、一度はカウボーイ・ブーツをくれたこともある。当時私たちが知らなかったのは、彼らが核汚染除去作業チームだったということだ。まだほかにも私たちが知らなかったのは、他の子どもたちが学校の看護士から「首のマッサージ」(甲状腺の腫れを探るため)を受けたことがないということ、あるいは、ガイガーカウンターで体を調べられたこともないということだった。ヒゲづらでぶ厚い眼鏡をかけたあの男が、すべての家から毎週水や牛乳をサンプル採取しているわけではないということだった。家畜の突然変異はすべての地では起こっていたわけではなかったのだ。

  茶色と白のぶちの鹿や、奇形の子牛、羊、小猫はどこにでもいて、流産は人間でも動物でも普通のことだと思っていた。近所の人や愛する家族がガンに冒されている、というのはありふれた話題だった。外から孤立した世界に住む私たちは、よくあること、と思ってきたのだ。

  私は、死産だった兄の一年あとに生まれた。未発達の肺で呼吸しようともがき、多くの先天性異常を乗り越える経験をしてきた。何度も手術を受け、麻痺を耐え、甲状腺の治療や鉄の肺〔鉄製の人口呼吸器〕に入った一時期もあった。脱毛、全身のかぶれ、発熱、めまい、難聴、喘息、弱い歯を経験し、18歳の時には、不妊症との診断を受けた。

  セントメアリー病院の小児科病棟で、他の子どもたちが死んでいくのもしょっちゅう見た。私はようやく歩けるようにはなったが、一度もスポーツはできなかった。クラスメートと離れたところに立ち、近くに越してきたばかりの元気な子どもたちがスポーツをするのを見ていた。私たちにはできないことだった。からかわれ、いじめられた私たちは怒り、そして内にこもりがちになった。

  トラクターが動き出して、私の心は1940年代の世界から、自国の政府に異議を唱える過酷な現実へと呼び戻された。私たちの愛国心には疑問が生まれ、政府への信頼は揺らいだ。私たちは1985年以来、銀行から貸付を拒否されてきた。農家住宅局からの抵当物受け戻し権喪失処分の通知が机の上に届いている。私たち被害者の問題が知られるようになるまで、勇気ある少数を除き、政治家たちは私たちを相手にしようとしなかった。

  私たちは、友人からも他人からも、「陰うつな家庭のなかの光」だと中傷されてきた。彼らから黙れと言われ、何度も命にかかわる脅迫を受けてきた。私自身一度殺されそうな目にあった。それは恐怖心が常識を圧倒するほどで、それ以後私は拳銃を持ち歩くようになった。

  このような核のギャング団に加わっている者たちは、自分を何様だと思っているのだろうか。私の家庭では、嘘をついてはいけない、としつけられた。私たち市民は嘘をつく者を擁護できるだろうか。

  今や、世界中がハンフォードの放射性物質放出のことを知っている。私たちは冷戦の最前線にいるこどもたちだったのだ。

  私たちは公平で正当な扱いを受けてしかるべきだ。私たちはただの核廃棄物なのだろうか?補償可能な被害などあるのだろうか。

  ロシア政府は、チェルノブイリ核事故が起こってから3日間秘密にしていたことを非難された。40年もこれを秘密にしている米国政府はどうなのだろうか。

  私たちの誰もが越えることができず、人類の一員だと主張しつづけるためのぎりぎりの細い線というものがある。政府の核のギャング団は故意にその一線を越えたのだ。

私たちが払わなければならなかった代償はどのくらいの額だろうか?

私たちにはそれ以上の価値があったと思う。

 

 

 

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