原水爆禁止2001年世界大会
国際会議

静岡県原水協副理事長
埋田昇二


ビキニ水爆被災者・第五福竜丸元乗組員のその後と
3・1ビキニデー集会の共同の前進


  広島・長崎につづく第三の被爆地・第五福竜丸のふるさと静岡から報告します。

  1954年3月1日未明、マーシャル諸島のビキニ環礁で、広島型原爆の1000倍の威力といわれたアメリカの水爆「ブラボー」が爆発しました。その数時間後、ビキニ環礁から約160km離れ、危険区域の外とされたロンゲラップ環礁の近くで操業していたマグロ漁船、第五福竜丸の23名の頭上に、のちに「死の灰」と称される強力な放射能を帯びたサンゴ礁のかけらが降り注ぎました。

  母港焼津への寄港途中から乗組員たちの身体に異変が生じてきました。3月14日の入港が近づくにつれて、ほぼ全員がやけただれた皮膚、脱力感や吐き気に襲われ、脱毛が現われました。寄港後の医師の診察によって乗組員たちは全員急性放射能症と診断され、焼津の病院から東大付属病院と国立東京第一病院に入院することになりました。

  そして、その年の9月23日、第五福竜丸無線長・久保山愛吉さんが肝不全に陥り、国民の願いも空しく亡くなりました。
  その後の科学者たちが乗組員の船内行動の詳細な分析を加えて、個人別の体外照射線量を計算したところ、最高710レントゲン、最低170レントゲンとされました。瞬間照射700レム(1レントゲンはほぼ1レム)は人の致死量であり、半致死量が400レムとされている事実を知れば、第五福竜丸の乗組員の被爆がいかに高い線量であったかが分かります。

  ビキニ被災から14ヵ月後の1955年5月乗組員は全員退院しましたが、当時の主治医側より退院後の傷病の予後について「予後判定の困難、長期観察の必要、退院は必ずしも治癒を意味しない」旨の三点が強調されました。

  その後、退院した22名の乗組員のその後の経過はどうなったでしょうか。現在までに久保山愛吉さんをふくめて、23人の乗組員の内半数近い11名が亡くなっています。その内、8名までが肝ガンなどの肝疾患で亡くなっています。事故死、脳梗塞による死亡の2名も肝硬変、肝機能障害を患っていました。亡くなった10名の平均年は56歳とあまりにも早い肝臓死です。

  第五福竜丸の被災に対する補償は本来アメリカ政府に求めるのが本筋です。しかし、この福竜丸事件に対してアメリカ政府は国際法場の違法行為という立場は絶対にとらないと主張しました。日本政府もアメリカの水爆実験による加害責任を追及することをせず、日米政府は漁業補償を中心に200万ドルで外交史上異例の早さで政治決着をはかりました。乗組員には慰謝料として191万円から229万円が支給されましたが、それまでに支出した経費は引かれていました。福竜丸乗組員の預かり知らぬ場で交わされたこの人権無視の政治決着によって、第五福竜丸の乗組員は「ヒバクシャでありながら、被曝者でなくなった」のであり、その後今日まで一切の援護措置を受けることなく放置されてきました。

  生存者もほとんど全員が被曝後治療の際に受けた輸血によってC型肝炎に感染しており、被曝者による後遺障害に不安な日々を送っています。そうしたなかで、静岡の原水爆禁止運動は、おりからC型肝炎で入退院をくりかえしている第五福竜丸の元乗組員小塚博さんを支援する会を結成し、自由法曹団の弁護士と相談して最低限の保障措置として「船員保健医療費再適用申請」をおこないました。この申請に対して静岡県は不当にも却下しましたが、わたしたちのねばり強い運動によって、昨年8月ついに厚生省社会保健審査会は小塚博さんの申請を認め、静岡県知事の決定の取り消しを求める採決をくだしました。その後東京在住の大石又七さんも静岡県に対して同じ申請を提出し、受理されました。この勝利は第五福竜丸乗組員に対する援護措置実現の第一歩となる画期的な勝利でした。

  静岡では、人類最初の水爆実験による犠牲者・久保山愛吉さんの「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」の遺言と愛吉さんの妻すずさんの「ヒバクシャとその遺族が生きているうちに一発のこさず核兵器をなくしてください」とのおことずて≠胸にきざみつつ、毎年3月1日に焼津市を中心に「3・1ビキニデー集会」を開催してきました。

  3・1ビキニデー集会では、被災三市の連帯を願って広島・長崎市長からのメッセージを受けるとともに、静岡県知事、静岡県議会議長をはじめ静岡県下75のほぼすべての自治体の首長・議長の支持・賛同をいただいて開催していますが、この数年はより広範な県民との共同をひろげることに全力をあげています。とりわけ、第五福竜丸の母港焼津市では、昨年につづいて、市長・助役・収入役の三役、市議会議長、元自治会連合会会長、第五福竜丸元乗組員及びその家族、宗教者、医師、商工会議所会頭、会社社長、焼津・小川漁協、焼津水産振興センターなど、文字通り市民総参加の共同をひろげることができました。また、今年ははじめて民医連のはたらきかけで静岡県保険医協会が3・1ビキニデー静岡県実行委員会に参加しました。

  「3・1ビキニデー集会」の開催を通して、ヒロシマ・ナガサキの被爆者と世界の核兵器開発の被害者「ヒバクシャ」とが固く連帯・団結し、核兵器の被害の実相を広く世界につたえ、核保有国に迫ることによってこそ核兵器廃絶・全面禁止の展望は開かれると確信して静岡からの報告とします。


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