原水爆禁止2001年世界大会
国際会議

マーシャル諸島共和国上院議員(ロンゲラップ環礁)
アバッカ・アンジャイン・マディソン


  みなさんこんにちは。ヤッコエ。ロンゲラップの人びとを代表してここにやって来ました。私たちは、こどもたちと未来の世代のために、平和と正義を実現するなかでつちかった経験やアイデアを分かち合うため、ふたたびここに集っています。私たちは連帯することで、勝利するのです。

  ロンゲラップの人びとは、ふるさとの島を追われて以来、ずっと難民のような生活をしてきました。ロンゲラップ地域のほとんどが、クワジェリン環礁にあるメジャットというとても小さい、無人の島に移り住みました。いま、私たちのふるさとロンゲラップでは、再住にむけた準備がすすんでいます。

  再住計画の第一段階は、汚染された土地の回復作業と社会基盤づくりで、完了間近です。11月には、飛行場滑走路の整備が完了することになっており、来年4月には港が完成します。再住に向けた第二段階の内容については、先週、地域の協議会で承認されたので、議会の承認を受ければ着工できることになります。そうなれば、病院、学校、港湾施設、第一次分住宅が建設されることになります。しかし、再住計画に使える資金は非常に限られているので、計画は慎重に進められなくてはならず、十分に計画を実行するためには、アメリカからの資金を得るため、ロビー活動を続ける必要があります。

  ロンゲラップの人たちは、たくさんの核実験の被害を受けましたが、なかでも、(1954年の)「ブラボー」と呼ばれる水爆実験が大きな打撃をもたらしました。「ブラボー」は、第五福竜丸も被爆させた水爆です。この爆弾は、広島と長崎に落とされた爆弾をあわせたとしたら、その爆弾の千倍以上の破壊力をもっていました。1946年から1958年まで、マーシャル諸島の領域では、アメリカの核実験計画のもと、合計67発の核爆弾実験がおこなわれました。

  核実験がマーシャル諸島にあたえた影響の大きさは、民族学の研究、科学的研究で裏付けられています。島の放射能汚染、短期的・長期的被ばく、ふるさとの島を追われたことをはじめとする人生をまったく変えてしまうような影響です。核実験は、ロンゲラップの島民が自給可能な生活様式を維持する物質的基盤を破壊しました。

  放射能汚染と強制移住により、人びとの健康、財産、社会と政治の制度と組織、地域の伝統的つながりは、急激に変化しました。生れてから死ぬまで、生物学・医学的実験の対象とされることにより、人びとの心と体はさらに深い傷を負いました。

  私たちは、核被害補償法廷(NCT)に、核実験でうけた被害と傷害の補償をもとめています。補償は、個々人が受けた傷害と人体実験を考慮したものとならなければなりません。核実験計画のもとアメリカが人びとにあたえた痛み、苦悩、困窮、企業による人体実験、伝統的生活が根本から破壊されたことすべてです。しかし、すべては、アメリカ議会に提出した申請書が承認されるかどうかにかかっているのです。

  私がこの大会に来たのは、みなさんのたたかいを私が支援するためだけでなく、とくにアメリカの友人のみなさんに支援をお願いするためです。アメリカ国民を代表する議員が、私たちの請願の承認に賛成票を投ずるよう、はたらきかけて欲しいのです。

  ロンゲラップに平和資料館をつくる計画はまだ健在です。ただ、計画を実現するには、お金が必要です。みなさん。どうか私たちの計画を実現させるために、力をかしてください。この資料館は、日本とマーシャル諸島の連帯の歴史を学び、ロンゲラップ諸島、広島、長崎のヒバクシャの経験を学ぶ場所となり、国民とくに若い人たちが核兵器がもたらすおそろしさを学ぶ場所となるはずです。

  最後に、実行委員会のみなさまに、ロンゲラップの人びとを代表し、私たちの話と願いを伝える機会を与えてくださったことに感謝を申し上げます。ロンゲラップのみんなは、原水協のあたたかさ、とぎれることのない支援、そして何よりも友情をこころから嬉しく思っています。

ありがとう。コモ・タタ!


原水爆禁止2001年世界大会へ
「被ばく者と連帯しよう」