WWW search Gensuikyo search

 
 

 

解説にかえて

安斎育郎(立命館大学国際平和ミュージアム・館長)

 本書の著者であるジョゼフ・ガーソン氏は、一九八四年以来四半世紀近くにわたって、日本の原水爆禁止運動、平和運動の良き理解者であり、共同者であり続けてきた。原水爆禁止世界大会・国際会議において、彼は毎年のように、アメリカによる核支配の本質とその現われとしての危険な兆候を最新の事実に即して警告し続けてきたが、その論文は常に、非核の価値を共有する日本と世界の活動家が、核情勢を認識する上で欠くことのできない重要性をもっていた。CND(核軍縮キャンペーン)のケイト・ハドソン氏は、本書およびその著者であるジョゼフ・ガーソン氏について、短く的確に次のように評した。「学者の厳しさと終生の活動家の心で、ジョゼフ・ガーソンは最も重要な著作を書き上げた。それは、アメリカの世界支配とその核の本質を理解し、それに挑戦するための鍵を与えるものだ」。まさに、正鵠を射た論評と言うべきだろう。

 日本では、広島・長崎に投下された原爆の惨禍は、被爆者運動や平和教育運動を通じて世代を越えて語り継がれてきた。確かに、戦後世代が人口の四分の三以上を占めるに至った今日、「被爆の実相の風化」が危惧されているし、抑圧的な教育行政の下で平和教育が息苦しさを増しつつあることも軽視すべきことではないが、核兵器の非人道性についての認識は他国に比べて相対的に高いことも事実である。無論その背景には、限られた条件の下で平和教育に懸命に取り組んでいる現場の教師たちの努力や、全国津々浦々で地道に取り組まれている原爆展・映画会・学習会・講演会などの諸活動、老骨に鞭打って原爆症認定訴訟や証言活動に取り組んでいる被爆者たちの活動、さらには、広島平和記念資料館や長崎原爆資料館などの平和資料館に年間二百万人以上の人々が訪れているといった事実があろう。そうした努力もあって、近年、原水爆禁止運動に多くの若者たちの姿を見ることができることは好もしいことだが、同時に、核兵器廃絶の運動に関わる青年たちを含めてこの問題の政治的本質をしっかりと見極め、単なる「非核の世界への願望」というナイーヴな意識状況から、核兵器廃絶を実現するための政治過程を見据えた、地に足の着いた力強い運動へと発展させていくことが非常に重要であろう。被爆の実相を知ることはもちろん、私たちは、非人道的な核兵器を世界支配の道具として利用する「好核国家」の論理とその政策展開、そして、それを支えるための科学・技術や経済、さらには、「平和と安全」を標榜して国民を核脅迫政策支持に誘導する(手品のような)仕掛けについても学ばなければならない。その点で、ジョゼフ・ガーソン氏の著作はひとつの優れたテキストであり、日本においても学習活動において広く活用されることが期待される。

 本書の原典は、ロンドンのプルートー・プレスから出版されたジョゼフ・ガーソン著"Empire and the Bomb ? How the US Uses Nuclear Weapons to Dominate the World〈帝国と爆弾?合衆国はいかにして核兵器を世界支配に用いるか〉"であり、アメリカフレンズ奉仕委員会(一九四七年にノーベル平和賞を受賞したNGO)のニューイングランド地域事務所と共同で刊行されたものである。本書の翻訳は、すでに「日本語版へのまえがき」で紹介されている朝戸理恵子、高田愛の二人に加えて、杵塚歩、高草木博、三宅朋子、前田玲子、三矢緑、平野恵美子、東郷愛、欠塚道子、布施恵輔、浜田盛久、大内響、中山しずか、片岡文子のみなさんによってなされたものであるが、翻訳チーム全員が原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の活動に参加するとともに、原水爆禁止世界大会の国際スタッフとして活躍してきた人々で、今回、ガーソン氏の著作に触れて翻訳プロジェクトへの参加を自発的に名乗り出た仲間たちである。

