原水爆禁止2001年世界大会
国際会議

インド核軍縮平和連合(CNDP)
スリ・ラーマン


  インドが1998年5月におこなった核兵器の実験は、世界平和と核軍縮のために活動するというインドが長年追求してきた政策からの絶望的な離脱を示すものでした。このできごとに続いたのは自らを核保有国とするインドの宣言だけでありませんでした。わずか数日のちにはパキスタンも核兵器の実験をおこなったのです。

  砂漠地ポカランでのインドの実験は、インド、南アジア、世界にとって悪いニュースとみなす国内の人々の間にただちに抗議をひき起こしました。インドにとって、実験は偏狭なる多数派が勢いづき、したがってその国内的影響は国論を分断するものでした。南アジア地域にとり、それらはインド、パキスタンの間の新たな核軍備競争を告げるものであり、両国の開発の優先課題を歪めざるをえないものでした。世界にとって、それはグローバルな核軍縮を求めるインドと南アジアの声を弱め、この地域がより大きな核の脅威に対してもっとも抵抗力のない地域になる危険に直面することでした。その後の展開は、まさにこの懸念が根拠のあるものであったことを証明しました。

  抗議はインドの多くの地方、社会と世論の多くの部分から起こりました。まもなくたくさんの反核兵器団体が行動に立ち上がりました。ニューデリーで活動するインド核軍縮運動(MIND)はキャンペーンを強化しました。核兵器に反対するインド科学者の会(ISANW)が結成されました。核兵器に反対するジャーナリストの会(JANW)がチェンナイでこれに続きました。労働組合、学生自治会などたくさんの大衆団体がそれぞれの重要課題として反核兵器のたたかいを取り上げました。環境、社会的公正などを第一義の課題とするたくさんの大衆運動も同様の決定をおこないました。

  核のタカ派は、インド・パキスタンの核実験はいまやこの二つの潜在核保有国が通常戦争さえおこなわないのだから、南アジアの平和時代の先触れであると主張しました。この主張は、わずか数ヶ月のうちにヒマラヤ地方のカルギルで起こったインド・パキスタンの武力紛争によってみごとに裏切られました。カルギルの紛争はまた、両国を核のホロコーストの瀬戸際に追いやり、どちらの国でも強硬派はためらうことなく、究極兵器に訴えると口にしました。

  このすべてが、反核兵器の抗議行動を強めることになりました。そしてそれをさらに強めるため、たくさんの都市で多数のグループから成る団体協議体が生まれました。とくにチェンナイの核兵器反対運動(MANW)とバンガロールにつくられたバンガロール・プラットフォーム(BP)をあげておきます。MANWとBPの重点は草の根の啓蒙キャンペーンです。彼らは、「知らされた市民は死のためでなく生のために行動する」というアルバート・アインシュタインの言葉を信じ、人々のところへ行きました。この過程で、これらを含むさまざまな団体が効果のあがる多様な文化手段を考え出し、一般の人々に核兵器がいかに非人道的であり擁護し得ないものであるかを語りかけました。私は兄弟的な参加者のみなさんに、私の住むチェンナイで、私たちのプログラムのうちもっとも評判の良かったものが「広島は、ここでも起こりうる」というタイトルのスライドであったこと、人々がそれを涙ながら鑑賞したことをお伝えしたいと思います。

  次のステップは、全国的な強化です。昨年11月、インド全国から100を超える反核兵器団体・グループがデリーで開かれた核軍縮平和全国大会に集まりました。大会は、核軍縮平和連合(CNDP)を創立しました。わたしはその連合を代表して本日の会議に出席しています。核軍縮平和連合はそれいらい活発に活動しており、インドの運動を統一するための「憲章」に照らして、大会で採択された「行動計画」を参加諸団体が履行するのを調整しています。

  大会の注目すべき特徴は、世界の平和運動のなかで特別な位置を占める国=日本の代表を含めたさまざまな国々に加え、多数のパキスタン代表が参加したことでした。核軍縮平和連合のごく最近の活動は、2001年7月12日、ニューデリーでインド・パキスタン人民連帯会議を開催したことです。この会議は、インドの都市アグラでインド首相とパキスタン大統領とが首脳会談をおこなう前夜に、パキスタンから約50名の代表をむかえておこなわれました。核兵器反対運動(MANW)やバンガロール・プラットフォーム(BP)など核軍縮平和連合の加盟団体のキャンペーンには、たくさんの人々の参加するインド・パキスタンの友好促進プログラムも含まれています。これらすべては、南アジアが直面している核の軍国主義の脅威が不可分のものであり、この地域の人々がともにたたかわねばならないものであるという我々の確固とした、基本的な確信を描き出しています。

  核軍縮平和連合はつねにインドのたたかいを国際的な視野に位置付けてきました。もし、世論喚起と動員のキャンペーンで多少なりとも成功したとすれば、その成功は、インドの運動が、核保有五カ国が引き続き抵抗している世界的な核軍縮のたたかいの一部であることを人々に説得することによってえられたものです。この点でアメリカの全米ミサイル防衛(NMD)計画をインドが歓迎したことは特別に憂慮すべきことです。核保有5カ国は、核軍縮に関しては、みずからの不十分な約束でさえ、真剣に果たすことの重要性を自発的には認めないでしょう。世界の平和運動が、その重要性を認識するよう、核保有5カ国に要求していかなければなりません。

  核軍縮平和運動は、上記の目的のために運動が考え、具体化するいかなる共同の行動にも全面的に参加することを誓います。なぜなら、我々は、発展途上世界の国民にとってそうした行動の成功が特別の重要性を持っていることを認めているからでもあります。我々のスローガンは「核兵器のない南アジアと世界へと前進しよう!」であり、今後もそうありつづけるでしょう。


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