 ところで、日本語版には「アメリカ」という訳語が度々出てくるが、その原語は "US(U.S.)" である。私が知る限り、ガーソン氏は「アメリカ」という訳語は不本意に相違なく、「合衆国」という訳語の方を好むであろう。私はガーソン氏が初めて参加した一九八四年の原水爆禁止世界大会以来、国際起草委員会の委員長を度々務めてきたが、ある時、国際会議の討論の中で一人のアメリカ代表が "America" という言葉を用いたことがあった。するとガーソン氏が間髪を入れず、"Not America, but US" とわざわざ言い直させたのだ。ガーソン氏にとって"America" という表現は、核脅迫政策などとは無縁の先住民族が用いていた表現であって、核脅迫政策を展開する国家としての「アメリカ」を論じるような場合には "United States(US)" と表現すべきだという強い執着心があるように感じられた。しかし、日本語版では(ガーソン氏の執着を尊重したい気持ちを残しつつも)、日本語の慣用表現の方を採って「アメリカ」という訳語を用いた。なお、私自身は「合衆国」は誤訳であり「合州国」が正しいと確信しているが、同じ意見を評論家の加藤周一さんからも聞いたことを想起する。おそらくガーソン氏も同感であろう。

 さて、原書はもともと以下の9章から成り立っていた。

 第1章 デッドリー・コネクション?帝国と核兵器/第2章 最初の核のテロ?広島と長崎/第3章 戦後アジア?朝鮮と中国を標的として/第4章 キューバミサイル危機?威信、信頼性と権力/第5章 ベトナム?核外交の失敗/第6章 中東?「戦利品」の独占/第7章 核兵器と新世界秩序?われわれの言うとおりに事は進む/第8章 「無情者のロマンス」?零時七分前/第9章 廃絶か絶滅か

 しかし、日本語版では、主として本のボリュームの関係もあって、第3章から第6章を割愛し、以下の五章構成とした。

 第一章 デッドリー・コネクション?帝国と核兵器/第二章 最初の核のテロ?広島と長崎/第三章 核兵器と新世界秩序?われわれの言うとおりに事は進む/第四章 「無情者のロマンス」?零時七分前/第五章 廃絶か絶滅か

 割愛された章は、朝鮮・中国・キューバ・ベトナム・中東に関する論述部分で、それぞれに非常に重要な内容を含むものであるが、これらをそのまま日本語に全訳するとあまりに大部なものとなり、本の価格の点でも、したがってその普及という点でも不都合を来たしかねないと判断され、著者の許可を得て五章構成に編み直したものである。しかし、読者にしてみれば、日本語版で割愛された部分にどのような所論が展開されていたのかについてそれなりの強い関心があるに相違ないため、これも著者の許可を得て以下に簡単に要約を紹介することとしたい。なお、日本語版には収録されなかったが、第3章から第6章はすべて翻訳され、日本原水協のホームページに掲載されているのでぜひ参照されたい(URLは、http://www10.plala.or.jp/antiatom/gerson/)。

 第3章 戦後アジア?朝鮮と中国を標的として

 第3章では、まず、アメリカが「アジアの大国」となることに同意したいきさつと、冷戦の最初の十数年間におけるアメリカの「威圧的な」核優位の局面を解説している。朝鮮戦争が始まると、北朝鮮と中国に核脅迫を加えるトルーマン大統領、核攻撃の準備をするペンタゴン、そして(核兵器使用の)承認を求めるマッカーサー将軍が、朝鮮と中国の間に放射能で汚染された「防疫線」を作ることを目論んだ。結局、一九五三年のアイゼンハワー大統領の核脅迫の結果、アメリカの要求に添った休戦協定が成立した。

 一九六〇年代と一九七〇年代の北朝鮮に対する核攻撃準備(少なくとも二回の核脅迫を含む)を詳述したあと、本章の焦点は中国に移されている。一九五〇年代の二度にわたる沖合いの島々を取り戻そうとする中国の試みは、アイゼンハワー大統領のこれみよがしの核「大量報復」の威嚇で断念された。ここではほとんど知られていない二つの出来事に触れている。米ソ合同で中国の核大国化を阻止するために核攻撃をおこなおうとしたジョンソン政権の提案と、中国に対抗するためにインドに核兵器を持たせようとしたラスク国務長官の試みである。

 第4章 キューバミサイル危機?威信、信頼性と権力

 この章は、ラテンアメリカでのアメリカの新植民地主義の歴史におけるミサイル危機の起源と、ソ連を恐れさせるような核能力の圧倒的優位を維持しようとするアメリカ政府の努力について詳述している。キューバ革命がより広範なラテンアメリカの抵抗を鼓舞するのではないかというアメリカの恐怖と、アメリカからわずか九〇マイル(約一四四キロメートル)しか離れていないキューバに中距離ミサイルを配備することによって、フルシチョフ首相がいかにしてキューバを守り、アメリカとの事実上の核均衡状態を達成しようとしたかについて解説する。

 危機の最中、ケネディ大統領の顧問たちは、アメリカが核攻撃を開始する可能性は三分の一から二分の一だろうと考えていた。一般的な理解とは違って、ケネディは、自国の特権と核支配を守り、弾劾を回避し、「アメリカは敵の周囲に核兵器を配備できるが、ソ連には許されない」という原則を実行するために、核戦争の危険をも冒したのである。

 この章では、また、ケネディ大統領が国防総省と自国の核兵器を完全にはコントロールできていなかったこと、ソ連の海軍将校が戦術核兵器の発射の許可を受けていたこと、そして、危機が最高潮に達したとき、フィデル・カストロがソ連に「たとえそれがキューバと国民の終焉を意味したとしても先制核攻撃をおこなうよう」強く求めていたことについても言及している。

 第5章 ベトナム?核外交の失敗

 トルーマンからニクソンに至る歴代大統領はベトナム戦争に関与し、これを深刻化させ、拡大した。彼らの理由づけは、時とともに変わった。アメリカはインドシナに中国との交易を禁じたのち、ここを日本の市場として維持しようとした。ベトナム戦争は、共産主義者による民族解放戦争にアメリカが勝つ能力を有するかどうかを試す機会となった。しかし、戦争の終盤には、この戦争は「アメリカの威信を保つ」ために戦われた。

 アメリカの核優位を踏まえ、アイゼンハワー大統領は、ディエンビエンフーでのベトミンによるフランス軍包囲を打開するために、核攻撃を提案した。ソ連と中国がアメリカの核脅迫に恐れをなしたため、アメリカは一九五四年ジュネーブ会議で多くの条件を要求し、後に北ベトナムと民族解放戦線に対するソ連と中国の支援に大きな制限を課した。アメリカの核優位を後ろ盾に、ケネディ大統領の上級顧問たちは、サイゴン政府に軍事的な肩入れをするよう要求し、ジョンソン大統領に戦争の大規模な拡大を余儀なくさせた。決定的な敗北を恐れたアメリカの指導者たちは、一九六七年、ケサン包囲網を突破するために核攻撃の脅迫を行った。その二年後ニクソン大統領は、「狂人」戦略(何をしでかすか分からないという恐怖感を与えることによって脅迫する戦略)という傲慢な外交を試み、ベトナムを核攻撃で威嚇して、約一カ月にわたって米核戦力を最高度の警戒態勢下に置いた。

 第6章 中東?「戦利品」の独占

 二〇世紀全体を通じて、中東は「世界的覇権をめぐる闘争の地政学的中心」であり続けてきた。中東は世界資本主義の「頸動脈」として機能し、アメリカと同盟国の戦争マシーンにとって不可欠な燃料供給源であった。第二次世界大戦の終結によってこの地域の覇権国となって以来、アメリカは各国の指導者を抱き込み、買収し、クーデターを仕組み、アメリカに追随する政治体制を育成し、侵略その他の軍事的攻撃を仕掛け、幾度となく核攻撃開始の準備と脅迫をおこなってこの地域の支配を強めた。

 この章では、中東の石油への支配権と特権的アクセスを守るために、アメリカが核テロリズムの脅しを繰り返してきたことを検討している。その歴史は、一九四六年のイランの一地方をめぐる衝突で始まったものだが、本章では、アイゼンハワー大統領が、一九五六年のスエズ戦争や一九五八年のレバノン内戦の最初の動きとイラク民族革命への対応において核脅迫をおこない、アメリカの地域支配を固めてきた過程を跡づける。また、アメリカが、一九六七年の六日戦争(第三次中東戦争)に対するソ連の介入を防ぐために核脅迫のシグナルを送ったことや、一九七三年の十月戦争(第四次中東戦争)に際してイスラエルとアメリカがどのように核能力を利用したかについても詳述している。最後に、一九八〇年のカーター・ドクトリンと、イラン革命およびソ連のアフガニスタン侵攻に対するカーター大統領の核対応についても言及している。

 以上が、日本語版で割愛された第3章から第6章の概要である。

 収録した五つの章についてはお読み頂いた通りであるが、概ね以下の通りである。

 第一章 デッドリー・コネクション?帝国と核兵器

 ソ連を抑えて北東アジアでの戦略的優位を確立するために、アメリカが広島・長崎に原爆を投下した史実から説き起こし、アメリカ帝国の形成とその後の展開過程を二〇世紀全般にわたって描出した後、冷戦終結後のアメリカの核戦略の変化を跡づけ、戦略的ドクトリンの改定、核軍備とその使用法の再検討、産油地帯への支配力強化、軍事同盟の再編強化などのアメリカ政府の政策を批判的に検討している。そして、歴代大統領が三〇回以上にわたって核戦争準備や核脅迫に走った歴史を跡づけ、「アメリカの政策の基本」が、人類の生存を脅かし、民主的価値や実践を破壊する邪悪な意図に根ざしている現実を暴き出し、「共通の安全保障」概念の重要性を指摘している。

 第二章 最初の核のテロ?広島と長崎

 日米開戦に至った経過、原爆製造計画(マンハッタン計画)の起源、そして、原爆投下を正当化するための神話づくりについて解説し、終戦直前の数週間における米ソ間の戦略的優位をめぐる確執について詳細な史実に基づいて分析、原爆投下がもたらした惨禍を被爆者の証言に基づいて赤裸々に描き出している。

 第三章 核兵器と新世界秩序?われわれの言うとおりに事は進む

 「砂漠の嵐」作戦(湾岸戦争)がアメリカの核戦争政策に与えた意味についての「国家安全保障」機構内部での議論を紹介しつつ、クリントン政権の「核政策見直し」について解説、望まない国への核拡散を防ぐための「拡散対抗」概念について紹介している。そして、核兵器廃絶のための交渉を義務づけた核不拡散条約(NPT)第六条の遵守を求める世論に対抗しつつ、アメリカが「NPT無期限延長」を世界に強制した経緯をたどり、なぜ二〇〇〇年のNPT再検討会議で核兵器廃絶に向けた措置を実行するとの「明確な約束」を余儀なくされたのかについて説明するとともに、クリントン大統領が北朝鮮に対する核戦争寸前にまで至った事実経過を記述している。

 第四章 「無情者のロマンス」?零時七分前

 ライス国務長官を含むネオコン(新保守主義者)たちの目的と野望について概説した上で、「九・一一攻撃」以前に彼らがABM条約(一九七二年に結ばれた米ソ間の迎撃ミサイル制限条約)の破棄に熱中していた時期に、アルカイダの警告を無視した経緯を解説、ブッシュ=チェイニー体制下で起こった悲劇を描写している。そして、核態勢見直し、国家安全保障声明、合同核演習ドクトリンなどのブッシュ政権のドクトリンを紹介し、同政権が「核不拡散条約」を妨害する一方で、「拡散に対する安全保障構想(PSI)」(核物質や核技術の輸送を阻止するアメリカ主導の計画で、イギリス・ドイツ・日本など十五カ国が参加)を誇大に吹聴した事案について論じ、ブッシュ政権による北朝鮮・イラク・イランに対する核脅迫の経緯を跡づけている。

 第五章 廃絶か絶滅か

 本章は、市民の政治運動が状況を変革し得るという信念を基礎に書かれ、読者が核兵器廃絶運動に参加し、先人たちの勇気ある行動を発展させる道を探求することを期待している。そして、核兵器廃絶の運動の足跡を紹介するとともに、軍備の「管理」と「廃絶」の違いを明らかにし、軍備管理条約の歴史と限界について考察、冷戦終結後の核軍縮運動が「廃絶」路線へと回帰しつつあることを紹介、核兵器廃絶条約の要諦についてまとめている。本章では、「帝国の力は巨大だ。しかし……侵略や核の脅しをもってしても、二一世紀版植民地主義をつくることはできない」と述べ、われわれが道徳的・政治的意志を見つけさえすれば核兵器廃絶に向かって前進できることを訴えている。

 以上が本書の概要であるが、こうして見ると、日本語版に収録できなかった原書の第3章から第6章は、アメリカの核脅迫政策が朝鮮・中国・キューバ・ベトナム・中東の各地域において具体的にどのように展開されたのかを明らかにしつつ、政策の非人道性・凶暴性の本質をいっそう鮮明にしている点で極めて重要な意味をもっているのだが、日本語版の読者には、ここに紹介した概要によって、さらに詳細を知りたい人は先に紹介した日本原水協のホームページに収録された全訳を参照していただき、理解を深めて頂ければ幸いである。

 約四分の一世紀近く日本の原水爆禁止運動に誠実に向き合い、自らも積極的に参加してきたガーソン氏は、「日本語版へのまえがき」において、日本の国民が向き合うべき課題についても忌憚のない提言をおこなっている。

 第一に、ガーソン氏は「戦後日本の特権と経済的繁栄は、少なくとも部分的には米国の核戦争政策との共謀の産物であり、また、米国の支配に挑戦する者を脅かすためにおこなわれた多くのジェノサイド的核脅迫への共謀の産物であった」と指摘し、「すべての良心的日本人が真剣に考えなければならない歴史であり、いまも続いている現実である」としている。ありていに言えば、日本は核脅迫によって世界を蹂躙するアメリカの忠実な下僕として「共犯関係」を形成してきたということであり、日本国民はそれを真正面から見据えなければならないという提起である。これは政治的には「日米(核)安保体制からの離脱」という課題に連なるものであり、原水爆禁止運動に携わる多くの日本人が意識している課題でもある。と同時に、日本の原水爆禁止運動は、「核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯」の旗の下に最も多くの国民世論を糾合する努力を積み上げてきたところであり、日米安保体制や原発問題に対する態度の違いを原水爆禁止運動への参加要件(踏み絵)にはしないという配慮を払ってきたことも忘れてはならない。日本の運動に精通しているガーソン氏は、この問題を原水爆禁止運動の枠組みの中で扱うことを要請しているというよりは、日本の運動全体として、核脅迫政策に狂奔するアメリカ政府と結託している日本政府の政策を変革する必要があることを提起したものと解されよう。日本でも、安保破棄、政府の非核化、原発政策の転換などの諸課題に取り組む運動が営々として積み上げられており、これらの運動がそれぞれの運動の性格について相互に配慮しあいながら、共同の可能性を旺盛に探求していくことが期待されよう。

 第二にガーソン氏は、一九四七年につくられた平和憲法が、アメリカ主導による日本の軍事化の中で深刻に掘り崩された結果、「平和憲法のもとでさえ戦術核兵器を保有する権利がある」と主張されるような深刻な状況がもたらされてきたことを憂慮し、「もし世界で唯一の被爆国が核保有国になれば、人類の核軍縮と廃絶の希望と努力は打ち砕かれるだろう」というインドの核技術者の言葉を引用しつつ、日本の核軍事化への強い懸念を提起している。現在、ガーソン氏が言う「良心的日本人」の多くが「九条の会」に呼応して六千余の地域レベルの「九条の会」を組織し、平和憲法の真髄を守り発展させる運動に取り組んでいる。原水爆禁止運動は、当然のことながら、日本の核武装に反対する活動に取り組んできたが、「九条の会」運動を含むさまざまな憲法擁護運動に参加している人々との可能な連携を発展させていくことが期待されるであろう。

 ガーソン氏の提起、あるいは、日本の運動への期待は、原水爆禁止運動という枠組みにおいて受けとめるというよりは、日本の変革に関するグランド・デザインの策定と、関連諸分野のもろもろの運動の相互連携の問題として引き続き探求されるべきであろう。

 なお、この点に関して言えば、アメリカの場合も共和党?民主党の「二大政党制」のもとで核兵器政策の根本的変革の展望を描きにくい状況があり、知識人の間には長年に渡って"The Third Party"(第三の政党)問題が燻(くすぶ)り続けている。世界を暴力的に蹂躙する「アメリカ帝国」とその従順な下僕としての日本を平和的で人間的な国家に変えるためには、両国民がいっそう手を携えなければならないことは明らかである。日米両国の市民が共通の問題意識に基づいて共同することができるためには、なによりも過去と現在についての正確な事実認識をふまえて事態の本質を見極め、状況を変革する共同の道を見出さなければならない。そして、そうした問題意識を共有する人々を大量に生み出さなければならない。

 ガーソン氏が第五章で述べていることを引用すれば、「成功する戦略を立てるには、克服せねばならない既得権益占有集団と勢力の正体を見極める必要がある」。アメリカが地球規模で展開してきた核脅迫政策の本質を見極める点で、ジョゼフ・ガーソン氏のこの著作は、広範な文献資料を丹念に渉猟している点でも極めて貴重な労作というべきであり、元国防総省および国務省高官のダニエル・エルズバーグ氏が評したように"Brilliant(見事)"な仕事に相違ない。

 二〇〇七年六月二〇日

このページの最初へもどる あるいは GensuikyoのTop Pageへもどる

 

Copyright (C) 1996-2011 Gensuikyo. All Rights Reserved.
日本原水協 〒113-8464 東京都文京区湯島2-4-4 平和と労働センター6階
Tel:03-5842-6031 Fax:03-5842-6033 
お問い合わせフォーム